「残り全部の命を使え」。 Uターン3ヶ月目のいま、みらいに想うこと
Uターンしてから今日までの間に、頭にこびりついて離れない言葉のひとつ。誰に頼まれたわけでもないけれど、「自分は日南市で、未来をつくることをやりたい」と、ぼんやり思った。
宮崎県日南市にUターンしました!!!
東京の会社を退職し、18歳まで生まれ育った街に帰ってきたのが3ヶ月前。宮崎県民は10年ぶり、日南市民は14年ぶり、だと思う。ちょうど就活をするタイミングで日南市に33歳の市長が誕生して、何かがうごめき出す音が聞こえて、もがいている大人がかっこよく見えて。「自分もいつかは絶対にUターンしたい」と思っていて、当時自分へ向けた期待にやっと応えることができた。
「なんで帰ってきたの?」とよく聞かれるが、これといったひとつの出来事はない。キャリアを選択する時には、いろんな変数が影響すると思う。自分の経験やスキル、今の環境への未練、両親、恋人との関係、仕事、給与など。変数の全てが100点満点になることはない。誰もがそんな中で、優先順位を付け、自分の気持ちとの折り合いをつけることを繰り返して、命を使っている。
私もたくさんの変数を踏まえてUターンを決めた。日南にいた方が人生が面白くなる予感がしたし、足りないことがあれば自分のエンジンを載せ替える努力をすればいいと思った。東京を離れることをこれまで幾度となく渋ってきたが、今回は自分でも驚くほどに自然に選択することができた。きっとそんなタイミングだったんだと思う。
日南に戻ってきてからのこと
宮崎を離れてからは、新卒で都内に本社がある新聞社に入社。営業・人事を経験した後に転職して、企業の人材育成を支援するコンサルで勤務した。思えば「生物の授業が好きだから農学部に行きたい」と思った高校時の進路選択から、自分の興味のあることを学び続けることをまんなかに環境を選んできた。特に2社目は業種も会社の方針も自分の哲学や興味・関心にがっちりはまっていて、やりがいの分だけ毎日が充実していた。同時にとっても忙しい職場だった。
その分、本音を言うと「日南に戻ったら、しばらくゆっくりできるかも・・・」と思っていた。これは本当に甘かった。激あまだった。ありがたいことに東京にいた時と変わらず、自分がありたい姿と現状とのギャップに頭を叩かれながら日々を過ごしている。日南でやっていることは大きく3つ。
(1)企業の採用・定着・育成の支援
一番時間を割いているのは株式会社ことろどでのこの仕事。企業の採用・定着・育成の支援に関わるサービスを立ち上げてみたり、県内企業と学生のインターンシップのマッチングを促すサイトを運営してみたり。新聞社で採用担当をしていた時に「他の企業の取り組みが知りたい」「社内に相談できる人がいない」「他の担当者の意見や考え方を知りたい」と思っていたので、県内の人事担当者交流会を開いてBBQをしてみたり。
人の確保が年々難しくなる中、何を提供できれば県内企業の力になれるのか考え、足を伸ばして担当者と話し、形にすることをしている。
(2)研修への登壇
こちらも主にことろど社での仕事。前職で企業向けの研修に登壇していた経験から、日南市でも機会をいただいている。求職者が日南市内の企業への就職を目指す「日南市リスキリングスクール」や、日南市企業連携協議会スキルアップ研修会での「企業の魅力の伝え方講座」など。
準備にすごく力がいる仕事。一方で、受講者の行動変容を直接お手伝いできる貴重な仕事。これから一層、機会をいただくに値する人間になりたい。
(3)ヤッチャの学校
親友と運営をしている合同会社ヤッチャの取り組み。8月から9月にかけて日南で暮らした7期生5名は全員、次の目的地へ走って行った。
1期からオンラインで関わってはいたものの、現地でがっつり関わるのは今期が初めて。書き出すときりがないが、かけがえのない時間を共有させてもらった。5人と関わる中でたくさんのことを学ばせてもらったし、伝えたことに恥じない大人になりたいと思った。
「自分の人生を開きたい」。そんな気持ち一つで九州の隅っこに飛び込んでくれた5人のことを心から尊敬しているし、共感している。自分のコンフォートゾーンからあえて飛び出して挑戦をする姿が、目に焼き付いて離れない。それぞれが悩み、ぶつかり、葛藤する中で気づいたことが、みんなの足元を照らす灯になればいいなあ。どんなに小さくても。
残り全部の命を使って
「みらい」の正体を考える
ありがたいことに、ヤッチャの学校に参加した学生からは「とりあえずみんなヤッチャの学校に参加すればいいのに!!」と言ってもらうことがある。目的がないと行動できないなんて勿体無いし、キャリアの8割は偶然で決まると言われたりもする。私自身も「今興味があること」がモチベーションの源泉になりがちで、何年も先のことを見据えて行動を選択することが苦手なタイプだと思う。
だからこそ、こんな心境になるのは新鮮だったりする。
じゃあ、「未来をつくる」って一体なんのことなのか考えた時に、実は未来なんてものはなくて、替わりに永遠に続く今があって。未来で実現したい理想を心に抱いて生きることが大事なのではなくて、目の前の気持ちや感情に沿って一日を生き切ることで、個人にとってより理想的な未来がつくられていく。そんなことが大事なんじゃないかと思っている。
「日南って退屈だな」「何も楽しいことないな」と思っている人の日常に石を投げたいし、ヤッチャの学校に参加した学生たちがプログラムに飛び込んでくれたように、「自分にはもっと何かできるんじゃないか」と思っている人と、何かを一緒にできる場所をつくりたい。
自分の過去の経験やトラウマを引きずり、「どうせダメだ」「できっこないや」と思い込んでいる人だっているかもしれない。過去を「無くす」ことはできないけど、振り返って別の意味付けをすることで「手放す」ことはできるし、そのお手伝いができればその人は一歩踏み出せるかもしれない。
企業の人事担当者の仕事は未来をつくることだ。営業部門は「今期」の成績が求められるし、開発部門も「この」タイミングで新商品をリリースすることが求められる場合が多いだろう。成果物がヒトである人事部門は、3年・5年・10年の長いスパンを見据えて目の前の仕事に取り組むことが求められる。そうしないと組織の未来をつくる人が不在になってしまう。何か力になれることはないだろうか。
ありたい自分をつくる
そう考えると、やっぱり自分のありたい姿と現状の差に打ちひしがれるんですよねーーーーくそーーーー。やりたいことはいっぱいある気がするけど、Uターン3ヶ月目で夢物語を語りたいだけかもしれないし、綺麗事じゃどうにもならないことだってあるんだろうな。
私はきっと日南市で死ぬ。残りの全部の命を使って、まずは今日このあと寝るまでを使って、自分がありたい未来に、未来の自分に、挑戦していこうと思う。書けば書くほど悔しいのが本音だけど、これが31歳の現在地。
いつかのみらいにこの駄文を見て、自分がどう思うのか楽しみです。