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ブラックホールがつなげたワームホールと量子もつれ

現代物理学の世界では、マクロな世界の理論である「一般相対性理論」と、ミクロな世界の理論である「量子力学」を統合することが、目指されています。
この統合理論は「量子重力理論」と呼ばれ、その最終的な形は「万物理論」とも呼ばれます。
現在のところ、「超弦理論」や「ループ量子重力理論」が有望な理論とされています。

一般相対性理論は、重力を時空の歪んだ幾何学構造として表現します。
一方、量子力学は、時空を前提としますが、物質は確率的な存在です。
両者を統合するには、時空の幾何学の揺らぎや重なり、収束を考える必要があります。
そのためには、時空がより根源的なものから生じる、と考える必要があります。

ループ量子重力理論やツイスター理論では、「スピンネットワーク」から空間が生じると考えます。
では、超弦理論はどうなるのでしょうか?


ブラックホールの研究には、一般相対性理論と量子力学の両方が関わっていて、量子重力理論の構築を進めるに当たって、重要な分野になっています。

特に、ある問題に関して、2つの理論で矛盾するパラドクスが存在する時、それを解決することで理論的な発展が期待できます。

実際、ブラックホールに関して、たくさんのパラドクスが問題となってきました。
例えば、ホーキングに由来するブラックホールの「情報パラドクス」、そして、その先に生まれた「ファイアウォール・パラドクス」などがあり、これらが研究の進展の推進力になりました。

そして、その研究から生まれた、マルダセナの「AdS/CFT対応」や、「笠-高柳公式」、サスキンドの「ER=EPR仮説」などは、革命的な理論、仮説です。

これらの理論によって、一般相対性理論の「ワームホール」と、量子力学の「量子もつれ」が同じものであって、これによって空間の次元が作られるという、驚くべき仮説が生まれています。


本稿では、これらの潮流について、数式なしにアバウトな表現で概略をまとめます。
ただし、相対性理論や量子力学、超弦理論、ブラックホール物理、情報理論の知識を少しは持っている人を想定しています。



ブラックホールの情報パラドクス


まず、この潮流のきっかけとなった、ブラックホールの「情報パラドクス」に関する議論を紹介します。


1972年に、ヤコブ・ベッケンシュタインが、ブラックホールの熱力学の研究をして、ブラックホールがエントロピーを持つことを示しました。

ですが、ブラックホールがエントロピーを持つということは、ブラックホールが温度を持ち、光を放つことになります。
これは、ブラックホールからは光も脱出できないという性質と矛盾します。


これを解決したのが、スティーヴン・ホーキングです。

1974年に、彼は、「ホーキング放射(ホーキング輻射)」を提唱し、このパラドクスを解決しました。
ですが、これが新たな「情報パラドクス」を生むことになりました。

「ホーキング放射」とは、ブラックホールの事象の地平面(光がブラックホールから脱出できなくなる境界)付近で、「量子ゆらぎ」によって真空から粒子が対発生した時、その一方がブラックホールに落ちて、もう一方は外に放たれることがあるというものです。
そのため、ブラックホールは光を放ち、温度を持つのです。

つまり、ブラックホールからは何ものも脱出できないのではなく、ブラックホールは「ホーキング放射」によって、やがては縮小し、最終的には蒸発して消滅するのです。

そして、この「ホーキング放射」で放出される粒子と落ち込む粒子は、少なくとも対発生した時点では、「量子もつれ」の状態にあります。
この問題は、この後で、重要なテーマとなります。

では、ブラックホールに落ちた物質が持っていた「情報(エントロピー)」は、どうなるのでしょうか?
ホーキングは、「ホーキング放射」があっても、ブラックホールに落ちた情報は、ブラックホールの消失とともに失われると主張しました。

「ホーキング放射」は「量子ゆらぎ」というランダムな現象であり、ブラックホールが蒸発した後に残されるのは熱分布に従う放射なので、ブラックホールに落ちた情報はここにはありません。
そして、ブラックホールの外側にある粒子と内側に落ちた粒子の「量子もつれ」は、保持されない、とホーキングは主張しました。

ブラックホールに落ちた情報が失われることは、因果律を遡って過去を知ることができないということです。
ですが、古典力学と量子力学では、情報が保持されることが大原則です。

そのため、ホーキングの主張は、ブラックホールの「情報パラドクス」と呼ばれます。
そして、この問題に関する長年に渡る議論が始まりました。


ブラックホール相補性とAdS/CFT対応


問題は、情報だけではありませんでした。

「ホーキング放射」によって、事象の地平面のすぐ外側には、プランク長の高エネルギー粒子の壁ができるのです。
そのため、ブラックホールに落ちて行くものは、ここで消滅してブラックホール内に入れない、というパラドクスが生まれるのです。

相対性理論では、このような壁を考えず、ブラックホールに落ちる物質は、事象の地平面を何事もなく通過するので、ホーキングもこれを認めていませんでした。


これに対して、1993年、レオナルド・サスキンドは、「ブラックホール相補性」の考え方を示しました。

ちなみに、サスキンドは、この熱い層を「拡張された地平線」と呼びますが、後に、「ファイアウォール」と呼ばれることになります。

まず、サスキンドは、ブラックホールに落ちた情報は、やがて「ホーキング放射」によって戻って来るので、失われないと主張しました。
また、対発生した粒子の「量子もつれ」は、維持されると。

そして、「拡張された地平線」のパラドクスに関しては次のように考えました。

ブラックホールの外にいる観測者にとっては、ブラックホールの落ちる物質は「拡張された地平線」で消失します。
一方、落ちていく観測者からすれば、「拡張された地平線」は存在せずに、事象の地平面を何事もなく通過します。

そして、この観測者の異なる2つの現実は、どちらも正しいと考えるのが、「ブラックホール相補性」です。
2人の観測者は2度と出会うことはないので、物理的な矛盾が生まれないのです。

「相補性」は、量子力学において、物質が観測によって粒子としての姿を見せたり、波動としての姿を見せたりすることに対する認識上の解釈です。

サスキンドは、この概念を拡張したわけですが、まったく異なる現実をともに肯定する「ブラックホール相補性」が正しければ、その哲学的な革命性は巨大なものとなります。

ですが、当然、このサスキンドの提案に賛成しない物理学者もいたようです。

レオナルド・サスキンド WIKIより


1997年、フォン・マルダセナは、「AdS/CFT対応」を発見しました。
これは、ブラックホールの内側を記述する物理理論が、その境界面(事象の地平面)を記述する量子力学の理論と同じである、といった意味合いの説です(*詳細は後述します)。

これを受けてすぐに、エドワード・ウィッテンは、ブラックホールがその境界面におるグルーオン(素粒子の一種)の運動に対応することを示しました。
後者において情報は失われないので、ブラックホールの情報も失われないことを示しています。

サスキンドは、この理論をもって、ブラックホールの情報問題はけりがついたと主張しました。


アイランド仮説


一方、1990年代前半に、ドン・ペイジは、ブラックホールの「ホーキング放射」によって生まれる「エンタングルメント・エントロピー(「量子もつれ」の度合いを示すエントロピー)を研究しました。

彼は、「ホーキング放射」によって、ブラックホールの「エンタングルメント・エントロピー」は増えていきますが、同時に、ブラックホールは縮小していくと考えます。

そのため、必然的に、ブラックホールの一生の半ばになると、ブラックホールに溜め込める「エンタングルメント・エントロピー」は限界に達して、その後は減少に転じます。

ペイジは、この時から、ブラックホールに落ちた情報は、「ホーキング放射」とともに出ていくと考えました。


2012年、改めて、ポルチンスキー、アルムヘイリらが、「ファイアウォール仮説(ファイアウォール・パラドクス)」を提唱しました。
彼らは、「ブラックホール相補性」に納得していないのでしょう。

アルムヘイリらによれば、「情報パラドクス」を解決するには、「ホーキング放射」の「量子もつれ」が破壊されなくてはいけないのですが、そうすると、事象の地平面に「ファイアウォール」が生まれます。

そして、ブラックホールに落ちていく何ものも、ファイアウォールに接触すると消失し、中に入れないというパラドクスが生じます。

これを解決するために、2019年(?)、アフメッド・ アルムヘイリらは、「ファイアウォール」を必要としない「アイランド仮説」を提唱しました。

これは、ブラックホール内部の「アイランド」と呼ばれる部分が、密かに外部に通じていることによって、エントロピーを持ち出せるというものです。

つまり、2つのブラックホールが「ワームホール」でつながり、「量子もつれ」の状態にあるのです。
そして、放出したホーキング放射と「量子もつれ」状態にある粒子は、「アイランド」を通過することで「量子もつれ」がなくなるのです。
この時、ブラックホールに落ちた情報は保存され、「アイランド」へ脱出します。

これによって、「ファイアウォール・パラドクス」と「情報パラドクス」が解決されるのです。


現在では、ペイジの説と合わせて、ブラックホールの一生の半ばになると、ブラックホールの相転移が起こり「アイランド」が生まれると考えられるようになりました。

ですが、これが定説化されて決着したわけではなく、ブラックホールに関わるパラドクスに関して、物理学者の間では、様々な説が出され、論争が続いています。


ホログラフィック原理


上記のブラックホールの「情報パラドックス」に関連する研究の中で、革命的な理論の発展がありました。


先に、ベッケンシュタインが、ブラックホールがエントロピーを持つことを示したと紹介しました。
ところが、このブラックホールのエントロピーは、事象の地平面の表面積に比例するのです。
従来の常識では、エントロピーは体積に比例するので、この発見は、革命的なものでした。

具体的には、グラックホールに1ビットの情報が加わると、地平面の表面積が1プランク面積大きくなります。

この時点でパラドクスがありました。
ベッケンシュタインが正しければ、事象の地平面は、物質としての情報(ビット)に覆われた面だからです。


これを受けて、サスキンドとトホーフトが、重力理論の基本構成要素は、ある空間に接する表面上に存在するのではないかという仮説を提出しました。

この仮説は、「ホログラフィック原理」とも呼ばれます。


先に紹介したように、1997年に、マルダセナが「AdS/CFT対応」を示しましたが、これは「ホログラフィック原理」を具体的な形にしたものです。

これは、反ド・ジッター空間の重力を含む物理理論(AdS)と、その境界面の重力を含まない量子力学の共形場理論(CFT)が双対(等価)であるというものです。

より一般化すると、n+1次元のAdsとn次元のCFTが双対であるという理論です。

「AdS/CFT対応」は、空間次元や重力が本質的なものではなく、我々の宇宙が実は2次元の実在が投影されたものかもしれないことを示しています。

ただし、「AdS/CFT対応」は、負の曲率を持つ反ド・ジッター空間を対象にしたものであり、これは我々のド・ジッター宇宙とは異なります。
ですが、我々の宇宙においても、類似した関係があるのではないかとして、研究されています。

フアン・マルダセナ WIKIより


ブラックホールと超弦理論


また、超弦理論によるブラックホールの理論化も進みました。

ジョセフ・ポルチンスキーは、ブラックホールがDブレーンと同じように見えると指摘しました。
Dブレーンは、弦が集合した、2次元以上の振動する膜です。

アンディー・ストロミンガーとカムラン・ヴァッファは、Dブレーンと弦によってブラックホールを解釈しました。

事象の地平面は、カラビ=ヤウ多様体(空間の内部のミクロな余剰次元)に巻き付いた2次元のDブレーンだと考えて、そのエントロピーを計算すると、ベッケンシュタイン、ホーキングが事象の地平面の面積から計算したエントロピーと一致しました。

Dブレーンに多数の弦が張り付いているのがブラックホールです。
弦がここから飛び出して行くことで、ブラックホールは縮小して蒸発します。

超弦理論では、重力子は閉じた弦として理解されますが、Dブレーンに接触した弦は、開いた弦になるので、重力が存在しないことになり、「AdS/CFT対応」と合致します。


ワームホール=量子ゆらぎ仮説


1983年、ソーキンが、「量子場のもつれ」を示しました。
真空のある領域とその外の領域は、「量子もつれ」の状態になっているのです。
つまり、近接した量子場=空間はもつれ合っているのです。

彼の発見は、「量子もつれ」と空間に本質的な関連があることを示す、先駆的な研究です。


2006年、「AdS/CFT対応」を受けて、笠真生と高柳匡が「笠-高柳公式」を定式化しました。

彼らは、ブラックホールの「ホーキング放射」を一般化して、「量子もつれ」の発生は見えない領域(ブラックホール)の発生と同じようなものではないかと考えました。

そして、その領域は表面積が最小になるような形状であり、それが「エンタングルメント・エントロピー」によって決まるとしました。

つまり、2次元空間の「量子もつれ」から、空間の3次元目が立ち上がるのです。


また、これに基づいて、ファン・ラームスドンクが2つの2次元空間を結びつける反ド・ジッター空間のチューブを計算し、その最も細くなった部分の断面積が、「エンタングルメント・エントロピー」となることを示しました。
そして、これが一般相対性理論で計算される「ワームホール」の断面積と一致しました。

「ワームホール」は、1936年に、一般相対性理論に基づいて、アインシュタインとネイサン・ローゼンによって提唱されたもので、離れた空間をショートカットしてつなぐチューブのような存在です。(タイトル画像はそのイメージ)


2013年、マルダセナ、サスキンドが、「笠-高柳公式」に基づいて、「ER=EPR仮説」を提唱しました。
これは、「ワームホール(アインシュタイン=ローゼン橋、ER)」と「量子もつれ(アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼン相関、EPR)」が等価であるという仮説です。

アインシュタインは、「量子もつれ」が非局所的な(遠く離れた)因果関係を示すので、量子力学は不完全であると考えました。
ですが、「ER=EPR仮説」によれば、「量子もつれ」があるところには、すべて特別な空間的つながりがあるのです。

「量子もつれ」は2つの系を結びつける糸のようなもので、「量子もつれ」の量が増えると糸の数が増え、連続性を持った時空という織物ができあがるのです。


このように、一般相対性理論の「ワームホール」と、量子力学の「量子もつれ」という、まったく無関係と思われていたものが同じものであり、それが我々の宇宙を3次元空間として成り立たせているのかもしれないのです。


万物理論へ


では、以上の潮流が、どのようにして「万物理論」につながるのでしょうか。

細谷暁夫は下記のように語っています。

本来は、おそらくAdSではない何らかの5次元時空があって、その境界面に4次元のCFTがあり、5次元時空の方からCFTの方に本物の重力が投影されます。
現在のAdS/CFTを研究して、AdSを少しずつ変えていって、もしCFTの方に我々の宇宙に近い重力がでてくれば、目標とされる量子重力理論ができたということになります。


*主要参考文献
・別冊日経サイエンス「ホログラフィック宇宙」掲載の諸論文
・レオナルド・サスキンド「ブラックホール戦争」

*タイトル画像はwikipediaより



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