
タロット 1:魔術師(The MAGICIAN) 大道芸人から出世階段し「魔術師」という大役を掴んだ、可能性のカタマリの男の物語
本日は大アルカナの1番目、魔術師(Magician)について。

黄金の夜明け団によって神秘的な性格と役割を与えられた男、「取るに足らないようなつまらない大道芸人」が「可能性無限大の若い魔術師」となるまでの出世階段のストーリーをご紹介します。
先ずは、魔術師の一般的な意味を知らべてみる
正位置の意味
起源、可能性、機会、才能、チャンス、感覚、創造。
逆位置の意味
混迷、無気力、スランプ、裏切り、空回り、バイオリズム低下、消極性。
wikiの説明だと割と平凡な言葉が並びますね…(意外)。
私(主に事業系や仕事系のタロット占いを行うもの)が読む場合だと、就職だとか新入社員だとか、正社員に就職と言った感じでしょうか。起業の後押しの時にもよく出ます。立場の変化という場合もありますが、どちらかと言うと意気込みの話ですね。
逆位置(何なら前後の位置関係によっては正位置でも)だと…「この契約は都合よく見えても軽々しく行うものではない、慎重を要する案件」と読みます。恋愛なら「見掛け倒しで口が良いだけの男だからやめときなさい」でしょうか。
消極的な意味からの判断と言うより、「騙されちゃダメ」「夢物語に乗っちゃダメ」と言うところ。
というか、このカードで読むべきは
意識と可能性と変化
だと私は思っています。
さて、それではカードの生い立ちへと遡りましょう!
1:The Magician(魔術師)の成り立ち
タロットカードというのは、イタリアの貴族の余興のために作られたカードゲームというのが起源の主流となっています。
さて、現在の魔術師のカードの起源として、登場が最も古いカードと言われているのがこちら↓。
ニューヨークのモーガン図書館に保存されている ヴィスコンティ・スフォルツァ・デッキです。

タロットの初期はどのカードにおいても番号も名前も振られていませんでした。
このカードも、その後の再編版で「El Bagatella」と名付けられたものです。
El Bagatellaとは、翻訳すると「つまらないもの」「実体のないもの」と言う意味。
なぜ「つまらないもの」なのか?
タロットはもともとカードゲームの要素として生まれました。
一番若い番号、1番が振られるカードの役(ランク)は弱いのです。
ゲーム上では切り札にもならなければ、なんなら他のキラーカードに捕まって切られるだけ。引いた瞬間から「つまらない・役に立たない弱い」カード扱いでした。
しかし「つまらないカード」の割には、カードの中の彼はなかなか良い身なりをしています。
愚者とは違い、質の良さそうな赤いコートジャケットを着ており、社会的地位が高そうなことを表しています。
帽子や袖はファー(毛皮)で縁取られていると言われており、これもエキゾチックな香りがする異国の高い身分の者でありそうなことを示している、と言われています。
テーブルの上に並べられているのは何でしょう?
最も汎用的でポピュラーなデッキ、ライダーウェイト(RWS)だと、テーブルの上に描かれているのは4つのスートシンボルですが、このカードの彼の持ち物の場合は解釈が限定されておりません。
帽子だとも、チーズだとも、山もりのコインだとか、ただの藁の山だとか、いろいろ言われています。
この、「つまらない者」のはずなのに、社会的地位が高そうな身なりをした男は何なんでしょうか?
手品師(マジシャン)はペテン師か
さて、すこし視点を広げてみましょう。
下記の絵は、ビスコンティ家のカードが造られた少し後に、オランダの画家によって描かれた「手品師」と言うタイトルの絵です。
オランダの画家、ヒエロニムス・ボスが1480年頃に描いたと言われています(一説では弟子が書き直した版とも言われています)。

右側に立っているのが手品師。
偶然なのか必然なのか、彼も赤いコートに特徴的な帽子をかぶっています。
手品師が手にしているのは真珠だと言われています。
テーブルの上には彼の商売道具が並びます。観客からしたらちょっと不思議なものばかり。
テーブルを挟んで、マジシャンと観客たちに構図が振り分けられています。
最前列で手品師のトリックにくぎ付けになっているオレンジと白の衣装の男性は社会的地位の高い男として描かれているのですが、その彼の背後には彼の財布を盗もうとしている男が描かれています。
この絵においては、財布を盗もうとしている男は「手品師の相棒」だと解釈されています。
この絵は「手品師」を獲物をおびき寄せる一般的な犯罪者として描いていると言われているのです。
14世紀ころから目立って活躍(社会で有名な存在)しはじめたルネサンス期の大道芸人には、奇しくもこのようなネガティブなイメージが一般的でした。
余談に近くなってきましたが・・・
同じくヒエロニムス・ボスの絵からおもしろい絵画をもう一枚。

『キリストが商人たちを神殿から追い出す』と言うようなタイトルの宗教画なのですが、左部分をご覧ください。
左部分を拡大したのがこちら↓

これは当時「歯医者」という職業が確立していなかった時代に、歯の治療として虫歯を抜いていた仕事をしている男を描いた部分です。
手に持っているのは、彼の腕の中で半ば気絶しそうな女性の「歯」。
男は専業が歯を抜く仕事なのではなく、彼の色々ある仕事のうち「歯を抜いたりもしていた」というのが正しい解釈です。
キリストの時代から公開処刑など現代人からみたら残酷な舞台も、庶民からしたら一種のエンターテイメントでした。
歯を抜く人を見るのも、抜かれた人を見物するのも、ネトフリもインスタもない庶民からしたら、エンターテイメントそのもの。
非日常的なステージであり、イリュージョンであり、目がくぎ付けになってしまうような舞台でもありました。
そして、お気づきになりましたか?
なんということでしょう!(笑)
毛皮のついた帽子に赤いコート・・・ビスコンティタロットの「El Bagatella」と、服装がお揃い!

この時代、こういう奇術(トリックスター)的なことをしている人の象徴が「赤い衣装」「エキゾチックな怪しい帽子」を身にまとっている男だったと言われています。
このことからからも、ヴィスコンティ・スフォルツァ・デッキに描かれた赤いコートジャケットの男は、手品師や奇術師と呼ばれるような職業の男だったことがおわかりになるでしょう。
絵画に話は戻ります。
興味深いのは、テーブル。魔術師のスートの小物が並ぶテーブルを彷彿とさせる商売道具が並びます。
更にアヒルを背負ったオジサンのポケットに手を入れて財布を盗もうとしている若者の手も描かれています。

このスリを行っている若者が、抜歯の施術モドキを行っている男と相棒なのかはわかりません。
しかし奇術的な行いとその彼の舞台は、ネガティブな要素と世間一般に解釈されていたのでしょう。
タロットカード1番目、一番若い番号を持ったカードは「大道芸人」と呼ばれるようになりました。
大道芸人自らの行いから世相からネガティブ扱いされ、カードゲームにおいても捨札にされるような「どうでもいい、つまらぬもの」扱いをされる存在でした。
マルセイユタロットでは、RWSのマジシャンに相応するカードを今でも「Le Bateleur」=「大道芸人」と呼んでいます。
手品師(マジシャン)は何の夢を魅せるか
ボスや世相にこき下ろされているマジシャンですが、ボスの描いた世界からもわかる通り、聴衆を魅了し、観客の目に「別の世界」を映し出すのも事実です。
トリックスターは、どうしようもない現実の世界とは異なる、夢の世界を魅せる者でもあります。
下記は、Golden Tarot of Renaissanceの「大道芸人」のカード。
ここでは純粋無垢な子供たちを喜ばす男として描かれています。単なるエンターテイナー。
見るものを驚かそうという気持ちはあるでしょうが、トリックでヒト騙してやろうという雰囲気は感じられません。

テーブルをはさんだ向こう側は、マジシャンが創り出す世界です。
彼の独壇場・ステージ。
物体が物理的な壁を越えて目に見えぬ間に移動したり、コインが消えたり増えた(現代で言うところの手品です)、彼の先導で賭け事をすればお金が増えることもある。(現代で言うところのカジノのディーラーです。)
。

仕掛けがあれどもマジシャンの手にかかれば、不可能だと思われたありとあらゆることが可能になります。
三本の足で立つテーブルと言うのはありません。マジシャンだからこそ、なしえるのです。
観客がくぎ付けになったとしても、その魅惑の世界は幻想の世界でしかありません。
しかし、あちら側(マジシャンのステージ)は、こちら側(聴衆の住む現実)とは異なる世界があるのは、聴衆の目からも明らかなのです。
冷静に見る人なら、現代なら映画(作り話)を見ている感覚に近いでしょうか。
夢を見る者・冷静な判断ができない熱狂する者達にとっては、自分ではない誰かがつかみ取った夢のような現実世界なのでしょう。
ルネサンス時代において、手品師(マジシャン)は決して社会的な地位を誇れる存在ではありませんでした。
賭け事のために積まれたコインや売り上げをこっそり横取りするのは、このマジシャン本人でもありましたし。
しかし、彼らの才能は「スリの相棒として生活を立てる」「賭け事の売り上げをくすねる」だけに留まりませんでした。
(歯も抜くし。)
手品師(マジシャン)はなんでもこなせる男
この時代、「手品師」とは、伝道師にも近い存在でした。
いや、伝道師というと語弊があるかもしれません、似非伝道師とも言うべきか・・・やはりトリックスターと言うべきか。
司祭や役人の目や手が届かない村や町を巡回し、異国の地から来たようなエキゾチックな衣装をまとい、幻想的な手業や巧みな話術により、聴衆の関心を惹く。神の力を説くとともに、自らの力量を誇示し、信じさせる者でした。
彼は、そうして人を騙し・魅了し、生きるためのお金を獲得していくのです。
ガマやヘビの油を売ったり、万病に効くというハーブを売ったり、簡単な手術をしてみたり、賭け事でお金が増やせると吹聴し人々からお金を集めそれをこっそりくすねたり・・・
見過ごせないのが、こういった役割を担うには、かなりの技術が必要だと言う事。
賢くて、言葉が巧みで、カリスマ性があり、堂々としていて自信に満ち、計算高くって、お金に困っていなさそうな身なりの良い恰好をしていなければ、誰からも信じてもらえません。
そして、失敗は許されません。
ステージの上では完璧でなくては聴衆を魅了できないのですから。
マジシャンは、自分の知恵と力量でのみ生き残り、聴衆を魅せなければ自分の運命は開けませんでした。
ちなみに…先ほどの絵画の、この赤い服の男性の本業は「大麻を売る人」だと言われています。
歯を抜けば痛いわけで。痛みを紛らわすためには大麻は格好の「薬」となったでしょうね。

マジシャンの本質は、純粋に観客を楽しませる奇術師かもしれないし、単なるペテン師や、賭博師、偽万能油売りだったり、偽医者・歯医者かもしれない。
しかし聴衆にとっては、現実とは違う世界を魅せ、聞きなれない魅惑の呪文を唱え、幻惑を魅せる不思議な薬草を持っているマジシャンは、ある意味オカルティストの超自然的な力を予感させたことでしょう。
まるで「あなただけに儲かる良い話がある」と近寄ってきて、シャノアールあたりで、フレンドリーで軽快だけど、なんとなく説得力があるような無いような、でも実はロジックなど皆無な話の中に「バイナリー」「新規上場する仮想通貨」だとか聞きなれない魅惑の単語をちりばめて、煙に巻いて畳みかけてくる怪しいセールスマンのようです。
そして、もしかしたら、一部には「本物」もいた(いる)かもしれません。
それに、手品師と魔術師の区別も明確なのでしょうか?
だって、日常生活を超え、自然の摂理を超えた現象の変化を、ヒトは「魔術」と呼ぶのですから。
1:The Magician(魔術師)の解釈

ゴールデン・ドーンのメンバーであるアーサー・E・ウェイトとパメラ・コールマン・スミスは、たいしたことのない「大道芸人」から「魔術師」の素質をきっと見出したのです。
オカルティズムを纏った、魔術師の誕生です。
ウェイト氏は、彼をギリシア神話のアポロになぞらえています。
「アポロの表情で、自信に満ちて微笑み、目は輝いている」と記載しています。
(アポロは太陽神ですが、魔術師のカードでは太陽の意味はありません。太陽のカードは別であります。)
ウェイトさんは、この若い魔術師の腕は魔法団体の高等入門者の身振りをしていると述べています。

そう、遂に・・・!
一介の大道芸人であった「彼」は、超自然を意のままに操る魔術団、「黄金の夜明け団」の一員となったのです。
奇術師も単語を用いるならMagicianなのですが、ここでは彼は紛うことなき「近代魔術を扱うMagician」へと確実な変化を遂げたのです。
ただの「つまらぬ」男だった彼は、聖衣を纏いより神秘的な力を得た若い「魔術師」へと出世!
(この時代に魔術団に属するのが社会的に高い地位の意味があるかというと、それはまた違うのだけれど)
魔術とは
ウェイトさんと同じ「黄金の夜明け団」に属していたA・クロウリーは、魔術をこう述べています。
魔術とは
「魔術師の意思に従って変化をもたらす業であり、科学である。」
強い意志により現実に変化をもたらすのが「魔術」。
「MAGICIAN」の前のテーブルには、4つのスート(ワンド・ペンタクル・ソード・カップ)のシンボルがあり、コインは単なるコインではなく五芒星が書き加えられました。
RWSで描かれているマジシャンの腕は広げられ、片方の腕は空中に、もう片方の腕は地面を指しており、魔術・魔法の教科書に由来する有名なフレーズ「上ナルモノ、下ナルモノ」を形成しています。
四大元素を科学として扱い、現実に変化をもたらす者が魔術師です。
タロットの魔術師(MAGICIAN)は、神の力を借り、自らの意思で現実世界で新しいものを作り出すという宣言を行っているのです。
魔術師のシンボルワードは「創造性」とそれへの「可能性」
ヒトは進化のために前進しつつづける、可能性のカタマリ
魔術師へと出世した彼は、狸がヒトに「化けた」ような、異質なものへの変化したのではありません。
「彼」は「彼のまま」、道化師から魔術師へ進化したのです。
ヒトは常に成長(進化)しており、新たな可能性を生み出すために、知恵や道具を使いこなして、さらなる進化前進をする生き物です。
ペテン師とも、つまらないものとも揶揄されてきた大道芸人の彼は、強い意志でもって自分の能力を最大限に使い、あらゆる知恵知識を持ちこみ、奇術師として巧みな話術や手業などで人々を魅了してきました。
この努力と努力を積み重ねた進化の過程を経ることで、彼は単なる道化師・奇術師から、強い意志で現実世界を変化させる魔術師へと成長を遂げたのです。
これは1:The Magician(魔術師)のテーマでもあります。
教養は創造性と進化の礎
ウェイトさんは、「前面に描かれた野ばらや百合は、向上心による教養」を表現していると言及しています。
教養は持って生まれた才能ではなく、自らが積み重ねて自分のものにしていくものです。
そしてその教養があることで初めて、道具を正しく効果的に使えるのです。
道具を使うことは、進化の第一歩。
教養によってその道具を効果的に使うのが、前進を加速させます。
古代ギリシアで提唱された世界を構成する四大元素を組み合わせることは、現代で言うところの科学と、科学反応です。
宇宙の全ては原子の組み合わせで存在しています。
この原子をどう組み合わせ新しい物質をうみだすかが、科学です。
ヒトが進化し、科学が進歩するためには、
正しく四大元素を扱えること
四大元素をを扱う上で強い意志と教養を積み重ねる重要さ
それらによる可能性
これらが魔術師のカードで語られています。
魔術は”まだ始まっていない”
RWSで興味深い表現の一つは、魔術師である彼自身はまだ「魔術を実行していない」という点。
魔術師のである彼(ヒト)の創造性への無限の可能性を描いたカードではあるものの、可能性止まりなのです。

マルセイユ版の魔術師に相当するカード大道芸人では、既に道具を巧みに扱っている「最中」のシーンが描かれているのとは対照的です。
マジシャンである彼の道具はテーブルに美しく並べられており、道具を使用する儀式の前段階であることを表します。
魔術師は儀式への宣言を行い、道具も準備は万端であるものの、スタートは今切られたばかりなのか、まだ切られていないのか・・・その狭間が描かれています。
黄金の夜明け団の作成したタロットThe Hermetic Tarotにおいても、魔術師は「力の術士 (Magus of Power)」という称号が与えられているものの、祭壇上に祭具を献納する魔術師が描かれているとされており、彼もまた術は始めていません。

魔術師は自分の可能性を信じ、自信をもって魔術の行いを宣言します。
教養も高く意志も強い彼には無限の可能性がありますが、しかしその魔術が成功するかどうかは、このカードからは分かりません。
「持ってる」けど、実績のない男
彼は可能性のカタマリではあるものの、魔術団において重要な役割を担うポジションにはいません。
彼の由来にあるものは「つまらないもの」「実態のないもの」であり、まだまだ魔術師として成熟したマチュアではないのです。
しかし魔術師のカードは、(正位置では)彼がアマチュアであることを否定しません。
更なる前進を目指すために努力と挑戦を志す「可能性のある者」に対して、門とを開いているカードです。
僕(私)、いいところ大卒業して人脈もあるし、学生時代にプログラミングで簡単なアプリを作って売ってましたし、ユーチューブで配信もしていてそこそこ認知度あります。これ、企画書です!!僕(私)、即戦力だと思います!!!
「持っている男」なのかもしれませんが、「実績は未知数」の男。
それが1.魔術師。
やる気のあるヒトはどこに向かうのか〜タロット全体から眺めてみる:森下あかり的解釈
さて、タロットでは「なんでこのカードが出たのか」というのが、リーディングにおいてとても重要なポイントとなります。
類似のカードとの違いを見ていきましょう。
若い男性のカード
大アルカナでは「魔術師」か「戦車」「愚者(性別不明とも言われていますが)」ですね。この違いは
魔術師:有望であり可能性のカタマリだが、まだ何も始めていない男
戦車:目標に向かい既に実行に移している男
愚者:魔術師にでも戦士にでも、いつかいずれにもなれるが、まだ何も持ってない男
に尽きます。
いずれも自分次第・自分本位のカードなのですが、宣言を終えた意気込みだけの者と、既に戦車に乗って突き進んでいる戦士との違いと、そもそもまだ何も持ってない風天の寅さんとでは、いずらもその違いは大きいのです。
マジシャンには成功の可能性は内包しているものの、正位置だろうと成功は約束されていません。
ちなみにこれが「皇帝」との違いです。
皇帝は、正位置逆位置問わず、すでに成し遂げ成功した男です。
小アルカナの世界
小アルカナでは「若いヒト」「男性」「一人」などのキーワードは、多くのカードで見受けられます。
魔術師と小アルカナのそれら登場人物の違いは、あるようで、実はありません。
魔術師はすべてのスートを持ち備えた男です。
魔術師のテーブルに置かれたすべてのスートは、スートの物語を全て内包してしまう者の意味を持つからです。
魔術師は、小アルカナの全ての(とくに男性の)登場人物に、成りえる男です。
そう、何にでもこなしてきたのが、この「赤い衣を纏った男」なのですから。

魔術師のリーディング:森下あかり的解釈
一般的な解釈以外に私が採用しているのは、「現実そのものを操作する意思をもって、世界を魅了し”幻想を信じさせる力”」というイメージです。
強い目的や意志はあれど「彼の魅せる幻想に実態や確証はない」というのが私の魔術師のリーディングの基礎になっています。
もしくは実態・実体はあったとしても、その実態は、信ずるまでには達さない「移ろいやすく、どうでもよい」ものでもあります。
自己の意思と可能性を読め
魔術においても現実世界においても、すべては「実態の前に、まず意識(意志)ありき」でもあります。
魔術師の彼が持つ意識・意志は、見過ごしてはならないキーワードです。
このイメージもリーディングでは大切にしています。
実態が薄いカードが見るべき視点は、魔術師本人(自己)の意識なのです。
彼の見せる幻想に惹かれてはなりません。
幻想を見せている彼自身の意識が試されているのです。
ヒトを楽しませようとしている単なるエンターテイナーなのか、ヒトを騙そうとしている単なるペテン師なのか、本物の魔術師なのか、魔術師にみせかけた大道芸人なのか。
彼自身が自覚している意識は一体どこにあるのでしょうか。
そして彼は、自分のどういった経験や意識で、自分は何ができると判断して、何に挑もうとしているのでしょうか。
彼はどうやって聴衆(世界)に影響を与えようとしているのでしょうか。
前後に並ぶカードとの関係から「意思と可能性を読み取れ」とカードリーダーに指示を出すのが、魔術師のカードです。
しつこいようですが、世界の全ては、意識から生み出され始まるのですから。
魔術師の言い分を小アルカナで代弁させる
余談ですが…
私は普段、小アルカナを占いで使うことはありません。
しかし、魔術師のカードが出た場合には、魔術師の意識の部分を詳細に深堀りするために、小アルカナで更に展開することがあります。
そう、小アルカナのカードで、魔術師の意識の言い分を代弁させると言うわけです。
だって魔術師は小アルカナ凡てを内包する男なので。