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量子もつれと時空の創発

「現代物理の自然観」に書いた文章を転載します。


超ひも理論、ホログラフィック原理(ゲージ重力対応)、量子情報理論などが発展する中で、「量子エンタングルメント(量子もつれ)」が時空を編みだすとする説が生まれました。

この説では、量子エンタングルメントの量を表現する「エンタングルメント・エントロピー」が重要な意味を持ちます。

以下、量子エンタングルメントから時空が創発されるとする説について、その先端的な研究者である高柳匡の「量子エンタングルメントから創発する宇宙」(共立出版、2020)を参考にして紹介します。

最先端のテーマで、大変難解ですが、ぐっと凝縮してまとめます。

高柳は、超ひも理論の研究者で、ホログラフィック原理を用いたエンタングルメント・エントロピー公式である「笠-高柳公式」の発見(2006)で世界的に知られています。

この公式は、エンタングルメントを重力理論の幾何学的性質に結び付けるものです。



エンタングルメント・エントロピー


ある系が全体としては明確な量子状態(純粋状態)であっても、その一部を見ると状態が曖昧になる(混合状態)のが、量子エンタングルメント(量子もつれ)の特徴です。

観測者が粒子Aのみにアクセスできる状況で、粒子Aが点PかQのどちらかにいるかという情報をAが持つ時、この情報量が1量子ビットです。

これをAとBの相関という立場に置き換えると、AとBの間に1量子ビットの量子エンタングルメントがあることになります。

「エンタングルメント・エントロピー」とは、AとBの片方のみを観測できる時、どれだけの情報が欠落するのかを定量化する量です。

これは、量子エンタングルメントがどれだけあるかを定量化したものです。

一般に、系の基底状態は複雑な量子エンタングルメントを有しています。
そして、場の理論の基底状態には面積則が成り立ちます。

つまり、AとBとのエンタングルメント・エントロピーは、系をAとBに分割する境界面の面積に比例します。


ブラックホールとホログラフィック原理


ブラックホールのエントロピーは、ブラックホールの内部に隠れている情報量です。

物質の熱力学的なエントロピーは体積に比例しますが、ブラックホールのエントロピーは表面積に比例します。

ここには、空間次元が1つ少なくなるという謎があります。

この謎を解くには、ブラックホールのエントロピーのミクロな起源を明らかにする必要があります。

ブラックホールのエントロピーは、ベッケンシュタイン・ホーキング公式で表現できます。

この公式は、量子力学のプランク定数、熱力学のボルツマン定数、電磁気学の光速、一般相対性理論の重力定数を含みます。

ですから、この謎を解くには、この4つの理論を統合する量子重力理論が必要になるでしょう。

この問題に対して、量子エンタングルメントを用いるアプローチと、「ホログラフィック原理」を用いるアプローチがなされてきました。

前者からは、ブラックホールのエントロピーは、ブラックホールの内部と外部の間のエンタングルメント・エントロピーとしてミクロに解釈できるのではないか、という予想が出されました。

後者は、ブラックホールのエントロピーを、重力理論の原理と捉えたもので、重力理論の自由度が、1次元低い物質の自由度と等価であると考えるものです。

つまり、ある時空における重力理論が、その境界における量子多体系の理論と等価であるという「ホログラフィック原理」の予想が得られます。


ゲージ重力対応


超ひも理論が進展して、1997年に、J・マルダセナが「ゲージ重力対応(AdS/ CFT対応)」という形でホログラフィック原理を具体化しました。

超ひも理論では、開弦(開いたひも)はゲージ粒子などに対応し、ゲージ理論に対応します。

一方、閉弦(閉じたひも)は重力子などに対応し、重力理論に対応します。

円筒を考えると、90度回転する(立てて見るか、倒して見るか)ことで、それを開弦の時間発展とも、閉弦の時間発展とも捉えることができます。

これは、開弦と閉弦が同じ物理現象を違う視点で見たものと考えることができるということです。

このことは、ゲージ理論と重力理論は同じものであることを示唆します。

この時のゲージ理論は「共形場理論」です。

場の理論の中で、長さのスケールを理論に含まない理論を「共形場理論」と呼びます。

この理論では、粒子はすべて質量がゼロで、長さのスケールを変化させても物理法則は不変なスケール対称性を持っています。


時空の幾何と量子エンタングルメント幾何


開弦が付着する物体をDブレインと呼びます。

これは閉弦の塊と考えることができます。

この塊から弦を引っ張り出した状態が、Dブレインに付着した開弦です。

ブラックホールもDブレインと考えることができます。

ゲージ重力対応において、ゲージ理論の量子エンタングルメントを重力理論で計算することを考えると、ブラックホールのエントロピーの公式の面積Aを反ドジッター時空(AdS)における面積が最小になる曲面の面積に置き換えた公式で与えられます。

これが、「笠-高柳公式」です。

つまり、ゲージ重量対応を経由すると、重力理論のエントロピーを1次元低い共形場理論(CFT)のエンタングルメント・エントロピーと解釈できるのです。

・5次元重力理論(AdS) :エントロピー(体積則)   :時空幾何
・4次元ゲージ理論(CFT):エンタングルメント・エントロピー(面積則):エンタングルメント幾何

そして、重力理論における時空の幾何構造は、共形場理論の量子状態における量子エンタングルメント幾何構造に対応します。

これから、重力理論の宇宙は、量子エンタングルメントから創発するという予想が得られます。

そして、共形場理論のある領域にある情報が、重力理論の反ドジッター時空のどこの情報に対応するのかも導け、この場所を「エンタングルメント・ウェッジ」を呼びます。

また、ゲージ重力対応のメカニズムの背後に、「量子誤り訂正符号」と呼ばれる量子計算の冗長性を利用したエラー訂正の手法があると予想されます。

「エンタングルメント・ウェッジ」の構造は、「量子誤り訂正符号」の性質を有しているのです。


量子情報からの宇宙創発


重力理論のマクロな宇宙(時空)は、ミクロな情報ビット(プランクスケールのミニ宇宙)の集合体と見なせます。

最初に、量子エンタングルメントがまったくない場合、これは、つながっていないサイズがゼロのミニ宇宙が無数にある状態です。

ここに量子エンタングルメントが加わっていくと、ミニ宇宙同士がつながって大きくなります。

これを繰り返してすべてがエンタングルメントしている状態になると、ミニ宇宙がすべてつながった反ドジッター時空のようなマクロな宇宙が創発されます。

ゲージ重量対応では、共形場理論のエンタングルメント・エントロピーを幾何学的に面積として計算することができます。

そのため、共形場理論の量子エンタングルメントの構造から、重力理論の時空が創発すると期待されます。


テンソル・ネットワーク


このアイディアを具体的に実現する模型が、量子多体系の量子状態を表す波動関数をネットワークの形で幾何学的に記述する手法である「テンソル・ネットワーク」です。

「テンソル・ネットワーク」は、量子エンタングルメントの集合体を表していて、全体としてマクロな空間を表現します。

共形場理論の基底状態の波動関数を表すことができる「テンソル・ネットワーク」が「MERA」です。

これは、実空間の繰り込み群の一種である「エンタングルメント繰り込み」と呼ばれます。

これは、ゲージ重量対応の反ドジッター時空の時間一定面に相当するのではないかと推測されます。

これが正しければ、「テンソル・ネットワーク」で時空の創発メカニズムが理解できます。


経路積分の効率化


経路分析を離散化すると、テンソル・ネットワークと見なせます。

それによって、場の理論の量子状態をテンソル・ネットワークとして表現することができます。

著者らが「経路積分の効率化」と呼ぶ手法を使うと、反ドジッター時空の時間一定面を離散化した空間が得られます。

ブラックホールの時間一定面を再現した方程式からは、2つの共形場理論が量子エンタングルメントを有している場合、ゲージ重量対応で見ると両者の間をワームホールがつないでいることに対応します。

J・マルダセナは、笠・高柳公式を根拠に、一般相対性理論のブラックホールをつなぐワームホールと量子エンタングルメントが等価(ER=EPR)であり、量子エンタングルメントがあるところはすべて幾何学的つながりがあるのではないかと考えました。

こうして、「経路積分の効率化」によって、ゲージ重力対応が予想する反ドジッター時空やブラックホールの幾何学が創発されます。

ただ、本当に重力理論を共形場理論から導出するには、アインシュタインの一般相対論そのものを導く必要があり、計量を求めることはその一歩に過ぎません。


量子計算の複雑性


テンソル・ネットワークは広い意味での量子回路と見なせます。

そして、量子系の数値計算の効率は、量子計算の複雑性と見なすことができます。

量子状態の複雑性は、そこに現れるテンソルの数として見積もりことができます。

共形場理論の状態の複雑性の度合いが、対応する重力理論における時刻一定面の体積に相当すると予想されます。



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