マハラジのニサルガ・ヨガ
少し前に投稿した「ラマナ・マハルシの真我探究」が、なぜか、多くの人に閲覧され、「スキ」をいただいているので、マハルシと似た思想を持っているインドの聖者、ニサルガダッタ・マハラジ(1897-1981、以下「ニサルガダッタ」と表記)について紹介する投稿をします。
マハルシは、「ヨガ・スートラ」にも書かれているような、何らかの対象に集中するような瞑想を否定し、あらゆる想念・表象をなくして、本当の主体である「真我(アートマン)」を見出することを説きます。
この点で、ニサルガダッタも同様です。
マハルシは、「あなたは誰か」と問うことを説いているのが特徴ですが、ニサルガダッタもこの問いを使います。
ですが、より特徴的なのは「私は在る(I am that)」という感覚に集中することです。
ニサルガダッタは、自身の思想・実践に関して、「ニサルガ・ヨガ(自然状態のヨガ)」と読んでいます。
自然であることや無努力を重視するので、仏教奥義のゾクチェンとも似ています。
生涯と宗派
マハルシは師も宗派も持ちませんでしたが、ニサルガダッタには師がいました。
ニサルガダッタは、賢者ダッタートレーヤに始まるとされる「ナヴナート・サンプラダーヤ(ナート派、9人の師の伝統」の中の、バウサヒブ・マハラジによる「インチェゲリ・サンプラダーヤ」に属します。
サンプラダーヤというのは、宗派のような意味です。
しかし、ニサルガダッタは、宗派やその教義などについてほとんど語りません。
ニサルガダッタは、1897年、ボンベイ(ムンバイ)に生まれました。
ニサルガダッタは、ナヴナート・サンプラダーヤのインチェギリ支部の長だったシッダラメシュワル・マハラジ(以下、「シッダラメシュワル」と表記)に紹介され、瞑想の指示とマントラを受けました。
ニサルガダッタは、以下のように語っています。
また、師は「お前はパラブラフマンだ」とも言いました。
インチェゲリ派は、19世紀初頭からマントラ瞑想を強調していましたが、シッダラメシュワルは自己探求に重視を移すようになったようです。
インチェゲリ派の活動実態は、師が村から村へと歩き回り、弟子たちに会って指導するというものです。
派に参加する準備ができていると思う人に出会った場合、師は血統のマントラを与えます。
弟子はマントラを唱え、師は定期的に村に来て、進捗状況を確認しました。
師は自分がもうすぐ亡くなることを知ったとき、新しい師に任命します。
ニサルガダッタは、師について、4ヶ月に一度、15日滞在し、2年間指導を受けたと語っています。
シッダラメシュワルは1936年に亡くなりましたが、この時、ニサルガダッタはまだ十分に成長していなかったため、後継者に任命されることはありませんでした。
ニサルガダッタは、1937年にムンバイを離れて、インドを旅し、8ヶ月に戻りました。
この時、自分が変化し、精神に関する問題がなくなったことを理解しました。
そして、店を営み始めました。
その後、1942-48年、妻と娘を亡くしました。
そして、1951年、ニサルガダッタは、シッダラメシュワルからの内的な啓示を受け、他人にイニシエーションを授けるようになりました。
1966年には、営んでいた店をたたみ、自宅で公演と訪問者の質問に答えることを始め、生涯それを続けました。
ニサルガダッタは、一日に4回のバジャン(神への讃歌)と、2回の質疑応答を日課としました。
1973年には、スダカール・S・ディクシットが編集したニサルガダッタの対話集『私は在る(I am that)』が出版され、ニサルガダッタは欧米で知られるようになりました。
ですが、1981年に、喉頭癌で亡くなりました。
「私は在る」の教え
まず、『私は在る(I am that)』をテキストに、ニサルガダッタの思想を紹介します。
彼の教えの核心を、彼の言葉の一句で表現すれば、次のようになるでしょう。
日本語では「私は在る」と訳されていますが、英語は「I am that」なので、直訳すれば、「私はそれ(真我)」です。
これは、ウパニシャッドの「汝はそれ(ブラフマン)」と同様の表現です。
ちなみに、ニサルガダッタ自身はマラティー語しかしゃべりません。
マハルシは「I am」と表現することもありますが、表現としてはこちらの方が「私は在る」に近いでしょう。
ニサルガダッタは、「私」とは「純粋な気づき」だとも言います。
サーキヤ哲学の「プルシャ」と似ています。
ですが、次のようにも語ります。
「観照者」という感覚から「すべて」という感覚に深まるのです。
「プルシャ」から「ブラフマン」へ、といった感じですね。
また、「存在と意識は至福の中で出会う」とも語ります。
つまり、伝統的な「サット(存在)・チット(心)・アーナンダ(至福)」であり、これはマハルシも語っていることです。
また、次のように「光」でもあると語ります。
「私は在る」に至る方法
ニサルガダッタは、「私は在る」という感覚に至るための方法として、次のように語ります。
このただ思考に気づけばそれが止まるというのは、仏教諸派を含めて多くの伝統で使われる方法です。
ですが、劇的な「至福」を期待してはいけません。
「私は在る」という気づきは、微妙な場合があります。
ニサルガダッタは、これ以外に何も必要ないと語ります。
そして、そのためには意図的な努力も必要ないと。
ですから、そこには段階もありません。
ですが、準備することは役に立つ場合もあり、其の準備には進歩もある、とも語ります。
マントラやジャパを繰り返し唱えながら、呼吸に集中してそれを浄化することも、方法として役立つとも、次の節で紹介する『意識に先立って』でも語っています。
『意識に先立って』の教え
1985年にジーン・ダンが編集して出版された晩年の対話集『意識に先立って』でも、ニサルガダッタは基本的には同じことを述べています。
ですが、語り口に微妙な違いもあります。
この書では、「顕現」と「未顕現」という言葉が何度も使われ、両者を区別します。
そして、「私は在る」という感覚の奥にある「未顕現」の「絶対」、「ブラフマン」を語ります。
それは書籍のタイトルにもあるように、「意識」以前とも表現されます。
そして、『私は在る(I am that)』では、「私は在る」という感覚に関して「光」と表現されていましたが、本書では、「絶対」に関して、「影」、「深い青」とも比喩しています。
この表現は、ゾクチェンが青空から光の微粒子(ティクレ)が現れるのを見る瞑想をすることと似ています。
ナヴナート・サンプラダーヤでも、顕現する光を微粒子(ビンドゥ)と考える考え方をするようです。
そして、「私は在る」という感覚は、相対化されます。
また、やや細かいテーマになりますが、ニサルガダッタは、次のように「4種類の言葉」として、顕現を4段階で説いています。
1 パラシャクティ(源泉意識)
2 パシャンティ(思考の流出)
3 マディヤーマ(思考-言葉、マインドの形成)
4 バイクハリ(発話される言語)
これは、有名なヴェーダーンタの哲学者バルトリハリの、「言葉」を4つの階層で考える説と似ています。