仮面ライダー電王を観た

先日からTTFCにて視聴していた仮面ライダー電王のテレビシリーズが観終わりました。ここ最近、小林靖子さんが脚本を務めていた作品を観ていて、そろそろ観なければと思っていた電王。評判通りの名作でした。


記憶と時間

メインライターが小林靖子さんだけあって、覚悟はして観ていましたが、最後の最後にもっていかれました。参りました。

変身の度に、自分を知っている人がいなくなるという過酷な運命を背負った侑斗。その人が存在していても、その人を知っている人がいなければ、存在しないことと同じ。逆に、その人が存在しなくとも、その人が誰かの記憶に残り続けるなら、それは存在していることと同じ。忘れ去られることの方が辛い。そう考えると、デネブが、ことあるごとに「侑斗をよろしく」と言っているのが、あまりにも健気で、儚いものを感じます。

ところがどっこい。そんな侑斗よりも、覚悟を決めて運命と対峙していたのが、良太郎の姉・愛理さんだったとは。これにはやられました。しかも、ハナが未来の愛娘というおまけつき。本当に、最後の最後まで何にも知らない愛理さんと思いきや、全てを知り、未来を守るために進んで愛する人を忘れる決断をした愛理さん。あまりに身につまされるものがあります。

僕を覚えていて

あの日丸めたままの紙切れを押し付けて走ってった—僕を覚えていて—

Vermillion/石川智晶

アニメ「ぼくらの」の主題歌『Vermillion』の一節です。「ぼくらの」は、命を賭して戦う子どもたちを描いた作品で、歌詞中の「僕を覚えていて」というフレーズが、いつも自分の中に流れています。存在と記憶については、上にも書きましたが、誰かが覚えていてくれることが、何よりも幸福なことではないかと思います。

同じく仮面ライダー作品である、仮面ライダードライブの最終話(確か)においても同じような場面がありました。ロイミュードであるハートが、泊進ノ介に対して、人の心を理解しようとしたロイミュードという存在がいたことを覚えていて欲しいと言い遺していきました。

人の記憶に依存することでしか存在を維持できないイマジン。良太郎と、モモタロス・ウラタロス・キンタロス・リュウタロスたちの関係も、まさにそれでした。単純にお互いが記憶しているというよりは、そこに至るまでにお互いの関係性がシリーズ序盤から築き上げられていたからこその、賜物でした。だからこそ、終盤で消えゆくイマジンたちに感極まり、最後にまた姿を見せてくれた彼らに想いを寄せたのでした。

そんなイマジンたちと渡り合ってきた良太郎。特撮に限らず、ここまで序盤から終盤にかけて成長していった主人公は久しぶりに観た気がします。本人の中にある信念は変わっていないのですが、イマジンたちと関わっていく中で、それがより強固なものになっていた感覚です。
それがよく表れていたのが、モモタロスたちが消えると知ってから、もう一緒に戦わないと決意したシーンでした。未来を守るためには戦わないといけない。けれど、モモたちが消えることは受け入れられない。モモタロスと対立しつつも、己の信念は曲げない姿に良太郎の強さを感じましたし、その裏側に、良太郎とイマジンたちとの関係性が感じられる名シーンでした。

清涼剤

記憶と時間というテーマで、終始シリアスなシーンもあった電王ですが、その中で、清涼剤的な存在だったのが、ミルクディッパーの常連である尾崎と三浦でした。
実は、彼らの存在なしに電王は成立しなかったのでは(さすがに言い過ぎ?)と思うくらい、良いキャラでした。話の本筋に直接関わってこないけれど、むしろ関係しないからこそ、彼らの存在が話の緊張を緩和してくれていたように思います。最近でいうと、ブンブンジャーに出てくるハシリヤンの3バカでしょうか。こうしたギャグ要因に救われているなと感じます。

終わりに

良太郎の成長とともに、俳優佐藤健さんが成長する姿も感じられた気がします。どの立場で言っているのかという話ですが。最初に電王を観たときの良太郎のキャラが、あまりにへなちょこで衝撃的だったので、終盤の頼もしさに驚きました。

ありがとう、仮面ライダー電王。いつまでも忘れない。

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