エンタメ作品の魔法と実際の魔法:世界観
メディアを問わず、現代のエンターテインメント作品では、「魔法」や「魔法使い」というテーマやモチーフが盛んに使われていて、それが衰える気配もありません。
エンタメ作品が描く「魔法」や「魔法使い」は、ほとんどが空想上のものですが、その一方で、「魔法」、「魔法使い」というものは、歴史的に実在してきました。
本投稿は、「エンタメ魔法」と比較しながら、この歴史的に実在してきた「実際の魔法」を紹介します。
まず、最初の本投稿では、両者の世界観について比較・紹介します。
続く投稿では、魔法の具体的な種類と技法について比較・紹介します。
長い文章になってしまいましたが、私がそれほど詳しい分野の話ではないので、気軽に読んでください。
魔術と魔女術の違い
まず、最初に、魔法と言っても、「魔術(magic)」と「魔女術(witchcraft、wizardry)」はまったく異なる別の伝統で、それぞれの世界が異なることを、書かないといけないと思っています。
同様に、「魔術師(magician)」と「魔女(女性はwitch、男性はwizard、wicca)」も区別すべきものです。
ですが、私の知る限り、エンタメ作品では、どちらかの世界を忠実に描く作品は、ほとんどありません。
忠実どころか、かする程度でしょう。
そもそも、エンタメ作品の魔法は、そのほとんどが、「ファンタジーもの」、「異界もの」における一要素として登場し、 魔法そのものが重要テーマとなっている作品は、ごくわずかです。
また、魔法使いや「魔女」が登場しても、普通の人間ではなく、魔族のような異種族であり、その種族の能力とされる、つまり、現実的でないことも多くあります。
その一方で、自身が実際の「魔術師」や「魔女」でもある作家が書いた作品もあります。
ですが、それぞれの世界観が表現されてはいても、実際の「魔術」や「魔女術」の実態を詳しく描くものは、ほぼないと思います。
海外作品の場合は、2つの言葉が違うので、必然的にどちらか寄りの作品になりますが、2つの世界観が混じっていることが多いようです。
日本の場合、どちらについても、「魔法」とか「魔法使い」という言葉が使われることが多いので、この2つの世界の区別が意識されることは、ほとんどありません。
「魔術」と「魔女術」の違いですが、「魔術」は、イラン系のメディア神官の「マギ(単数形はマゴス)」に由来し、オリエント・ギリシャの古代神学の階層的な宇宙論・パンテオンや象徴体系に基づいて、天上の力を地上に降ろし、それに導かれることを主目的にします。
近代以降、多くの場合は、魔術結社を組んで集団で実践します。
一方、「魔女術」は、ゲルマン、ケルト、ローマなどの神話的宗教、伝統的な自然宗教に由来し、シャーマニズム的な世界観に基づいて、自然や大地の豊穣を主目的とします。
本来の「魔女」は、「シャーマン」や「呪医」、「司祭」と呼ぶべき存在です。
「witch」や「wizard」などの言葉は、もともと「賢者」という言葉から来ています。
ですから、彼らは、「魔術師」のように魔法をなりわいにする者というわけではありません。
本来の「魔女」は、男性と女性がそれぞれに別の結社を組むことが多かったようです。
現代のエンタメ作品が表現する魔法の世界観は、多くが「魔女術」寄りものになっています。
その理由は、魔法が扱われる作品のほとんどが「ファンタジーもの」で、トールキンの作品に大きな影響を受けているからです。
トールキンは、キリスト教化によって失われた、ヨーロッパの伝統的な神話(ゲルマン・北欧、ケルト神話など)の世界観を復元しようとしました。
(同時に、神話の背景にある真実の歴史も復元しようとしましたが。)
また、後でも書きますが、エンタメ作品には、サブカルチャー的要素があり、それが現代の「魔女術」の思想と共通するという理由もあります。
魔女術の世界
「魔女」などいなかったという説もありますが、かつての「魔女」がどのような存在であったのかは、中世以来、行われた魔女裁判の記録から分かります。
キリスト教側は、「魔女」を悪魔に使える邪悪な存在として告発していたのですが、「魔女」たちは、自分たちが伝統的な神々に仕え、悪霊、悪神と戦う正義の存在であると潔白を訴えました。
もちろん、一切、この弁明は認められることなく、「魔女」たちは火炙りにされました。
魔女狩りの実態は、キリスト教による伝統宗教の破壊でした。
「魔女」が担うのは、季節循環が正常に行われて、農耕や牧畜の豊穣が確保されるための季節の儀式です。
これは、神話に表現されている伝統宗教の豊穣の神に仕え、敵となる悪霊、悪神と戦うことなのです。
彼らは、世界各地のシャーマンと同様、トランス状態になって脱魂し、使い魔の動物などに変身したり、それに乗ったりして異界に飛翔し、そこで働きました。
女性の「魔女」は、女性の豊穣神(ディアーナ、ペルヒタ、ホルダ、フレイヤなどの地母神、穀物女神、月女神、金星女神など)に仕えました。
そして、女神が動・植物を再生するのを助けたり、悪霊が奪った麦の芽を取り返したりしました。
一方、男性の「魔女」は、男性の豊穣神(ケルヌンノス、パンなど有角神や獣神、牧神、オーディンのような主神など)に仕えました。
そして、男神と共に、豊穣を害したり、収穫を奪おうとしたりする悪霊と戦いました。
オオカミに変身して戦うこともあったので、これが誤解されて狼男の伝説になりました。
また、シャーマンが多数のスピリット・ヘルパーを使うように、魔女は使い魔を使います。
おそらく、呪医として、悪霊や呪いに対する対抗のためでしょう。
これらは、魔法というより、「呪術(Sorcery)」というべきものです。
これが本来の「魔女」の世界です。
ですが、この本来の「魔女」は、数世紀に渡る魔女狩りによって、事実上、絶滅したのではないかと思います。
秘密裏に細々と部分的に伝えられることはあったとしても。
1951年にイギリスで魔女禁止令が廃止されたのをきっかけに、「魔女術(魔女宗)」の復興運動が、英米を中心に始まりました。
ですが、現代の「魔女術」は、「魔術」の影響を受ける一方、脱魂して神々と共に働くというシャーマン的な側面を失っているようです。
また、フェミニズム運動やエコロジー、自然回帰思想などのカウンターカルチャーと共鳴する流派が多くなっています。
そのため、現代の「魔女術」は、女神信仰を中心にして、ユダヤ・キリスト教や古代神学の要素を切り捨てた、簡単な「魔術」的儀礼を行うものになったとも言えるかもしれません。
ちなみに、現代の「魔女術」は、「ネオ・ペイガニズム(新異教主義)」という伝統宗教の復興運動の一つとして捉えられています。
現代の「魔女術」は、季節に応じて、大地(穀物や動物)や太陽の力が、復活・誕生したり、成長したり、盛んになったり、衰退したり、死ぬような、季節循環のイメージングを行います。
それによって、女神の創造力を体感し、自然と調和し、自然循環であるその死と再生を体感するものになっています。
ちなみに、日本のマンガ・アニメ『葬送のフリーレン』の世界観に、女神信仰が描かれていることは興味深く思えます。
そして、主人公の師匠・弟子筋が4代に渡って女性魔法使いであること、主人公が花畑を作る魔法を好むこと、そして、冒険の旅が寒い北の国に向かい、一種の死と再生をテーマにしているかもしれないことも。
ハリー・ポッター、指輪物語、アーサー王伝説
ハリー・ポッターが通う学校は「Hogwarts School of Witchcraft and Wizardry」なので、『ハリー・ポッター』シリーズが描いているのは、「魔女術」の世界です。
『ハリー・ポッター』では、箒に乗って飛行する場面があるのも、このことを示しています。
女性の「魔女(witch)」が箒に乗って飛行することは、シャーマンが馬に乗って飛行することを模したことが由来でしょう。
ですから、馬の頭をつけた棒にまたがることが本来の姿です。
それが、ヘカテーに仕える産婆(産婆もシャーマン的存在でした)の象徴である箒に代わったのです。
本来は、掃く部分を頭にし、柄の部分に幻覚性の軟膏を塗って乗ったという説もあります。
箒は女性の持ち物であって、男根象徴でもあるかもしれません。
ですから、男性の「魔女(wizard)」が箒に乗ることはありません。
箒に対応する男性の象徴的な道具は、干し草用の三又です。
ちなみに、「魔女」の最大の聖器は、再生の象徴である大釜です。
また、『ハリー・ポッター』で動物の姿の守護霊が登場することも、「魔女術」の世界であることを示しています。
シャーマンの守護霊は「パワーアニマル」と呼ばれるように、動物であることが多いのです。
それに対して、「魔術」における守護霊は、基本的に守護天使であって、動物ではありません。
ただ、呪文にラテン語が多い点や、「賢者の石」という言葉には、「魔術」の要素を感じますが。
現代の作品の中で、最も有名な魔法使いは、トールキンの『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リングス)』に登場するガンダルフでしょうか。
ガンダルフは、杖を持ち、時には三角帽子をかぶる白髪の老人であり、この姿がエンタメ作品の魔法使い像に影響を与えています。
そのガンダルフは、魔法使いの性質を持つゲルマン神話のオーディンをモデルにしているようですが。
ガンダルフは、トールキンの世界の言葉では「イスタリ」ですが、これには「賢者」という意味があり、英語の「wizard」に当たるものです。
トールキンの世界では、魔法そのものはそれほど重視されず、ガンダルフも知識を与える賢者であり、助言者としての役割が重要です。
このように、従来の物語世界における魔法使いの多くは、主人公に対する助言者、予言者として登場します。
少し遡って、古典作品の中で、最も有名な男女の魔法使いは、『アーサー王伝説』群に登場するマーリンとモーガン・ル・フェイでしょう。
マーリンは「魔術師(magician)」とされますが、彼は予言者としての性質が強く、実際の「魔術師」としての姿は描かれません。
マーリンは夢魔を父として生まれながら、キリスト教の洗礼を受けた人物です。
ですが、その最期は、湖の女精霊によって封印されたので、ケルトの宗教に勝てなかったことになります。
それに対して、モーガンは、ケルトのドゥルイド教司祭であり、完全に「魔女(witch)」として描かれます。
現代の作品で、マリオン・ジマー・ブラッドリーがアーサー王伝説をリメイクした『アヴァロンの霧」は、実際の「魔女」の世界観を取り入れた作品として知られていて、ドラマ化もされています。
この作品では、主人公的存在のモーガンが、ケルトの伝統宗教を守ろうとするアヴァロンの地母神の女司祭として描かれます。
モーガンは女司祭として、将来のブリテン王のアーサーと聖婚の儀礼を行う場面もあります。
実は、作者のブラッドリーは、ゴールデン・ドーン系の有名な「魔術師」であるダイアン・フォーチュンの影響を受け、魔術結社も運営していました。
フォーチュンは、伝統宗教の女神信仰にも傾倒し、女司祭をテーマにした小説『海の女司祭』、『月の魔術』などを発表しています。
フォーチュンの作品は、現代の「魔女術」に影響を与えました。
他にも、本物の「魔女」が書いた小説があります。
例えば、現代の「魔女術」の父であるジェラルド・ガードナーは、古代キプロスの女司祭を描く『女神の到来』を発表しています。
やちなみに彼は、「魔術」にも詳しく、『高等魔術の援助』という小説も発表しています。
以上のように、魔法を扱う多くのエンタメ作品は「魔女術」寄りのものですが、ごく一部を除いて、実際の「魔女」のように、自然循環・豊穣を守るために働く姿は、描かれていないように思います。
魔術の世界
「魔女術」に比較した「魔術」の特徴には、垂直的ヒエラルキーの世界観・パンテオンや、象徴体系に基づいて、諸霊・諸力を召喚することがあります。
このような神霊や天使の世界にイニシエートされる(秘儀参入する)ことで、人格を変容し、神的な存在の器となることが、「魔術師」が目指すことです。
ですが、エンタメ作品で、そのような「魔術師」の姿が描かれることはほとんどないでしょう。
「魔術」の他の特徴には、ある種の学問性、合理性、科学性があります。
先に書いたように、「魔術」は古代神学に基づいています。
具体的には、イランの宗教、カルデアの占星学、エジプト魔術的思想(実際にはヘレニズム期のヘルメス主義)、ギリシャ哲学、ユダヤ神秘主義のカバラなどです。
「魔術」は、このような諸学に基づいて合理的に体系化がなされたもので、古代科学の実践部門のような存在です。
*魔術の時代における違いについては、最期のパラグラフで紹介します。
鋼の錬金術師、魔法科高校の劣等生
先に書いたように、実際の「魔術師」を描くエンタメ作品を、私は知りません。
神霊や悪魔などの召喚は「魔術」に必須のものですが、エンタメ作品では、ごく限られます。
最近流行りの「異世界転生もの」では、主人公の人間が異世界に召喚されることが多いですが、これは意味が違います。
日本の元祖「魔法もの」のマンガである『悪魔くん』は悪魔を召喚するので、基本的に「魔術」の世界観に属しますが、これは例外的です。
ですが、魔法を合理的に解釈して描く作品はあります。
日本のマンガ、アニメの『鋼の錬金術師』は、「魔術」ではなく「錬金術」という言葉が使われていますが、これは実際には「魔術」に近いものです。
魔法陣(魔法円)である「錬成陣」を使う点でも「魔術」的です。
また、真理の世界への扉である「真理の扉」に、カバラの象徴体系である「生命の樹」が描かれていたりもします。
逆に、実際の「錬金術」の世界観は、ほぼありません。
「錬金術」の方法論は化学ですから。
「賢者の石」という言葉が使われていますが、実際の「賢者の石」とは異なる性質のものです。
『ハリー・ポッターと賢者の石』の方がまだ本物に近いものです。
この作品では、魔術’(=錬金術)を物質変性とし、そこに「等価交換」という質量保存則のような法則の設定をしている点で、科学的、合理的な解釈の匂いがあります。
また、それほど有名な作品ではありませんが、日本のライトノベル、アニメの『魔法科高校の劣等生』は、魔法が科学的に利用された時代を舞台にして、魔法を合理的に解釈した細かい設定をしている点で、とても興味深い作品です。
この作品では、魔法使いを「魔法技能士」と呼び、魔法の術式をまるでプログラムのようなものとして扱っていて、主人公はほとんど天才エンジニアのような存在です。
そして、『鋼の錬金術師』が物質の変成としているところを、情報論的に情報(形相的情報)の書き換えと捉えます。
また、「肉体」、「幽体」、「精神体」といった、神秘主義の世界観に似た階層的な世界観があります。
上位の世界を情報世界として捉えたり、「サイオン」、「プシオン」といった上位世界の原子(質量的単子)を考えたりするところは、近代神智学と似ています。
そして、魔法を、無意識領域に送ったイメージが、プログラムのような「魔法式」の情報に変換され、魔法が働くとしています。
魔法が無意識を経由させて働くものとしている点は、実際の「魔術」の理論と一致します。
ちなみに、エンタメ作品で、「魔術(Magic)/魔女(Witchcraft)」を区別して表現する作品は、ほとんどありません。
ですが、日本の漫画、アニメ『魔法使いの嫁(The Ancient Magus' Bride)』は、「魔術(魔術師)」と「魔法(魔法使い)」を区別しています。
ですが、「魔術」は、この世の理を理解して魔力で利用する科学、「魔法」は、妖精や精霊の力を使って理に干渉する奇跡、と説明されます。
ですから、実際の「魔術(Magic)/魔女(Witchcraft)」の区別とは異なります。
「魔法使い」を英語タイトルで「Ancient Magus」としているので、「古い魔術師」という意味になります。
魔女術と脱キリスト教
ユダヤ、キリスト教は、善悪二元論の一神教です。
「魔女術」の世界観も、本来の「魔術」の世界観も、これとは異なります。
キリスト教は、神話的伝統宗教に由来する「魔女」を悪魔視して否定しました。
『ハリー・ポッター』も、福音派などから批判の対象となりました。
また、古代神学に由来する「魔術」に関しても、一概には言えませんが、否定的に見てきました。
ですが、実際の伝統的な「西洋魔術」、つまり、中世・ルネサンスの「魔術」は、キリスト教の影響を受けていて、天使や悪魔を召喚します。
ですが、エンタメ魔法では、これはあまり描かれません。
キリスト教的な作品になることが嫌われるからでしょう。
エンタメ作品には、サブカルチャー的要素もあり、脱キリスト教、脱男権主義の志向があります。
この点で、現代の「魔女術」とは共通します。
エンタメ作品のトールキン以来のファンタジーの世界観は、現代の「魔女術」同様に、広義では「ネオ・ペイガニズム」に含まれるのではないかと思います。
そのため、エンタメ魔法では、「魔術」よりも、ファンタジーの世界観と親近性が高い「魔女術」の世界が描かれることが多くなります。
先に書いたように、本来の「魔女」は、悪霊と戦いました。
ですが、これは、キリスト教の悪魔とは異なります。
実際、現代の「魔女術」では、悪霊を、自然循環の一側面、あるいは、その不順として受け取っています。
伝統的な自然宗教の世界観では、死や冥界は悪ではなく、再生と一体のものであり、生の基盤です。
ですが、現代の「ファンタジーもの」にも、キリスト教の影響があります。
トールキンはキリスト教の信者でもあったので、彼の作った世界には、倫理的な善悪二元論の傾向があります。
ですから、彼の影響を受けた「ファンタジーもの」もそれを受け継いでいます。
エンタメ作品に良く登場する悪役の「魔王」、「魔族」には、ゾロアスター教起源のユダヤ、キリスト教の善悪二元論的な悪魔観の影響があります。
「魔族」は英語では「demon」ですが、その原語はギリシャ語の「δαίμων(ダイモーン)」で、これは「神霊」、「守護霊」の意味です。
キリスト教がそれを悪魔とみなしたのです。
「魔女」、「魔術師」、「ドラゴン」、「魔王」は、いずれも、キリスト教が悪魔視したものです。
エンタメ作品では、「魔女」、「魔術師」は、このキリスト教的偏見から解放されていることが多くなりました。
「ドラゴン」も、一部で解放されている作品があります。
ですが、「魔王」、「魔族」はほとんど解放されていません。
エンタメ作品は、どうして分かりやすい勧善懲悪が求められるからでしょう。
ですが、例外もあります。
例えば、日本のライトノベル、マンガ、アニメの「魔王学院の不適合者」は、「魔王」が主人公で、ヒーローです。
「魔族」を憎む心を持つ人間が悪であり、「魔族」の方が愛を訴えます。
日本にはキリスト教のバックボーンがないので、このような作品が生まれやすいのでしょう。
魔術と脱キリスト教
「魔術」の背景はオリエント・ギリシャの宗教や占星学、古代神学です。
ですから、「古代魔術」はキリスト教ではありません。
例えば、ギリシャ文化圏の「魔術」では、天使ではなく、目的に応じて、アポロンだったり、アルテミスだったりと、神話の神々を召喚します。
また、悪魔ではなく、冥界の神々、例えば、ヘカテーを召喚します。
冥界の神々は、キリスト教が考えるような悪魔でも魔王でもありません。
そして、惑星霊ではなく、それに対応する神々を、金星ならアフロディテ、水星ならヘルメスを召喚します。
「魔術」は様々な「力」を扱う技術体系なので、そもそもキリスト教の善悪二元論的や一神教とは相性が良くありません。
中世・ルネサンスの「魔術師」は、キリスト教を否定できないので、苦労して両者を統合させてきました。
そして、神々は、天使と悪魔に置き換えられました。
ですが、近代の「魔術」は、必ずしもキリスト教の世界観をそのまま受け入れてはおらず、実際には、それを脱構築しています。
「近代魔術」を代表するゴールデン・ドーンは、カバラの思想を受けて、善を「力の均衡」、悪を「力の不均衡」と解釈します。
そして、諸天使や神々の本質を、根源的な力から多様に分流した力として受け取ります。
ですから、神霊を、姿形を持った人格的存在として召喚し、対面しても、それを体験上の仮のものとして受け取ります。
同じ力でも、キリスト教の天使ならこうなり、ギリシャの神からこうなり、エジプトの神ならこうなり…といった相対主義になります。
また、アレイスター・クロウリーに発するセレマ流の「魔術」では、キリスト教的二元論によって悪とされたものを転倒、解放し、それを力の不均衡ではなく、無意識領域の古層の力と考えます。
さらに、「カオス・マジック」や「ポストモダン・マジック」のような「現代魔術」は、いかなる象徴体系、パンテオンも前提として認めず、自由に利用し、あるいは、自作します。
「現代魔術」は、「魔術」が働く必須の原理を抽出しようという指向があります。
それと同時に、様々な体系を利用します。
「カオス・マジック」は、垂直的なヒエラルキーも前提とせず、「魔術」の根源を、至高神や守護天使ではなく、「カオス」とします。
これは、いかなり象徴体系も根拠のあるものとして認めないことを示します。
自分自身の主体に関しても、仏教的な無我に近い考え方をします。
「ポストモダン・マジック」については良く知りませんが、「カオス・マジック」の影響を受けつつ、記号論的な観点から「魔術」を現代的に捉え直そうとしているようです。
個々人は独自の記号体系を持つ存在であり、「魔術」は自分を形作っているコードを更新するものであると捉えます。
「現代魔術」の中には、一種の能力開発的心理療法であるNLP(神経言語プログラミング)を、魔術の一種と考えたり、魔術に利用したりするという流れがあります。
「ポストモダン・マジック」もそうなのですが、ここには、魔術を言語的、イメージ的なリプログラミングと考える発想があります。
先に紹介した「魔法科高校の劣等生」が、魔法をプログラミングや情報の書き換えとして捉えていることと、近いと思えます。
ですから、近・現代の「魔術」の世界観を元にしても、非キリスト教的、非宗教的なエンタメの物語世界を構築できるはずです。
*主な参考書(次稿と共通で)
・「レメゲトン」ロン・ミロドゥケット&プリシュラ・シュウイ(魔女の家BOOKS)
・「魔導書ソロモン王の鍵」青狼団(二見書房)
・「黄金の夜明け魔術全書I、II」イスラエル・リガルディー(国書刊行会)
・「無の書」ピート・J・キャロル(国書刊行会)
・「モダンマジック」ドナルド・マイケル・クレイグ(国書刊行会)
・「ベナンダンティ」カルロ・ギンズブルグ(せりか書房)
・「闇の歴史 サバトの解読」カルロ・ギンズブルグ(せりか書房)
・「魔女の聖典」ドリーン・ヴァリアンテ(国書刊行会)
・「聖魔女術」スターホーク(国書刊行会)
*タイトル画像は、映画『ロード・オブ・ザ・リングス』のガンダルフと、実在の魔術結社ゴールデンドーンの首領の一人マグレガー・メイザース(from WIKI)
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