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光の神秘主義2:インド、エジプト、プラトン主義、ユダヤ・キリスト教

前編「光の神秘主義1:有史以前、イラン」に続く後編です。

当稿では、ヒンドゥー教、仏教(密教)、古代とヘレニズム期のエジプト、プラトン主義、キリスト教のギリシャ正教のヘシュカズム、ユダヤ教神秘主義のカバラ、西洋魔術の黄金の夜明け団などの、「光の神秘主義」についてまとめます。




古代インド、ヒンドゥー教


古代インドの「ヴェーダ」の奥義書「ウパニシャッド」の哲人、ヤージニャヴァルキヤは、ブラフマン=アートマン=光、と主張しています。

そして、太陽の光が5色の微粒子として、アートマンがいる心臓の脈管に入り、それが脈管を通して全身に至ります。
このアートマンの「光」の微粒子が、諸感覚器官などにプラーナとして存在するため、外界の認識が可能となるのだと。

このように、「光」は、意識、身体、霊的世界、自然を限らずにして説かれます。


ヴェーダで語られる古代インドの神話では、原初神のアーディティア神群には、光の性質を持った神がいます。
同じインド・ヨーロッパ語族のイラン神話にもいるミトラがその例です。

アーディティア神族は、アスラ神族(阿修羅、イランにおけるアフラ神族)とも呼ばれ、最上位の神々だったのですが、やがてデーヴァ神族(イランにおけるダエーワ神族)に主権を奪われ、悪神化していきました。
両神族の上下関係は、インドとイランで逆になったのです。

ですが、サカ族、パルティア、クシャーナ朝、ササン朝、エフタルといったイラン系の支配の影響を受けたインド西北部から、イランの太陽神や光の神の信仰の影響を受けました。
そして、イランの神々の侵入を受けたり、それに対応するインドの神々の復活が起こったりしました。


インド西北部に起こったバーガヴァタ教は、太陽神「バガヴァット(=ヴァースデーヴァ)」を信仰します。
この神は、おそらく、元はイランのミトラでしょう

バーガヴァタ教は、後に、ヒンドゥー教の、太陽光の性質を持つヴィシュヌの信仰につながりました。

ヴィシュヌ教のパンチャラート派では、宇宙軸の一本の「光の束」(ヴィシャーカユーパ)を説きます。
これは、先に紹介した、シーア派の「一条の光」や、スフラワルディーの「勝利の光」のインド・ヴァージョンです。

また、ヴィシュヌ派のヨガの書「ゲーランダ・サンヒター」では、神を光として観想するヨガが説かれます。


一方、シヴァの別名の一つに「ミヒラーナ」がありますが、これはクシャーン朝でシヴァとミトラが習合したことを示しています。(岡田明憲「ユーラシアの神秘思想」参照)

*イランのミトラは、インドではミヒラと呼ばれ、インドのミトラとは別の神と思われていました。

カシミール・シヴァ派では、シヴァとその恩寵を「光」として捉えます。

ヨガの書「シヴァ・サンヒター」では、シヴァを「光」として体験するヨガが語られます。


このように、比較的顕教的なヴィシュヌにも、密教(タントラ)的なシヴァにも光の性質が加わりました。


仏教(密教)


光や太陽を重視するイランの諸宗教の影響は、仏教にも及びました。
まず、それは、光や太陽の性質を持つ仏として現れました。

*大衆を救済する宗教としての大乗仏教が誕生したのも、仏が人間というより宇宙的な神格のようになったのも、イランの宗教の影響があると推測されます。

釈迦に先立つ仏とされた「燈明仏」がその最初でしょう。

その後も、「華厳経」で太陽に比喩される「ヴァイローチャナ(毘盧遮那仏)」、浄土経系の「アミターバ(阿弥陀仏、無量光仏)」などが生まれました。

密教の主神の「大日如来」は、「マハー・ヴァイローチャナ」の意訳です。
もともと「ヴィローチャナ」はアスラの王とされる神でした。
ですから、これは上記したように、貶められていたアスラ神族の復活であり、その背景には、先に書いたシヴァとミトラの習合もあったのでしょう。


仏教は、もともと、表象なしに現実を認識することを核とする思想なので、「光」の体験を重視することはほとんどありませんでした。

部派仏教の修行においては、サマタ瞑想(止)で「光(ニミッタ)」を見ることがありましたが、この光は、基本的なダルマ(究極法)にも当たりません。

仏教の瞑想体験において、「光」を重視するようになるのは、イランの影響を受けた密教になってからでしょう。

「金剛頂経」では、「五相成身観」や「阿字観」の「月輪」の観想が行われます。
「五現等覚」や「ヘーヴァジュラ・タントラ」の「五相成身観」では、「月輪」に加えて「日輪」の観想が加わります。

後期密教(無上ヨガ・タントラ)では、五仏は5色の光線を放つ存在として観想されるようになりました。


また、「秘密集会タントラ」では、「空」が「光明」と等値され、それが4段階の「光明」として体験されるようになりました。
これは観想ではなく体験です。

これは、究竟次第の瞑想で、人が死ぬ時のプラーナの動きを再現して、全身のプラーナを胸の「心滴」に収束させていくのですが、その時の体験が4段階の「光明」として体験されるのです。

大乗仏教の最重要な概念である「空」と「光明」が対応づけられたのは、大きな画期となります。


ゾクチェンでは、心の根源である法界の三位一体(三段階)である「本体(空)/自性(光明)/慈悲(エネルギー)」を、「青空/太陽/太陽光」の比喩で表現します。

また、心の現れを「水晶/太陽光/虹」という比喩でも表現します。

これは単なる比喩ではなく、そのような「光」としても体験します。


後期密教とゾクチェンでは、「光」の意識を体験するだけではなく、実際に肉体を「光の体」に解消するに至ります。

これらは主に「虹身」と呼ばれ、カルマが尽きると共に、微細身も極微身も尽きて現れる「光」の次元の元素のエッセンスでできた身体とされます。
光の「分光」の次元でしょうか。

ターラ尊を本尊とする母タントラでは、プラーナを操作する究竟次第の後に、胸に観想した虹色のターラ尊から「虹光」が流出して、中央管、身体全体、世界全体に広がる観想を行います。
これによって「虹身光身」を獲得します。

カーラチャクラ・タントラの究竟次第では、頭頂部の白いティクレとヘソの赤いティクレの融解液を中央管内で移動させ、それらを蓄積して、中央管を満杯にすることで、「虹身(空色身)」を獲得します。

ゾクチェンのトゥゲルやヤンティ・ヨガでは、心の根源の本質を、青空や暗闇の中に投射された 様々な「光」として見ます。
そして、カルマを尽くして、最終的に「虹体」を得ます。


古代・ヘレニズムのエジプト


古代エジプトでは太陽信仰が強く、光の比喩もよく使われます。

古代エジプトのヘリオポリスやヘルモポリスの創造神話では、「原初の水」、あるいは「渾沌」、「深淵」などから、「原初の丘」、「宇宙卵」が生まれ、そこから「太陽神」が生まれます。

これらの神話は、本来、「光の神秘主義」が語るような、意識の原初としての「無」からの「光」の誕生を表現したものではないでしょう。
ナイルの洪水からの大地の復活と、日の出による太陽の復活の光景がもとになっていますが、心理的には、無意識からの意識の誕生を見て、それを表現するものだと思います。

ですが、神官達の間では、神秘的な「光」の体験や、秘教的な教義、神話解釈が生まれていた可能性はあると思います。


ヘレニズム期には、エジプトのアレキサンドリアが文化の中心となって、秘儀宗教やヘルメス主義、グノーシス主義が盛んになりました。
そこには、エジプトの伝統的な宗教思想だけではなく、イランの諸宗教の影響など、多数の文化の習合がありました。

これらには、「光の神秘主義」の表現と思われるものがあります。


イシス=オシリス秘儀では、オシリスの死の神話を再体験するために、地下に降りていきます。
そして、様々な行程を経て、最後に、明るい部屋に入り、自らを復活するオシリスであるホルスと同一視します。

これは「真夜中の太陽を見る」と表現され、人間の肉体の中に落ちた魂の神性を、地下の太陽として認識するのです。
ホルスは復活する太陽神でもあります。

その後、光のある地上へ上りますが、これはオシリス=魂の「天上(恒星天)への復帰」を表現します。

このように、魂の内奥に太陽=「光」を見て、「光」の世界に復帰することが表現されています。


ヘルメス文書の「ポイマンドレース」は、アレキサンドリアの神官が書いたものと推測されています。
ここには、前の投稿でも引用しましたが、内なる至高存在である「ヌース(叡智)」について、次のように記述しています。

「光が無数の力からなり、世界が無際限に広がり、火が甚だ強い力によって包まれ、力を受けつつ序列を保っている」

この表現は驚くべきものです。
「光」の体験を、無数の力が影響を与え合っている状態とし、その影響力の強度の序列を語っています。

そして、「ポイマンドレース」は、「神が光と命からなることを学び、自らもこれらからなることを学ぶなら、お前は再び命に帰るであろう」と説きます。
つまり、神=人間の魂の内奥=「光」=命です。


先投稿でも扱いましたが、セツ派のグノーシス主義の文献である「ヨハネのアポクリュフォン」の神話では、原初の至高存在として「光の活ける水」(万物の父)が存在します。

彼は自分が発した自分を取り巻く「光の水」の中に彼自身の像を見ることで、「光の似像」(母)を生み出します。
この「光の似像」は「光の活ける水」を見返すことで、「光の飛沫」(独り子)を生みます。

また、アレキサンドリアで書かれたものと推測されている、同じセツ派の文献に「ゾーストリアノス」があります。

この書では、主人公のゾーストリアノスの啓示的体験が語られるのですが、彼は、「永遠の光の認識(グノーシス)」をもたらす」天使に連れられて、天に昇り、「私の表現を超えた光を受け取った」と語ります。


光と闇の二元論の傾向を持つグノーシス主義の諸宗教では、基本的に光の側の存在はすべて、光の性質を持ちます。
中でも、マンダ教の「ギンザー」や、「エジプト人の福音書」は、光の比喩が多いようです。

「ギンザー」では、光の世界で、「大いなる光の王」、「大いなる輝きの大気」、「活ける火」、「光」、「まばゆい水」などが次々生まれます。

「エジプト人の福音書」では、「大いなる光の父」、「光の雲」である「不滅のものたちの母」、原人間の子であり「四人の大いなる光輝く者」である「確固として立つ光」、「神の光」、「ダヴィデ」、「明けの明星」などが次々生まれます。


プラトン主義


プラトンは、有名な「洞窟の比喩」で、イデアの世界を光の世界、善のイデアを太陽に喩えました。

3C、アレキサンドリアとローマで活動した新プラトン主義のプロティノスも、至高存在の「一者」を光とし、その発せられた光は徐々に減ずると説きました。


同じく、3-4Cのシリアの新プラトン主義者のイアンブリコスは、おそらく初めて、「光の神秘主義」の哲学=「光の形而上学」を生み出しました。

イアンブリコスは、「カルデア人の神託」やヘルメス主義に傾倒して、高等魔術としての降神術(テウルギア)を擁護した人物です。
後のルネサンス以降の魔術的哲学を考えると、非常に興味深い哲学者です。

彼によれば、一なる神の「光」は、存在の階梯に従って下降して人間や万物を、太陽のように照らし、包みます。

人間の魂は、観照(瞑想)によってこの「光」に照らされて、その導きによって上昇し、神々と合一します。

また、「光」は象徴を通して下降し、人間は表象能力によってそれを受け取り、象徴を通して上昇します。


キリスト教ヘシュカズム


キリスト教でも、神的なものに対して光の比喩を使います。
神の恩寵を「照明」と表現することもあります。

初期のものとしては、パウロやヨハネ文書などが、イエスを、=ロゴス=光=生命=真理=恩寵と考えました。


ですが、キリスト教は神秘主義を否定する傾向が強く、教父哲学では、人間の魂は神と断絶しているいため、神は直接認識できないとします。

新プラトン主義が神との一体化を体験するのに対して、キリスト教の教父は、神との隔たりを体験するのです。
そして、これは「神の闇」と呼ばれます。


その一方で、キリスト教の修道院では、エジプトの砂漠で独居して修行する形で始まったのですが、修道士達の中には、祈りの中で神を「光」として見ると者が現れました。
それがギリシャ正教で、神との一体化の体験の伝統として認められるようになりました。

この神との一体化は「人間神化(テオーシス)」、その思想は「ヘシュカズム」と呼ばれます。
ここには、オリエントの秘教やプラトン主義の影響があると推測されます。

初期の教父であるシュメオンは、「光」としての神と一体化した自分の神秘体験から、神の「光」が人間に内在すると主張しました。


このように、キリスト教は、神を「闇」として体験することと、「光」として体験することの矛盾をかかえていました。

例えば、ディオニュシオスは、「光を超えた闇」、「最も暗い闇の中に、最も超越的な明るい光を輝かせる」といった矛盾的表現をします。


この矛盾は、14Cに大主教にもなったグレゴリオス・パラマスによって解決され、「光の神秘主義」として哲学化されました。

彼は、神の「本質(ウーシア)」には触れることはできないけれど、「働き(エネルゲイア)」は「光」として体験できるとしました。
そして、両者は、太陽と太陽光のように一体のものであると主張しました。

彼は、この「光」を、感覚も思惟も越えたものと表現しています。

また、彼は、グノーシス主義とは反対に、身体を「闇」として捉えず、「霊的なもの(光)」が身体を霊化すると考えます。


ユダヤ教カバラ


ユダヤ教も、キリスト教と同様に、本来は、神秘主義を否定する傾向が強い宗教です。

ですが、バビロン捕囚と、ペルシャによる解放を経て、オリエントの思想、特にイラン系諸宗教の強い影響を受けました。
ペルシャによる解放後も、多くのユダヤ人はバビロニアに残り、そこで秘教的な思想も生まれました。

例えば、神の女性的側面の「シェキナー(住居)」が、神の回りの「光」として捉えられるようになりました。
また、同じく神の女性的側面である「ホクマー(智恵)」も、神の「光」を反射する鏡と表現されました。


これらの思想は、フランスやスペインのユダヤ人にも伝わり、カバラが誕生しました。
カバラの書には、「バーヒル(光明の書)」(12C)、「ゾーハル(光輝の書)」(13C)のように、「光」の比喩が多様されました。

「イユーン(思索の書)」(13C)では、10のセフィロートの上の至高存在として、「原初の内密な光」、「透明な光」、「明るい光」という3段階の「光」があるとしました。
これは、後に「無」、「無限」、「無限光」となりますが、神を「光」が誕生する3段階として捉えることは変わりません。

また、「ゾーハル」は、10セフィロートを「光」の流れとして描きます。

カバラの「踊る光」と呼ばれる瞑想法では、10のセフィロートを、それぞれ異なる色の光として見ます。
セフィロートは「分光」であると考えることができます。


西洋魔術


カバラの「光の神秘主義」は、黄金の夜明け団に代表される西洋魔術にも継承されました。

同団の文書を公開したイスラエル・リガルディーは、その序で、団の「全体系はその目的を「光」の引き降ろしに置いている」と書いています。

この「光」は、最上位のセフィラであるテケルから降りてくるものであり、「聖守護天使」と表現されますが、魂の内奥の「高次の自己」でもあります。

この「光」は儀式において視覚化されるとともに、体験されるものです。

また、「中央の柱」の儀式(瞑想法)では、身体に「生命の樹」を対応させて、上方から「光」を、色を変えながら、各セフィロートに対応する身体部位に降ろしていきます。
これは、身体を、「光」の流れ、「分光」としての「生命の樹」に化すものです。


神智学


ブラヴァツキー夫人の神智学は、近代において、東西の神秘主義思想の統合を目指しました。
彼女は、イラン・カルデアの伝統を重視したので、「光」の表現も用いています。

彼女の宇宙創造論では、原初の存在はインド哲学の言葉で「パラブラフマン」ですが、これは「原初の母」とも表現されます。

この母から、子が「光」として生まれ、「光線」が母に差し込むことで、母は「世界卵」になります。

「世界卵」からは「ロゴス」が生まれ、さらに、「原初の七人」と呼ばれる「7光線」が生まれます。

さらに、宇宙が作られ、太陽系の最高神である「太陽ロゴス」が生まれます。

この神智学の宇宙創造論の初期の部分は、ミトラ教的なイラン=カルデアの伝統をかなり忠実に継承しています。


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