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記紀の「日隠れ」神話に消された「月隠り」神話
月信仰に関する連続投稿の第一弾です。
世界のほとんどの地域で、月信仰は太陽信仰に先立ちます。
旧石器時代から存在した月の神話は、新石器時代以降に、太陽の神話によって置き代えられていったと推測されます。
これは、日本でも同じでしょう。
そして、天武・持統期には、国家の宗教として太陽信仰が確立されると共に、各地の月信仰が抑圧され、消されたと推測されます。
これについては、他の投稿でも再考しますが、本投稿では、まず、記紀の「天の岩戸隠れ」神話を入口として、その背景に「月隠り」神話があった可能性について考察します。
記紀の「天の岩戸隠れ」神話は、「日隠れ」神話です。
ですが、この神話には、スサノヲが逆剥ぎした天斑駒をアマテラスの機屋に投げ入れた、という不思議な部分があります。
これを紐解くと、「月隠り」神話や「繭籠もり」神話が隠されていた可能性が見えてきます。
また、「天の岩戸隠れ」神話は、様々な神話を組み合わされて作られたと思われます。
その背景になった可能性がある、アジアやオリエント=ヨーロッパの神話を紹介して、その関係を考察します。
具体的には、「射日」神話、「日食・月食」神話、デルメル神話(地母隠れ神話)、「馬娘婚姻譚(養蚕起源譚)」です。
これらは、「日隠れ」、「月隠り」、「繭籠もり」に関わる神話です。
最後に、日本には、本来は「月隠り」神話だったのではないかと思われる神話・伝承がありますので、これらの神話の復元の試みを紹介します。
多数の神話、多数の解釈が登場する、長い文章になります。
*一般に、「新月」と「朔月」は同じ意味ですが、当稿では、「新月」は「再生」に力点を置いて上弦の三日月に近い意味で、「朔月」は「死」に力点を置いた意味で使います。
また、「旧月」は「新月」に対しての前の月の意味で使います。
天の岩戸隠れ神話と天斑駒
記紀の「天の岩戸隠れ」神話は、「日隠れ」神話です。
この「日隠れ」の意味は、「真っ暗になった」と書かれているので、直接的には、日食のように感じられます。
ですが、アマテラスとスサノヲを巡る物語から、天孫ホノニニギの降臨までの物語は、稲作が主要なテーマになっています。
つまり、太陽光と雨水によって稲田で稲穂が実るまでの、稲作の季節循環の神話です。
この文脈の中では、「日隠れ」は冬至(冬季の太陽の衰退)、もしくは、雨季(雲によって太陽が隠される)の表現です。
ですが、先に書いたような謎が存在します。
「天の岩戸隠れ」の原因は、アマテラスの機屋にスサノヲが「皮を剥いだ(古事記では、逆剥ぎした)天斑駒」を投げ入れ、そして、これに驚いたアマテラスが「梭で体を傷つけ」た(古事記では機織女が梭で体を突いて亡くなった)ことです。
これは、何を表現しているのでしょうか?
アマテラスが織る「神衣」と、スサノヲが逆剥ぎした「天斑駒の皮」は、対比的な意味があるのでしょう。
「神衣」を織るアマテラス(機織女)は、巫女として神を祀っていることになります。
その神は明記されませんが、アマテラスが祀るなら、タカミムスビでしょう。
ですが、「日隠れ」神話の文脈的では、太陽神を祀り、その復活を願うため、と考えるべきかもしれません。
他方、神、特に水神に「馬」を供犠として捧げることは、当時、よく行われていて、特に、雨乞には「黒馬」、止雨には「白馬」が使われました。
ですから、「斑駒」ということ、さらには「逆剥ぎ」ということが、ルール違反だったために、アマテラスが怒ったのかもしれません。
これは、「日隠れ」神話の文脈的では、太陽を衰退させること、あるいは、復活させない呪術的行為をなります。
ですが、本来、「斑駒」は月神への供犠だったはずである、と言う説があります。
実際、「続日本紀」には、光仁天皇の時に、ツクヨミに馬を奉るようになったとあるので、馬を月神に捧げることは、不思議ではありません。
それが「斑駒」であるのは、月の模様を象徴するからです。
月の生物とされるヒキガエルに斑点があるのと同じです。
馬の供犠は、月が光を取り戻すことを祈って捧げられたのでしょう。
「皮」ということで言えば、アルタイ地方では、馬の「皮の服」をもちいて、死者の招魂の儀礼が行われていました。
また、日本では、招魂儀礼を死の3日後に行っていた記録があり、この3日には、朔月が三日月として復活する期間の意味があります。
ですから、招魂儀礼自体が月信仰を基にしていることを示しています。
私は、「逆剥ぎ」は、月が欠けることを意味するのではないかと思っています。
それは、月の動物である因幡の白兎が毛を剥がれるのと同じです。
下弦の月は進行方向の西から欠けるので、これは馬の頭からは皮を剥ぐこと(=逆剥ぎ)になります。
一般に逆剥ぎは下半身から剥ぐこととされていますが、それなら、死んだ動物の皮を剥ぐ普通の方法なので、わざわざ「逆」と記す必要がありません。
普通に皮を剥ぐことが死に対応するので、「逆剥ぎ」の儀礼的、呪術的な意味は、死の逆としての「復活」になりえます。
ちなみに、アマテラス(機織女)が織る「神衣」は、太陽の復活を祈るためと書きましたが、月信仰は太陽信仰に先立つので、これも、古くは月の復活を祈るための儀礼だったはずです。
次に、「アマテラス(機織女)が梭で体を傷つけた」ことに関してです。
これは、オオモノヌシの巫女だったヤマトトトビモモノソヒメが箸で陰部を突いて亡くなったことと、同じ暗喩表現です。
つまり、馬=スサノヲとの交合を意味します。
そもそも、アマテラスとスサノヲは、誓約(うけい)を通して、間接的に交合して、子を生んでいます。
アマテラス(機織女)が太陽を祀る巫女であれば、太陽神と交合が背景にあることになります。
ですが、後述する通り、この背景には、太陽神と月神の交合や、地母神と海神との交合、あるいは、蚕女神と風雨雷神との交合があったかもれません。
ちなみに、「天の岩戸開き」の時にも、疑わしい点があります。
この時、賢木の枝に、「八坂瓊之五百箇御統(八尺瓊勾玉)」と「八尺鏡」、そして、布帛(「日本書紀」では、青い布帛と白い布帛)が掛けられました。
青い布帛は翡翠製の「勾玉」、白い布帛は白銅製の「八尺鏡」に対応するのでしょう。
アマテラスのご神体は「八咫鏡」なので、これを掛けるのは分かります。
ですが、「勾玉」は三日月であって、月神の象徴です。
ですから、「勾玉」と「八咫鏡」を掛けたことは、天の岩戸から引き出すのが、本来は、月神と太陽神の両方だったことを示すのかもしれません。
三貴神は月神か
記紀神話では、イザナギ、あるいは、イザナギとイザナミから生まれた太陽神アマテラスと、月神ツクヨミ、スサノヲが、三貴神とされます。
「古事記」では、アマテラスは高天原、ツクヨミは夜の国、スサノヲは海原を統治し、「日本書紀」本文では、アマテラスは天、ツクヨミは青海原の潮流、スサノヲは天下を統治します。
記紀では、スサノヲが何の神であるかは、明確には語られません。
ですが、その働きから、水の大気循環の神であると考えられます。
スサノヲは、海、あるいは、地上から、天に上り、地上の川付近に降って、稲田に入り(クシイナダヒメと結婚し)、最後は根の国に至ります。
記紀神話には、三貴神の一人である月神ツクヨミの神話がほとんどありません。
おそらく、月の神話は、太陽を主神にした記紀神話とは矛盾するため、意図的に消されたのでしょう。
月を信仰する各地・各氏族の神話を抑圧する目的もあったでしょう。
ですが、かろうじて「日本書紀」の一書には、ツクヨミが地上に降りてウケモチを斬り殺すと、その死体から穀物類や牛馬・蚕が生じた、という神話が残されました。
月神が地上に降りることは、一種の「月隠り」を意味します。
月信仰では「死」と「再生」は表裏一体であり、ウケモチを「殺す」ことは、穀物類を誕生させるための行為です。
ですから、この神話は、月男神と穀物女神の聖婚の逆説的な表現でもあります。
月神の神話は、スサノヲに移し替えられたという可能性があります。
記紀では、スサノヲは、イザナミによって海原から追放されますが、上記の「日本書紀」の一書では、ツクヨミが、アマテラスによって天から夜に追放されます。
また、「古事記」では、スサノヲがオオゲツヒメを殺すと、その遺体から穀物類と蚕が生じましたが、これは先に書いた「日本書紀」の一書で、ツクヨミがウケモチを斬り殺した物語とそっくりです。
このように、二神には似た物語があります。
また、スサノヲが、水の大気循環の神、海神であるなら、本来、月神と関係が深い神です。
月神は水(若変水:おちみず)を垂らす神であり、海の潮汐を司る神だからです。
ひょっとしたら、アマテラスにも、月神の姿を見ることができるかもしれません。
そもそも「アマテラス(アマテル)」という言葉は、古くは月を形容する常套句です。
柿本人麻呂は「久方のあまてる月も隠れ行く…」(万葉集)と詠い、西行法師も「あまてらす月の光は神垣や…」(玉葉和歌集)と詠っています。
また、記紀では、アマテラスとスサノヲの誓約(ウケイ)の時、スサノヲは「十拳剣」を渡しましたが、これは、スサノヲにふさわしい神宝です。
ですが、アマテラスが渡したのは「八尺瓊之五百箇御統(勾玉)」であって、「八咫鏡」ではありません。
先に書いたように、「勾玉」は三日月であって、月神にふさわしい神宝です。
射日神話
以降、記紀の「天の岩戸隠れ」神話の背景になった可能性がある世界の神話を紹介して、その関係を考察します。
最初は、「岩戸隠れ」の前日譚でもある、東アジア各地に見られる「射日神話」です。
昔、太陽と月は多数あり、太陽が一度に出ることがあって暑くて困ったので、弓の名手がこれらを射落とし、1つの太陽と月が残った。
ことろが、太陽と月は射られることを恐れて洞窟に隠れたため、世界は暗闇になった。
これに困ったので、オンドリを鳴かせて、太陽と月を外に引き出した。
地域によって、太陽たちが男性の兄弟で、月たちが女性の姉妹という場合と、その反対の場合があります。
つまり、太陽と月の性別には、2通りがあります。
雲南省の少数民族プーラン族の「射日神話」は興味深く、太陽と月は夫婦になって、その後も毎月、「月隠り」の時に交合します。
月は、地球から見て、太陽と同じ方向になった時に朔月となるので、「月隠り」は太陽との密会と想像されたのでしょう。
朔を、月男神と太陽女神の交合とする神話は、インドのヴェーダにもあります。
「射日神話」の「射日」の部分は、記紀神話にはなく、後半の「招日」の部分のみです。
ですが、日本のいくつかの地方で、太陽を的にして射抜くオビシャ神事が今でも行われているので、「射日神話」が日本にもあったことを証しています。
「射日神話」は、創世神話の一種でしょう。
多数の太陽・月があるカオスな状態の世界から、現在の、太陽・月が1つの秩序ある世界になった話です。
ですから、日食や月食、あるいは、冬至の太陽の衰退を表現したものではありません。
ですが、プーラン族の場合は、毎月の「月隠り(朔)」神話の起源譚でもあります。
このように、「射日神話」は、太陽と月がどちらも隠れます。
そして、場合によっては、交合します。
ですから、記紀の「天の岩戸隠れ」神話の背景に、「月隠れ」や、月神との交合があっても、おかしくはありません。
「射日神話」は、太陽と月がほぼ対等であるため、記紀神話では、月神が隠されたのかもしれません。
日食・月食神話
次は、南アジアから東南アジアにかけての農耕民が伝える、日食・月食神話です。
3人の兄弟がいて、二人の兄は太陽と月で、末の弟は輝かない星であり、悪い性質をしていた。
末の弟が兄たちを妬んでと戦う(飲み込む)時に、食が起こる。
神話によっては、兄弟が3人以上の場合や、兄弟ではなく姉妹の場合や、末の兄弟姉妹は輝かない星ではない場合や、悪いのは太陽と月の方である場合もあります。
記紀神話では、三貴神の末の弟であるスサノヲが荒ぶる性質であり、「日隠れ」の原因になります。
両神話の類似性は明らかなので、記紀の神話の原形や別ヴァージョンの一つだった可能性があります。
ですが、食の神話のテーマは、厳密には、「日隠れ」や「月隠り」ではなく、「日隠し」、「月隠し」であり、洞窟に籠もる物語ではありません。
記紀神話は、この「食の神話」と「射日神話」が結びつけられているのかもしれません。
この場合も、「月隠し」の部分が削られています。
デルメルの洞窟隠れ神話
「射日神話」と「食の神話」は、記紀神話のように、年周期(季節循環)の気象を表現する神話ではありません。
ですが、その原形、あるいは、ヴァリエーションと思われる「豊穣神の洞窟隠れ」神話がオリエント=ギリシャにあります。
これは、内陸アジア遊牧文化の神話です。
特にギリシャのデルメル(デーメーテール)神話は、次のように、記紀の「岩戸隠れ神話」と類似しています。
ギリシャの豊穣地母神のデメテルは、娘の穀物女神ペルセポネが冥界に連れ去られました。
デルメルがペルセポネを探し歩いている時、デルメルに情欲を抱いた海神のポセイドンに狙われ、危険を感じたデメテルは、雌馬に化けて馬の群れの中に身を隠しますが、ポセイドンも牡馬になってデメテルに近づき、犯してしまいます。
そのため、激怒したデメテルは、山中の洞窟に籠り、穀物は枯れてしまいます。
「女神が隠れる」、「馬」、「海神の横暴(交合)」などのモチーフが、記紀神話と共通しているため、何らかの影響関係があったと推測されます。
重要なのは、穀物の季節循環の神話であることが共通している点です。
デルメルが隠れることは、秋~冬季に穀物は枯れる(穀物が借り入れられて死ぬ)ことを表現しています。
デルメルの娘は麦の女神ペルセポネで、アマテラスの孫は稲の神ホノニニギです。
デルメルはペルセポネを地下から地上に取り戻し、アマテラスはホノニニギを地上に降臨させます。
どちらも、穀物の実りを表現します。
ただ、古くは、ポセイドンには大地の神という側面もありました。
ですから、デルメルとポセイドンの交合は、大地と馬の神同士の聖婚だったのでしょう。
実際、同じ印欧族であるインドの「リグ・ヴェーダ」には、豊穣儀礼として、王妃と供犠の馬との模擬的な交合が行われたとの記載があります。
馬娘婚姻譚
最後は、やはり「馬(の皮)」と「馬との婚姻」がテーマとなる、「馬娘婚姻譚」と呼ばれる、中国や日本で伝えられている神話です。
これは「養蚕の起源神話」なのですが、私見では、その背後に月の神話があります。
『捜神記』などに記される中国の物語は「馬頭娘」とも呼ばれますが、以下のような物語です。
父が出征中の娘が、戯れに、お父様を連れて帰ったらお嫁さんになる、と馬に語った。
馬が父を連れ帰ると、その約束を聞いた父が馬を撃ち殺し、皮を剥いで干した。
娘が馬の皮を踏むと、馬の皮は娘を包んで飛び去った。
数日後、庭の桑の木の枝に、娘と馬の皮が見つかったが、蚕となって糸をはいていた。
この物語は、女性から蚕が生まれた点では、オオゲツヒメやウケモチの神話と似ています。
ですが、「馬」が重要な要素となっています。
「馬娘婚姻譚」で、娘が馬の皮に包まれて蚕へ変身(再生)したことは、蚕が繭に入って成虫へ変身することの表現でしょう。
実は、興味深いことに、「日本書紀」の一書には、アマテラスが蚕を口に含み、糸を吐き出すという記述があります。
アマテラスは、蚕神でもあるのです!
であれば、アマテラスの「天の岩戸隠れ」の背景にも、「繭籠もり」があることになります。
いずれにせよ、「馬の皮」と「交合」のテーマが共通します。
「馬娘婚姻譚」の背景には、かつての農家での、男性は馬を使った農作業をし、女性は養蚕・機織りをするという分業的な観念がありました。
皇室にも、天皇が農業、皇后が養蚕を束ね、推進するという観念がありました。
ここには、天皇が風雨を制御する雷神(=スサノヲ)、皇后は蚕女神(=アマテラス)であり、両者が交合するという観念もありました。
ですが、蚕と馬のつながりには、別の意味もあります。
実は、蚕の背にある模様と、馬の蹄の跡(蹄鉄)がそっくりなのです。
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「馬娘婚姻譚」では、蚕や娘が馬の頭だと語られることがありましが、それはおそらく、ここから来ているのでしょう。
この模様は一般に「半月紋」と呼ばれています。
私は、この形が三日月であり、月が両者をつなぐと思っています。
先に書いたように、古くは、風雨雷神は、月神でもありました。
「馬娘婚姻譚」には月が出てこないので、証拠はないのですが、月に関わる要素は、時代とともに抜け落ちた可能性があります。
他の特徴からも、蚕は月の虫です。
蚕は、最初は黒い姿(朔月)ですが、白くなり、1ヶ月ほどで満月のような繭に籠もって、復活します。
ですから、蚕は満ちていく月であり、繭は満月なのです。
つまり、「繭籠もり」は、「月隠り」の現れなのです。
「馬娘婚姻譚」でも、娘と馬が、白い虫や黒い虫になったと語られる様々なヴァージョンがあります。
そして、繭から作られた糸は、光を放ちます。
記紀神話でアマテラス(機織女)が織る神衣は、この光る糸で織られるのであり、それは月の霊力を持つのです。
私の考えでは、本来、神衣は、地上に降りた月の霊力を、月神に返すためのものだったのだと思います。
つまり、神衣=馬の皮=繭=満月、です。
そして、「天の岩戸隠れ」の背景には、「繭籠もり」があり、その背景には「月隠り」があるのです。
眼窩と腋窩への日月の隠り
以下の3つのパラグラフは、記紀と「風土記」における、隠された「月隠り」神話の復元がテーマです。
一般に、太陽と月が隠る洞窟は、地母神の子宮(体内)とも考えられてきました。
ですが、子宮以外にも、太陽と月が隠る洞窟に対応する、神の身体の部分があります。
代表的なのは、眼窩と腋窩(脇の下の窪み)です。
古事記では、太陽神アマテラスと月神ツクヨミは、イザナギの左右の眼から生まれました。
この神話の古い背景には、イザナギの眼窩は、太陽と月が隠る洞窟であるという観念があると思います。
実際、縄文土器には、双眼の眼窩と思われるものが付けられた土器が多数あります。
これらは、土器に描かれた諸図像から、月(と太陽)が隠る場所であると推測されます。
また、「古語拾遺」には、アマテラスが子のアメノオシホミミを脇の下に懷いて育てたので、アメノオシホミミのことを「腋子」と言う、と記されています。
この神話は、再生する太陽である太陽神の子が、腋窩から再生することを表現しています。
また、「日本書紀」の一書三では、ウケイの時、スサノヲがアマテラスの八尺瓊之五百箇御統を口に含んだ後、手の平につけてアメノオシホミミを生みました。
この神話の古い背景は、上の腋窩の神話とつながっています。
そして、その原型は、縄文土器に描かれています。
別稿でも少し扱う予定ですが、縄文土器には、神人(半蛙半人)の腋の下に籠もった月が、三日月を象徴する腕を通って復活成長し、手のひらの部分で満月になる、と読み取ることができる図像があります。
「古語拾遺」と「日本書紀」の神話は、これから変わっていますが、一番の違いは、月ではなく太陽ということです。
*このパラグラフの参考文献は「五体に表された天体もしくは眼の図像」小林公明(「光の神話考古 ネリー・ナウマン記念論集」山麓考古同好会・縄文造形研究会編・言叢社に掲載)
高千穂伝承
記紀に記された、天孫ホノニニギノミコトの高千穂への降臨の物語は、収穫して積み上げた稲穂の山に、穀霊が降りることを表現しています。
日本書紀の一書では、ホノニニギは真床追衾を着て降臨しますが、これは、籾殻に包まれた白米=穀霊を意味します。
ですが、以下のように、「日向国風土記」に天孫降臨の物語は、この神話のより古い姿を残しています。
ホノニニギが日向の高千穂の二上の峰に天降りた時、真っ暗だったが、千穂の稲を搓んで籾にして投げ散らすと、太陽と月が照り輝いた。
これは、直接的には、天孫が、「日隠れ」で「月隠り」の時に、籾で太陽と月を引き出した物語です。
ですが、その意味は、太陽の孫(本来は息子)が、稲の穀霊であり、同時に復活した太陽であることを表現しています。
「古事記」では、ホノニニギが降りたところを「朝日の直刺す国、夕日の日照る国」と、太陽が刺す地であることだけを記しています。
ホノニニギノは太陽神の孫なので、「古事記」のように太陽だけを記せばいいはずなのに、「日向国風土記」がわざわざ月も併記しているのは、本来の伝承が「月隠り」神話だったからではないかと疑わせます。
つまり、月神の娘=復活した新月の神=穀霊、という神話が、本当の原型だと推測されるのです。
月女神が洞窟に隠って、光とともに、新月でもある穀霊を地上に生むのです。
別稿でも少し扱う予定ですが、縄文土器には、このような神話を表現する土器があります。
*このパラグラフの参考文献は「花ひらく大地の女神」高良留美子(御茶の水書房)
加賀伝承
「出雲国風土記」に記された「加賀伝承」も、本来は上記の「高千穂伝承」と類似した、「月隠り(新月の神の誕生)」神話だったと推測されます。
「加賀伝承」については、以前にも紹介をしていますが、別稿で改めて詳細を説明する予定なので、ここでは、簡潔に、書きます。
この伝承の本来の形は、次のような物語だったと推測されます。
月の女神であり、貝の女神でもあるキサカヒメが、洞窟に隠り、暗闇で金の弓を構え、太陽を射落として、光を放つ新月の御子であり、出雲の国を作ったサダノオオカミ=オオナモチを生んだ。
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「光の神話考古 ネリー・ナウマン記念論集」より
この神話の背景には、月が太陽を射落としで復活するという古い神話があります。
弓は三日月の象徴です。
これが、先に紹介した「射日神話」の原型でもあると推測されます。
縄文土器にも、月が太陽に弓を引く姿が描かれていて、日本にもこの神話が伝わっていたことが分かります。
出雲は、月信仰の地であった可能性が高いのですが、月が太陽を射落とすという神話は、大和朝廷にとっては、絶対に消さなければいけない神話だったのでしょう。
「加賀伝承」を消さなければ、記紀の「天の岩戸隠れ」神話は成り立たないのです。
*このパラグラフの参考文献は「月母神キサカヒヒメと射日神話」坂田千鶴子(「國文學」2007年3月号特集月光に掲載・學燈社)、「『出雲国風土記』砕かれた縄文月神話の復元」 坂田千鶴子(「光の神話考古 ネリー・ナウマン記念論集」・言叢社に掲載)
*出雲神話では、オオナムチ(オオクニヌシ)に関わる物語にも、4回に渡る隠された「月隠り」神話がありますが、これは別稿で扱います。
*「加賀伝承」の詳細や、オオナムチについては、下記をご覧ください。
*タイトル画像は、天岩戸神話の天照大御神 春斎年昌画 WIKIPEDIAより