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竹取物語は竹斯(九州筑紫王朝)取りの物語
「九州王朝論の比較」に書いた文章を転載します。
室伏志畔は、「竹取物語」は近畿皇統による「竹斯(チクシ)」取りを告発する物語だと考えます。
糸島半島の姫島に隠れ住んでいて、平城京遷都の翌年に水死自殺した姫島の乙女が、かぐや姫のモデルです。
彼女は、九州王朝のラスト・プリンセスで、九州王統の高市天皇に嫁ぐはずだったのですが、高市天皇が謀殺され、近畿王朝の実力者達から求婚され、拒否し、自殺に追い込まれました。
「竹取物語」は、近畿王朝が彼女を奪おうとしたことと、九州王朝の三種の神器を彼女から奪おうとしたことが重ねられています。
そして、新生日本が建号した「大宝」は、三種の神器を奪ったことを意味します。
参考
・「誰が古代史を殺したか」室伏志畔
・HP 「南船北馬のブログ(室伏志畔)」内
「倭国の原風景3 姫島」、「歴史の中のかぐや姫、2、3,4」
・「あざむかれた王朝交替 日本建国の謎」斉藤忠
五人の求婚者
持統紀10年(696年)の高市天皇(九州王統の天武天皇の息子)の死の直後に、5人の人物が褒賞を受け、持統の孫が文武天皇として即位しました。
この5人は、さらに大宝元年(701年)に再び褒賞に預かりました。
つまり、この5人は、高市天皇の謀殺などによって九州王統を滅亡に導き、近畿王朝の新生日本の誕生に尽くしたということです。
だから、「竹取物語」は、九州筑紫王朝を奪う物語、「竹斯(チクシ)取り物語」であったことを伝えていたのです。
江戸時代の紀州藩の国学者の加納諸平は、この5人が「竹取物語」のかぐや姫に群がる「色好み5人」に一致することを見出しました。
「竹取物語」 「日本書紀」
車持皇子 ― 藤原朝臣不比等
石作皇子 ― 丹比真人
阿倍御主人 ― 阿倍朝臣御主人
大伴御行 ― 大伴宿禰御行
石上麻呂足 ― 石上朝臣麻呂
藤原不比等は母が車持氏です。
丹比真人は垂仁天皇の時に大石を献じて石作の姓を賜ったとあります。
かぐや姫のモデルと藤氏
かぐや姫のモデルは、「万葉集」二、三巻の歌で詠まれている姫島(博多湾西岸の糸島半島横にある島)の乙女です。
彼女が平城京遷都の翌711年に水死したのを見て、河辺宮人が悲嘆して6首の歌を詠みました。
妹が名は千代に流れむ 姫島の子松が末に苔むすまでに(巻二 228)
この歌がその一つですが、ここに詠まれている「千代」、「苔むす」という言葉が、彼女が王統に属する人物であることを示しています。
かぐや姫は月に昇天しますが、これは彼女が月読命を祀った倭国(九州王朝)の姫であることと、彼女が自殺に追い込まれたことを表現しています。
かぐや姫は、不死の薬を帝(みかど)に呈しましたが、かぐや姫がもういない以上、薬は必要ないとして、帝は富士山でこれを焼きました。
「富士」は、姫島の乙女が九州王朝の名家である「藤」氏の姫であることを暗示しています。
藤氏は、藤大臣と呼ばれた武内宿禰、そして、倭の五王につながる血統です。
不比等は、藤宗家の姫と結婚に失敗したため、この宗家があっては困るので、彼女を水死に追い込みました。
そして、「藤原」の姓を名乗り、藤原氏の家伝を「藤氏家伝」としたのは、この名を乗っ取ったことを示しています。
かぐや姫が不死の薬を与えた帝は、彼女の意中の人ですが、この帝は高市天皇です。
日本書紀は、高市天皇が天皇になったことを消し、息子も長屋王と記していますが、「長屋親王」と書かれた木簡が出土しているので、高市が天皇になったことは証されています。
大和の広陵町の讃岐神社周辺には、次のようなかぐや姫伝承が残っています。
かぐや姫がはるばる九州からお輿入れのためにこの地まで来たけれど、高市天皇の突然の崩御を聞き、悲嘆に暮れる中、次々と「色好み五人」に求婚を迫られ、逃げるように九州に戻ったと。
5人のうちの一人の大伴御行は、かぐや姫に龍の首に掛かる五色の玉の入手の課題を出され、筑紫の方の海で龍を見つけるも、入手に失敗します。
大伴御行は、「続日本紀」によれば、698年に金産出及び貢進の責任者に任じられ、対馬に使を派遣しましたが、御行は騙されたと記されています。
レガリアの奪取と「大法」
斉藤忠によると、御行は筑紫倭国の重鎮で、壬申の乱で天武軍についた人物でした。
対馬には金脈はないので、斉藤は、御行が派遣した使は何らかの工作員だったと推測します。
そして、御行が騙されて、結果的に何らかの形で、九州王朝からの三種の神器のようなレガリアの奪取に利用されたのだと推測しています。
また、「続日本紀」には、「大宝」年号は金に由来すると書かれていますが、金は九州王朝のレガリアを象徴し、それを隠すものだと推測しています。