モリがいるからモリハウス、ではなく
「記事一覧」を見てたら、誰かの下書きがあった。ああ、誰か投稿するんだなと安心していたのだが、今になっても下書きのまま。ってことは、私がなんとかするしかない。
しかし現在、私は燃え尽きてなにも書けない。空っぽ。
仕方ない、そんなときの奥の手を出してこよう。
じゃじゃじゃーん。
別で書いたnoteの焼き直しー。
では、どうぞ。
2021.05.30
【アンサー】
モリハウスはモリイズムを体現する人たちが住む家ってことかも。だからモリがいなくなっても、モリハウスのままでいいんじゃないかな。
いつものバーにて。
先日、バーを訪れるお客さんのフィルタリングについて話していたのがめっちゃおもしろかった。
確かになぁ、フィルターかけて相性ぴったりなもの同士が出会った方がどちらにとってもよいことかもしれない。こっちが望む人とあっちが望む場とが一致すれば、初見でがっかりすることはないし、リピーターになってくれる可能性が高い。フィルタリングはお互いの最適解を求めるのに必要なのかもしれない。
すごく納得した。納得した私の口から出たのは、
「他のコミュニティにおいては、やっぱりフィルタリングはあると聞きます。群れのリーダーみたいな人が選別するというか。でも、モリハウスにはそれがないんですよね。
モリの知り合いであれば、その段階でフィルター通ってるんだろうけど、住人の友だちとか、友だちの友だちとか、あるいは『誰でも来て』みたいなモリのTwitter見て来た人とか、なんもフィルター通ってない人たちも来るわけですよ。
だからもちろん、怖いと感じる人も来たりして。でもたぶん、住んでるのはフィルターを通った人たちだと思います。」
フィルタリングに納得したのに、フィルタリングしないモリハウスのことを話すという。
その後の話の結末は覚えてない。でも最後に言われた言葉は覚えてる。「モリがいなくなったら、モリハウスじゃなくてシェアハウスだよね」。
毎年恒例、地域の奉仕活動に参加した。年2回の草むしり。今年はなんと、10人もの住人が参加した。
例年、1年以上住んでいる人が対象なのだが、今年はその条件を知らない住民が多く、「住民の義務を果たす」というところだけを見て参加したようだ。しかも用があるにもかかわらず、30分だけ参加して「ごめんね」と帰る人たちもいた。だったら参加しなくても、誰も文句など言わないのに。
そう、誰も文句なんて言わない。参加できる人が参加する。地域の人のくだらない話にもお付き合いする。田舎のルールをわかってないけれど、できることはするし、嫌な顔などしない。
家の周りの落ち葉拾いをするよう言われたので、みんなで片付ける。でも予定があって捨てにはいけない。地域の人にその旨伝えて始末はお願いし、お出かけしていった。
その様子を見て、私は件の解を得た。
【アンサー】
モリハウスはモリイズムを体現する人たちが住む家ってことかも。だからモリがいなくなっても、モリハウスのままでいいんじゃないかな。
確かにモリハウスは「家主がモリであるシェアハウス」なのだが、それだけではないように思う。モリの標榜する「自由と寛容」が備わっている人、体現できる人が住民となっている。
旅人として訪れる人は多いけれど、住民とは別。再訪を重ねる旅人の中には住民と同じく「自由と寛容」が備わっている人もいるのだろうけど。とりあえずそこは置いといて。
なぜモリの同類が集まったのか、残っているのかわからない。けれど、私を除くとフィルタリングしたかのようなメンツが多く存在している。たぶんフィルタリングしたとしても、1割2割は最適解以外が含まれると思うので、私は誤差の範囲内。
今日まで私も、モリハウスはモリという求心力のある人物がいて成り立っていると思っていた。モリという強力な磁石がいるから、明らかなフィルタリングがなくともモリイズムを体現する人が集まったのだろうと。
でもたぶん違う。それは一因であって、全体要件ではない気がする。
モリに引き寄せられたとしても、くっつき続けているのはモリの求心力、磁力によるものではない。なんというか、モリハウスにある穴ぼこにぽすんっとハマった感じ。もうぴったりな穴ぼこがここにあって、そこにハマったのが居心地よくて、だから抜け出さずにそのまま収まってるかのよう。
穴ぼこにハマらなかった人にとっては、いくらルールがなくて自由だろうともモリハウスは居心地がよくないのだろう。だから長くはいない。別に長くいて、モリハウスっぽいことがいいという話ではない。
ただ、違うだけ。それだけのこと。
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