冶金と錬金の宗教的コスモロジー
オリエント=ヨーロッパ(アレキサンドリア→アラビア→ヨーロッパ)の「錬金術」が、最初に記録で確認されるのは、帝政ローマ時代初期です。
インドの「錬金術」と中国の「煉丹術」の記録がいつからあるのかは、諸説があるようですが、インドはヴェーダに始まり、中国でも紀元前からあるとする説があります。
これらの地域の「錬金術」、「煉丹術」は、影響を与えあったことが推測されています。
ですが、これらの背景には、有史以前からの「隕鉄」や「冶金」、「錬金」に関わる宗教的な観念、コスモロジーがあります。
当稿では、細部には踏み込まずに、「隕石」、「隕鉄」から、「鉱石」、「採掘」、「冶金」、「鍛冶」、「聖剣」、そして、「錬金」、「煉丹」までに関わる、大まかなコスモロジーについてまとめます。
それは、一言で言えば、天に由来し、大地が育む聖なる金属を、人間が助けて完成させるのが「錬金術」であり、その同じ原理によって、人間の心身を完成させることが可能である、という世界観です。
隕石・隕鉄:天と神に由来する金属
太古から、世界の多くの地域の人々は、「隕石」や「隕鉄」に特別な思いを持っていました。
それらは、天から落ちてくるものなので、天を構成している聖なるものだと考えました。
つまり、天は、石や金属で(も)作られているのです。
金属が光るのは、天が光るのと同じだとも考えたのでしょう。
例えば、古代イランのアヴェスタでは「石」という言葉と「天」という言葉は同じです。
また、「鉄」を意味する言葉は、シュメール語の「天」と「火」からなり、ギリシャ語では「星」と「輝く」からなります。
「鉄」は、「隕石」に含まれる金属の代表なので、聖なる金属であり、悪霊を打ち払うと考えられることもありました。
また、太陽に似た色で光る「金」も、聖なる金属だと考えられました。
また、金属は神的存在の体から作られた、あるいは、世界は金属でできた神から作られたという神話もありました。
イランでは、原人の「ガヨーマルト」から7種の金属が生まれたとされます。
他の地域にも、神的存在の四肢から金属が生まれたという神話があります。
インドのリグ・ヴェーダでは、「ヒラニア・ガルバ」という黄金の胎児から世界が作られたと語ります。
天も地も、その根源は金、しかも、その胎児なのです。
一方、人間に関しては、ギリシャ、インカ、マヤなど世界各地に、最初の人間は石から生まれた、とする神話があります。
また、オリエントでは、「隕石」が神像、ご神体にされました。
古代オリエントを代表する太母のキュベレ(クババ)のご神体には、「黒い隕石」があります。
旧石器時代から信仰されてきたこの太母は、地母神でもあり、天体の母神でもあるのです。
他にも、トロイアのアテナ像、エペソスのアルテミス像、エロス像は、「隕石」に関わっています。
また、イスラム教でも、最も聖なるメッカのカアバ神殿には、黒石がはめ込まれています。
この黒石は「隕石」と関係しているという説もあり、おそらく、キュベレのご神体と同様の宗教観念を継承しているのでしょう。
鉱石・採掘:大地が孕み育てる金属
新石器時代になると、冶金技術が発達するようになり、「鉱山」の「鉱石」から金属が作られるようになりました。
大地は、物質を生み育てて、長い時間をかけて金属にし、最終的には金に完成させると考えられました。
つまり、金属は生命を持つ存在なのです。
そして、「鉱山」や金属が存在する洞窟は「子宮」であり、「鉱石」は金属の「胎児」なのです。
ですから、「採掘」の技術は「産婆術」です。
また、「鉱山」は土地の神々や精霊に守られていると考えられました。
そして、「鉱石」は、動物の狩人に対する態度と同じで、「鉱夫」に対して好感や反感を持って隠れたりする存在と思われることもありました。
そのため、「鉱夫」は聖なる領域に入る宗教者でもあり、「採掘」を始めるに当たっては、宗教的儀礼が必要でした。
冶金・鍛冶:金属の出産と育成
「冶金」は、炉で鉱石を金属として成長させます。
これは、人間が、大地が行う物質の成長を、助けて加速させる行為です。
「鉱石」が金属の「胎児」なら、炉は「人工の子宮」、「冶金」は「出産」です。
そして、「鍛冶」は金属の「育成」でした。
「冶金師」や「鍛冶師」は、文化によって、尊敬される高い地位にいる場合もあれば、軽蔑、差別される地位にいる場合もあり、両義性を備えていました。
「鍛冶神」は、至高神の創造を助ける存在であったり、悪竜を倒すための武器を主神に与えたりする神話があります。
また、文化を作った文化英雄が「鍛冶師」であったり、王が「鍛冶師」の一族であったりする場合があります。
ですから、「鍛冶師」は、魔術師や、文化英雄とも見なされました。
天地を媒介して聖婚を行わせる者とも考えられました。
他方で、「冶金」・「鍛冶」は、神に背く悪霊的性質があるとする神話もあります。
鉄器によって戦争と殺戮の時代が訪れ、平等を原則とする共同体が王国に飲み込まれたことから来るのでしょうか。
「冶金」や「鍛冶」では、「火」、「風」、「水」が重視されます。
「冶金」の過程では、「火」と、「火」に勢いを与える「風」を使うので、これらが金属を成長させる媒介物だと考えられました。
「浄化の火」や「生命の風」の観念は、冶金とも関係しているのでしょう。
また、「鍛冶」の過程で、「火」で熱した金属に「水」をかけることは、「火」と「水」の結婚とも考えられました。
聖剣:竜蛇と智恵
鍛冶の代表的な目的の一つは、「鉄剣」の作成であり、これは金属の完成形の一つです。
「鉄剣(聖剣)」は、「王権」の象徴にもなり、「智恵」の象徴にもなります。
前者の例は、アーサー王の剣であり、後者の例は、文殊菩薩が持つ剣です。
アーサー王伝説では、アーサーが石から聖剣「エクスカリバー」を引き抜くことで、王となる資格のある者であることを証明しました。
石から剣を抜く行為は、採掘から鍛冶のプロセスの象徴でもあります。
つまり、大地の母体から鉄の胎児を取り上げ、成人させることです。
アーサー王にはもう一つの剣が語られますが、これは湖の乙女からもらったものです。
大地の母神とは異なりますが、金属が聖なる女性性に由来するという点では同じです。
「聖剣」は「竜退治」の武器でもあり、「鍛冶師」が神々を助けて竜を倒すという神話もあります。
他方で、剣は「竜蛇の力」とも関係します。
剣はそういう二重性を持ちます。
まず、大地の鉱脈は、竜蛇にも喩えられました。
竜蛇は大地の力でもあります。
また、アーサー王の剣には蛇が彫られているという話もありますし、日本でも草薙の剣(天叢雲剣)はヤマタノオロチの尾から入手されたものです。
「聖剣」は「智恵」の象徴でもありますが、「蛇」も智恵の象徴です。
ですから、「聖剣」の「智恵」は、「蛇の力」を昇華させたものなのでしょう。
その「智恵」は、一方では、無意識的ものや感情(竜蛇)を制御します。
他方、無意識的な創造力を、それを抑圧するものから開放する「智恵」でもあります。
煩悩を断ち切る文殊の剣は、後者の例です。
錬金術:二原理と変成剤、世界霊魂
金属が融解や化学反応で変色し、変成することの発見が、金属は「金」に変成させられるはずだという考えに至らせたのでしょう。
「金」は金属の完成体であり、錆びない不死なる存在と考えられました。
オリエント=ヨーロッパの錬金術では、金属は、「硫黄」と「水銀」の2つの原質から成ると考えられました。
あるいは、四大元素から成るとも、四大元素を構成する四性質(温・冷・乾・湿)から成るとも考えられました。
そして、「金」は、これらの要素が完全な形で結びついた金属なのだと。
ですから、鉱物からこれらの性質を抽出して、正しい比率で結びつければ、「金」が作れるはずだと。
ただし、「硫黄」と「水銀」は、化学で言う物質としての硫黄と水銀ではありません。
この2原質論は、アラビア錬金術のジャービルに始まりますが、彼の段階では。「水銀」とは湿った蒸散気の総称であり、「硫黄」とは煙状の蒸散気の総称でした。
その後、一般にヨーロッパでは、「硫黄」は男性原理、能動性、不揮発性、可燃性、「水銀」は女性原理、受動性、揮発性、可溶性を持つものとされるようになりました。
また、両者を媒介する性質を持つものを「塩」と呼びました。
オリエント=ヨーロッパの錬金術の歴史は、金属を「金」に変成させる「変成剤」の探求の歴史でもありました。
ローマ期のアレキサンドリアのゾシモスはそれを「クセリオン」と呼び、8Cのアラビアのジャービルは「アル・イクシール」と呼び、その後のヨーロッパでは「賢者の石」と呼ぶようになりました。
それらは、「第一質料」や「第5本質」のような、四大元素よりも根源的な物質と関係していると考えられました。
また、物質の組成は、生命体としての物質宇宙の根源的な霊魂である「世界霊魂」の働きで決まるとも考えられました。
金属は、その時々の天体の配列の影響を受けて、大地の中で「世界霊魂」の働きで、育まれるのです。
ですから、鉱物の錬金には、もとの鉱物の霊魂を追い出し、再度、呼び入れる必要があります。
そして、「賢者の石」は、「世界霊魂」が凝縮した物質であるとも考えられました。
賢者の石:万能薬と不死の身体
金属は生命を持つもの、霊魂を持つものであり、錬金術は金属を不死なる「金」へと完成させる技術でした。
人間もまた、生命と霊魂を持つ者です。
そして、万物には照応関係があり、人間もミクロコスモスだと考えられていました。
ですから、人間の心身も、錬金術を同じ原理で、成長し、完成し、場合によっては「不死」なるものになるはずだと考えられました。
そのため、錬金の過程を成就するためには、それを行う術師の精神が清められたものでなくてはならないと考えられることもありました。
あるいは、錬金の過程を成就することが、同時に精神の霊的成長を促すとも。
そして、金属を金にすることができる「賢者の石」は、万能の治療薬でもあると考えられました。
一部の人の間では、「賢者の石」は、身体を「不死の身体」にするとも考えられたのかもしれません。
インドの錬金術や中国の煉丹術では、これが主要な目的です。
擬死再生:錬金術と秘儀宗教
ヨーロッパの錬金術で定式化された「賢者の石」を作るプロセスは、先に書いたように、霊魂の入れ替えを行いますので、一種の「擬死再生」のプロセスを含みます。
これは、ヘレニズム・ローマ期の「秘儀宗教」の秘儀のプロセスと似ています。
秘儀宗教は、神の「死と再生」の試練の神話を、信者が追体験し、これが秘儀伝授となり、死後の幸福を保証するものになります。
錬金術は鉱物を、「秘儀宗教」は人間の心を、再生・浄化して、不死なるものへと完成させようとします。
「秘儀宗教」も錬金術も、ヘレニズム期・ローマ期のヘルメス主義の世界観を共有し、万物は照応するものですから、これは当然なのです。
そのプロセスは下記の通りです。
・準備段階
錬金術では、まず、素材である物質から、象徴的に「水銀」と呼ばれる根源的な女性的要素と、象徴的に「硫黄」と呼ばれる根源的な男性的要素を抽出します。
この段階は、秘儀では、禁欲などによって心を純粋にする準備段階に相当します。
・黒化(腐敗、死)
男性的要素と女性的要素を結合して(=結婚)、根源的な元素(第一質料)にまで分解します。
この時、その物質が持っていた霊魂が出ていきます。
秘儀では、「死」、「冥界下り」に相当します。
・白化(再生)
加熱して物質に純粋で神的な「世界霊魂」を入れて再生させます。
秘儀では、「真夜中の太陽」を見出した後の、純粋な魂としての再生に相当します。
・赤化(完成)
さらに加熱して、物質は様々に変色させて、最後に赤くします。
これは「世界霊魂」を凝縮した「賢者の石」です。
秘儀では、神を見る「見神」体験や「児童神の誕生」に相当します。
・発酵(実用)
「賢者の石」を加工して万能薬ににします。
これは固体状にも液体状にもなり、非金属を貴金属に変えたり、人間の病気を直したりすることができます。
これは、秘儀では、神の血肉(キリスト教におけるパンとワイン)に相当するでしょう。
神話においては「生命の樹の実」や「生命の水」です。
西洋魔術・神秘主義思想と錬金術
ルネサンス思想や薔薇十字思想では、科学と魔術を一体のものといて考えていて、錬金術を重視する傾向がありました。
ですが、両者の間には、違いがあります。
ルネサンス時代には、パラケルススに見られるように、錬金術の物質的側面や、その薬物として利用が重視されました。
ですが、薔薇十字主義の一つの源泉となったジョン・ディー以降には、新大陸からの大量の金の流入もあって、錬金術の物質的側面ではなく、精神的な側面が重視されるようになりました。
さらに、時代と共に科学と魔術の分離が進み、啓蒙主義を経た後の時代には、魔術も神秘主義思想も、あまり錬金術を重視しなくなったと思います。
魔術結社のゴールデン・ドーンも、ブラヴァツキー夫人の神智学も、シュタイナーの人智学もそうです。
評価する場合は、精神的な変容の象徴としての錬金術です。
例えば、ゴールデン・ドーンが重視するカバラの象徴体系には、生命の樹の3本の柱があります。
左右の柱は女性原理と男性原理であり、中央の柱が両者の均衡です。
そして、生命の樹の上昇の道は、2原理への分離と統合、そして、根源への回帰の過程を歩みます。
この点は、錬金術の原理と類似します。
インド錬金術とタントラ
インドの錬金術は、古くはヴェーダの頃に始まり、中世にはタントリズムや密教の思想と習合しました。
また、北インドのアーユル・ヴェーダや、南インドのシッダ・ヴィディヤーといった医学とも習合しました。
インドでは、水銀を主成分とする錬金薬は、「不死の身体」や「解脱」を成就させるものとして考えられました。
インドでは薬の金属素材の中では、「水銀」が最も重要で、今でも使っています。
チベットの仏教医学でも同じで、ダライ・ラマも普通に服用しているはずです。
インド錬金術では、オリエント=ヨーロッパの錬金術と同様に、「水銀」と「硫黄」を2原理としました。
そして、「水銀」を「シヴァ神の精子」、「硫黄」を「パールヴァティの卵子」、「辰砂(硫化第二水銀)」を2人の合体であると考えました。
ですから、インドにおける2原理は、オリエント=ヨーロッパのような、創造された物質の中にある2原理ではなく、未顕現な男性原理と、顕現するエネルギーとして女性原理です。
また、「水銀」を精錬した「聖なる灰(バスマ)」はマントラと同じであるとされました。
この「金属灰」は、火による変成の最終的産物であり、これによって薬物が調製されます。
ただ、「不死の身体」にする錬金薬が、具体的にどのようなものであるのかは分かりません。
ハタ・ヨガの中でも、錬金術の比喩が使われます。
これは、意識の操作とプラーナの操作に、錬金術に同じ原理を見ようとしたということでしょう。
「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」には、「水銀」と「硫黄」の記述が複数あり、「水銀」を安定させることが、意識を不動にすること同じものと見なされています。
ハタ・ヨガの行法では、男性原理と女性原理の結合は、クンダリーニ(=シャクティ=パールヴァティ)の頭頂のサハスラーラ・チャクラ(=シヴァ)へ上昇となります。
そして、その後、サハスラーラにあるビンドゥ(心滴)から「アムリタ(甘露、融解液)」を下降させます。
「アムリタ」は、錬金薬(賢者の石)に相当するものでしょう。
これは、未顕現な根源への帰還と、全身の滋養・活性化を意味します。
「アムリタ」による滋養の延長線上に、「不死の身体」が得られると考えたのだと思います。
密教と錬金術
密教においても、「蘇悉地羯羅経」や「大日経」を初めとして、いくつかの密教経典には、隠語を使って錬金術が説かれているという説があります。
錬金術は世界的に隠語で記されますし、仏教経典は性ヨガについても隠語で記しているので、おそらく正しいでしょう。
また、空海も修した「虚空蔵求聞持法」の経典にも、銅器の中でいくつか材料を撹拌して神薬を得てこれを飲めば聞持(記憶力)を得ると書かれていて、錬金薬を表現しているように読めます。
中期密教では、虚空蔵菩薩が錬金術の主宰神だったとする説があります。
また、高野山の北西には丹生都比売神社(総本社)があり、空海は金剛峯寺を建立するにあたってこの丹生都比売を勧請しました。
丹生都姫は水銀の女神であり、空海は錬金薬を意識していたと推測されます。
密教では、男性原理と女性原理の合一は、仏(動的原理、方便)と仏母(静的原理、智恵)、後期密教では、ヘールカ(静的原理)とダキニ(動的原理、シャクティ)の不二性となります。
そして、クンダリーニは、ヴァジュラ・ヴァーラーヒです。
後期密教のヨガ(究竟次第)の行法においては、男性原理と女性原理の合一は、頭頂部の白いビンドゥと、ヘソ部の赤いビンドゥの合一、あるいは、前者の「菩提心(融解液)」と後者の「火」の合一になります。
「菩提心」を蓄積することによって「不死の身体」が獲得されますが、これは「空色身」、「虹身」と呼ばれます。
中国の煉丹術:外丹
中国の煉丹術は、インドと同様に、錬金術でもありますが、「不老不死」になり、仙人となって神仙界に入ることを主要な目的にしています。
煉丹術で作られるものは、「丹薬(丹)」と呼ばれ、丹砂(硫化水銀)や雄黄(砒素と硫黄の化合物)などを原料とします。
基本的な原理は「陰陽の交合」ですが、ここには、陰陽二気の前の「元気」を発動させるという考えがあったのでしょう。
そして、陽の代表は「水銀」、陰の代表は「鉛」とされました。
前者は「龍」、「日」、後者は「虎」、「月」とも表現されました。
「水銀」は、オリエント=ヨーロッパやインドでは女性原理(陰)なので、中国では反対です。
中国の陰陽二元論は、「陰が極まれば陽に転じ、陽が極まれば陰に転じる」という循環的なものです。
ですから、後には、「陽中の陰(水銀の中の真汞)」と「陰中の陽(鉛の中の真鉛)」の交合も重視されるようになりました。
また、五行に対応する五色の鉱物を混ぜた丹薬もありました。
「丹薬」の素材は毒性がある危険なものなので、唐の皇帝の6人が「丹薬」を服用して死んだことは良く知られています。
他にも多くの文人などが亡くなりました。
そのため、その時代以降、瞑想によって気をコントロールして不死の身体を獲得する「内丹」が主流になりました。
それに対して、他方の従来の金属を加工した煉丹は、「外丹」と呼ばれます。
中国の煉丹術:内丹
「内丹」には、精神的をコントロールする「命功」と、気をコントロールする「性功」があります。
そして、インドやオリエント=ヨーロッパの錬金術と同様、「内丹」は「外丹」と類似した理論に基づき、「外丹」の言葉を比喩として使います。
「内丹」でも「外丹」と同じく、「陰陽」を結びつけたり、「五行」に対応するものを使ったり、「根源的な気(元気)」を重視して、「不死」の心身を完成させます。
言葉も、例えば、気を練ったものには、「丹」や「薬」、気を練る場所には「炉」、「鼎」といった言葉を使います。
また、気を練ると暖かくなることは鉱物を加熱することと同じと考えて「火候」と呼びます。
「内丹」では、身体の中の陰と陽の二気を結びつけて「胎」を作り(結胎)、それを育て(養胎)ます。
これが「胎」と呼ばれるのは、胎児の身体は、汚れのない先天的な二気(その意味で「元気」とも言う)のみの状態と考えられたからです。
このような根源的な状態に戻る修行を「逆修返源」と呼びます。
そのためには、「元気」を「命門(腎臓間)」で目覚めさせます。
そして、気を五行に対応する五臓を回したりするのですが、その時、重要なのは、心臓にある陽気(心火、虎)と、腎臓にある陰気(腎水、玉液、龍)の交合です。
そして、陽気を陰気によって極めることで「陽中の陰」が生じ、陰気を陽気によって極めることで「陰中の陽」が生じます。
この交合や「元気」によって生まれた陽中の陰液は「姹女」、陰中の陽気は「嬰児」と呼ばれます。
*陰陽の交合は、男女交接(房中術)によって行うこともあります。
先天的な陰陽二気を交合させて作られた「聖胎」は、五行に配当される五臓の中心である「黄庭(脾臓)」で成長させます。
ここに、二気を交合した「黄芽」を送り続けて胎を育てます。
そして、「純陽」の気を凝縮した「不死の身体」である「陽神(金丹)」を完成させます。
この「純陽」とは、陰に対する陽ではなく、肉体を構成する汚れた(純粋ではない)気に対する、純粋な気という意味でしょう。
「陽神」は半物質的な身体で、これを頭頂から抜き出し、遊歩させて、さらに育てます。
そして、最終的には、肉体を「陽神」へと解消します。
これは「還虚合道」と表現されます。
*主要な参考書
・「鍛冶師と錬金術師」ミルチア・エリアーデ(せりか書房)
・「黄金と生命」鶴岡真弓(講談社)
・「錬金術の秘密」ローレンス・M・プリンチーベ(勁草書房)
・「密教の秘密の扉を開く」佐藤任(出帆新社)
・「ツォンカパのチベット密教」齋藤保高(大蔵出版)
・「煉丹術の世界」秋岡英行、垣内智之、加藤千恵(あじあブックス)
・「気流れる身体」石田修実(平河出版社)
・「道教と気功」李遠国(人文書院)
*タイトル画像は『賢者の石を求める錬金術師』ライト・オブ・ダービー作より from wikipdia