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真空の相転移とヒッグス場

「現代物理の自然観」に書いた文章を転載します。


物質の「相転移」と同様に、「真空の相転移」があります。

エネルギー密度の違う準安定的な「真空」が多数あり、その移行が「真空の相転移」です。

その際に、「自発的対称性の破れ」が起こります。

これは、宇宙の歴史や物理法則の階層性と対応します。

これらに関わる物理について簡単にまとめます。

主に参考とした書は、下記です。

・「真空のからくり」山田克哉(ブルーバックス、2013年)
・「強い力と弱い力」大栗博司(幻冬舎新書、2013年)
・「宇宙のランドスケープ」レオナルド・サスキンド(日経BP、原書は2006年)


真空状態


古典物理学における「真空(絶対真空)」とは、空間に物質が存在せず、圧力もゼロの状態です。

ですが、量子論における「真空(真空状態)」は、一定のエネルギー密度を持つ最低エネルギーの状態で、そこには「仮想粒子」が存在します。

量子論においては時空間は前提されるものですが、「真空」に「仮想粒子」も存在しなければ、時空間そのものも存在しないと言えるでしょう。

「真空状態」は「真空のゆらぎ」を持っていて、ごく短時間ならエネルギー保存則を破って、何もないはずの真空から素粒子とその反粒子が対発生し、対消滅します。

これらの粒子は観測できないので、「仮想粒子」と呼ばれます。

ですが、「仮想粒子」は、現実に物質に影響を与えるので、実在します。

1997年に実証されたカシミール効果は、その一例です。

これは、真空内に並行に置いただけの2枚の金属板の間に、引力が働くという現象です。

2枚の金属板の間には、距離の整数倍の振動しか存在しないので、エネルギーが少なくなり、引き合うのです。

「絶対零度」は、系のエネルギーが最低で、熱エネルギーを取り出せない状態です。

この時、原子は、古典力学では振動が静止しますが、量子論では不確定性原理があるので静止せず振動しています。

真空の「絶対零度」における最低エネルギー(ゼロ点エネルギー)は、光子の半分のエネルギーなので、光子1個も存在できません。

この真空エネルギーが、ダーク・エネルギーであると考えられます。

ちなみに、現在の宇宙論の定説であるド・ジッター宇宙モデルでは、ダーク・エネルギーの密度が一定です。

宇宙空間は膨張しているので、全体としてのダーク・エネルギーは増大しています。

ですが、超弦理論を基にして2018年に発表された大栗博司らの予想によれば、エネルギー密度は減少し、宇宙は収縮に転じる可能性があります。

彼らの理論は、インフレーション時のインフラトン場に似た、クインテッセンス場を想定します。


弱い力の謎と超電導


自然界には4つの力があります。

重力と電磁力は、粒子の運動を変化させるだけですが、弱い力と強い力は、粒子の性質も変え(交換し)ます。

ヤン-ミルズ理論(1954年)は、電磁気理論を拡張し、強い力を説明しました。

これに対して、弱い力には、3つの謎がありました。

ボゾンが質量を持つので弱い力が遠くに伝わらないと推測されますが、ヤン-ミルズ理論は質量のない粒子を予言するなどです。

南部陽一郎は、BCS理論で説明される超伝導現象に興味を持ち、その本質を、「自発的対称性の破れ」であると見抜きました。

「自発的対称性の破れ」とは、ある対称性を持った系が、より低いエネルギーの状態に安定(相転移)することで、対称性と何らかの保存量が失われることです。

南部は、これを素粒子論に応用し、弱い力を伝えるボゾンが質量を獲得する仕組みを考えました。

超低温の超伝導体の中では、回転対称性が破れ、光子が質量を持つかのようになります。

これと似た原理によって、「真空の相転移」が起こり、ボゾンが質量を持つと考えたのです。

ちなみに、南部陽一郎は、「真空」を「エネルギーが最低で、かつ、あらゆる対称性に対して不変な唯一の状態」と定義しています。

超低温で起こる超伝導では、一つの量子状態のペアになった電子が、空間的な広がりを持つ一つの波として振る舞います。

そして、本来、光速で進む光子は横波しか持ちませんが、減速すると光子が縦波を持つようになります。

「自発的対称性の破れ」が起こると、新しい波(南部-ゴールドストーン波)と、それを担う質量のない粒子(南部-ゴールドストーン・ボゾン)が生まれます。

超伝導体の中では、光子が「南部-ゴールドストーン・ボゾン」と混じり合うことで、質量を持つように振る舞うのです。


カイラル対称性の破れとヒッグス場


1964年、ピーター・ヒッグスらが南部の理論を基に、特殊相対性理論を取り入れて、素粒子が質量を獲得するメカニズムを説明しました。

これは、新しい場を導入するもので、これは「ヒッグス場」と呼ばれ、また、この質量を獲得するメカニズムは「ヒッグス機構」と呼ばれます。

そして、1967、1968年に、ワインバーグとサラムは、「ヒッグス場」を使って、電磁力と弱い力を統一し、「ヒッグス場」の実在を理論的に証明しました。

これによって、弱い力の3つの謎が解け、結果的に電弱力の統一がなされました。

一方向のスピンを持つ粒子同士を入れ替える対称性を「カイラル対称性」と呼びます。

真空が「カイラル対称性」を破ることで「ヒッグス場」が生まれるのです。

「ヒッグス場」は場所ごとにヒッグス値を持ち、粒子ごとにヒッグス荷を持ち、質量はその積で求められます。

ただ、これらの値は逆算して出てくるのであって、基本原理から導かれるのではありません。

この点で、ハドロンの質量がヤン-ミルズ理論から導かれることとは、意味が異なります。

「ヒッグス場」の波の最小単位として、ボゾンに質量を与える「南部-ゴールドストーン・ボゾン」が生まれます。

また、これとは別に質量を持つボゾンである「ヒッグス粒子」が予言されました。

ですが、「ヒッグス粒子」は対称性の破れとは関係なく、「ヒッグス場」のエネルギーの変化に関わります。

2012年には、「ヒッグス粒子」ではないかと思われる粒子が発見されました。


ヒッグス場の誕生


宇宙の歴史で言えば、宇宙の初期には、すべての粒子は質量を持たずに光速で移動していました。

ですが、宇宙開闢の一兆分の一秒後に、「カイラル対称性」の「自発的対称性の破れ」によって、「真空の相転移」が起こりました。

温度が下がることによって、自由度が失われたのです。

そして、「ヒッグス場」が生まれて、素粒子(3つのゲージ粒子)に質量が与えられました。

とは言っても、物質のほとんどの質量は強い力のエネルギーによるもので、素粒子の質量が占めるのは、そのほんの一部です。

この時、光は質量を獲得せず、こうして電磁力と弱い力が分離しました。


超対称性の破れ


ですが、これ以前の、宇宙開闢の10の36乗分の1秒後に「超対称性」が破れる相転移によって、電核力が電弱力と強い力に分離したと考えられます。

「超対称性」とは、フェルミオンとボゾンを入れ替える対称性です。

この対象性が破れた時には、ゴールドスティーノと呼ばれるフェルミオンが現れると予言されています。

この「超対称性」を取り入れた「超対称性理論」は、標準模型にある粒子のパートナーとなる「超対称性粒子」を予言します。

その一部のニュートラリーノは、ダークマターの候補とされます。

ですが、これらの粒子は、まだ見つかっていません。

また、この「超対称性」の破れのからは、最低5種類のヒッグス粒子(ヒグシーノ)が予言されます。

ですから、2012年に発見されたと推測されているヒッグス粒子が、「ヒッグス場」にともなうものであるかどうかは、まだ不明です。


インフレーションと真空崩壊


現在の宇宙論の定説であるインフレーション理論によれば、「超対称性の破れ」による相転移が起こった後、宇宙のインフレーションが起こりました。

一般的なインフレーション理論では、インフレーションは無限に空間(真空)を生成し続けます。

インフレーションを担う粒子としてインフラトン、場としてインフラトン場が仮説として提唱されています。

インフラトンの場は、負の圧力と斥力的重力を持つため、宇宙を急速に膨張させます。

インフラトンは真空から対発生すると、すぐにインフレーションによって距離が離されるので対消滅できずに、仮想粒子ではなく実体化します。

同時に、重力子も実体化します。

ですが、量子的ゆらぎによって、その空間の中に、膨張が停止した泡宇宙が無限に生まれます。

マルチバース説です。

泡宇宙は内側から見れば、空間は無限の広さで、その外側は時間的に過去となるので、外と相互作用することはできません。

我々の住んでいる宇宙は、140億年前にインフレーションが終わった泡宇宙の一つです。

インフレーションをしている間の宇宙の「真空」の温度は絶対零度です。

ですが、インフレーションが終わった後、空間エネルギーが熱エネルギーに転換されました。

こうして、火の玉宇宙のビッグバンが始まりました。

それぞれの泡宇宙の「真空」のエネルギー密度は異なるかもしれず、その場合、物理法則が異なる(同じ基本物理法則でも、定数が異なるなど)かもしれません。

レオナルド・サスキンドは、「真空」を「物理法則がなんらかの特定の形をとる環境」と定義しています。

超弦理論の方程式からは、10の500乗の余剰次元のタイプが現れます。

これを、縦軸にエネルギー密度、横軸にパラメーターを取ってグラフ化すると、ランドスケープが現れます。

そのくぼみに当たるポテンシャルの谷が、一つの安定した「真空」のエネルギー密度を持つ宇宙となります。

現在の我々の宇宙の「真空」は、よりエネルギー密度の低い状態に「相転移」する可能性があります。

これを「真空崩壊」と呼びます。

これは、まず、空間のどこかで量子ゆらぎによって起こり、それが光速で広がり、まったく別の物理法則が支配する宇宙になります。



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