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白黒反転の世界。(発言活動が危険になってきました。①)
昨今の社会情勢のこともあり、とてつもなく有名になった、ジョージ・オーウェル著『1984年』の「ニュースピーク」。
戦争は平和なり
自由は隷従なり
無知は力なり
聖書にも似たような記述がある。イザヤ5章20節。
Isaiah 5:20 (King James Vers.と新共同訳)
Woe unto them that call evil good, and good evil;
that put darkness for light, and light for darkness;
that put bitter for sweet, and sweet for bitter!
災いだ、悪を善と言い、善を悪と言う者は。
彼らは闇を光とし、光を闇とし
苦いものを甘いとし、甘いものを苦いとする。
さらに、アンブローズ・ビアス著『悪魔の辞典』には、
「黒」の項に「白。」と書かれていて、
「白」の項に「黒。」と書かれている。
まだ写真がフィルムや印画紙だった時代には、ネガフィルム(通称ネガ)というのがあって、つまり白黒反転。カラーの場合は補色になっている。
つまり、今の世の中は白黒反転したネガティブだから、その中でいくら頑張ってプラス思考をしてみても、ひたすらネガティブを増大させるだけで、まったくもって逆効果だ。
こういうときは、マイナスにはマイナスを掛けてやれば、プラスになる。
だれも嵐の日にルンルン楽しく散歩する人なんていない。
雨の日には雨の日の、嵐の日には嵐の日の過ごし方がある。
それは、自分自身を守るために必要なことだ。
それは発言、言論も同じ。
いくら今の世の中の不正に対して声を上げてみても、加害者が被害者に、被害者が加害者にされてしまうから、これからの世の中は、真っ正直に声を上げるだけ損だ。
2021年2月現在、複数のSNSでは「不正●●」(「●●」は政治ワードなので伏字にする)に抗議したり、特定の政治家をフォローするだけで、アカウントがBANされたり、削除されたりするらしい。
また、つい最近まで民主国家だった某大国では、特定の思想の表明をしたために、職を失ったり、資格を剥奪されたりするらしい。
私はこんな世の中になることを予期して、まだ発言が許されているうちに書き残しておきたいことを、あたかも急かされるようにして、昨年の2020年2月に単行本(『自閉女(ジヘジョ)の冒険 モンスター支援者たちとの遭遇と別れ』)を上梓した。
そしてその本の締め括りに、「もう、あまり、時間がない」と書いた(p214)。
その後は作家活動を停止したつもりでいたが、「車は急に止まれない」ので、ここしばらくは惰性でここnoteに幾つか投稿してはみたものの、やはり、いろいろ思うところや感じるところがあって、同年の冬至の日にペンを擱いた。
だがまさか、それから僅か数日も経たないうちに、自由な発言ができなくなる世の中が到来するとは、夢にも思わなかった。
予兆はあった。
10年ぐらい前には、うっかり(信条に背いて)政治的な発言をしてしまったせいで、契約していたプロバイダから迷惑書き込み扱いされ、「謝罪しないとアカウント剥奪するぞ」と恫喝されたことがあった。
さらに、今から30年前の昔にさかのぼると、不登校の相談窓口で、私の使用する言葉が、ことごとくBANされたこともあった。
「ポリティカル・コレクトネス」という用語が世の中に登場する、はるか以前のことだ。
そして最近では、G**gleでエゴサーチしても、ここnoteで自分が書いた記事が、検索結果に全く出てこない※。
一個人でできることは限られる。
だが、今回対峙している相手は、草の根で立ち向かうには、あまりにも巨大で強力だ。
非常に残念なことだが、この先の世の中、正義感と危機感に絆(ほだ)されて言論の自由を守ろうとする人は、狩られるだろう。
もしかすると、ライフラインも絶たれるかもしれない。
でもここで、自分の思っていること、考えていること、予感していることを書くことは、危険だから止めておく。
その是非や可否を論ずることすら、この先の世の中では、危険だ。
もしかしたら、この記事を投稿したことも、危険なのかもしれない。
……と書いているうちに、
複数のSNSやメーリングリストからことごとく締め出されて流浪している大物草の根保守活動家がここnoteに流れてきたが、しばらくは様子を見ようと思う。
自分はノンポリ中立で、右派でも左派でもないから、残念ながらその方にフォローもスキもできないが、実際に言論弾圧を受けた個人の具体例として示しておきたい。
少なくとも今の時点では保守派が狙い撃ちされている段階だが、それ以外の人たちにとっても、それは決して他人事ではない。
とくに、信仰者。
すでに某C国では特定の民族や宗教が弾圧されて、臓器狩りに遭っているし、
某R国では、非暴力で人畜無害な宗教組織のメンバーが“過激派”として扱われ、有罪宣告を受け、実際に投獄に遭っている。
せっかくフォロー&サポートしてくださった方々、ごめんなさい。
自分は(おそらくたぶん)もう、書き綴ることができません。
健康上の理由でも。社会情勢的な理由でも。(そして信条上の理由でも。)
全能者なる神が、この腐り切った体制にまもなく介入なさることを願いつつ、子どものときから45年間続けてきた自分のライフワークに、ピリオドを打ちます。
発言活動が、危険になってきました。
余談だが、今はパンデミックによる感染症対策のため、ほとんどの人がマスクをしているが、これはもしかしたら、象徴的な意味もあるのかもしれない。
口封じ。
おわり。
※本稿執筆時点にて。