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虹の身体と光の脈管:仏教における身体の錬金術的変容

昨年末に『虹の身体』長沢哲(ビイング・ネット・プレス)という書籍が出版され、私にとって新たな知見があったので、改めて、「虹の身体(以下、虹身と表記)」に関する当稿をまとめます。

後期密教では、経典や宗派によって、様々な霊的身体を獲得したり、肉体を霊的身体に変容させたりすることが目指されました。
それは、現代に至るまで実践され、実際に実現されてきたようです。

中でも、「光の脈管」と表現される特別な脈管(ナーディ)を使って、肉体を虹の光のような「虹身(光身)」に変容させるゾクチェンの行法は、仏教における身体の錬金術的変容の最終形と言えます。

当稿では、この奥義中の奥義と言うべき「虹身」と「光の脈管」について取り上げます。
同時に、その前提となる後期密教の身体観や行法についても取り上げます。

*カタカナ表記している語は、基本的にサンスクリット語のカナ表記です。
()内の言葉で言い代えている場合は、順にチベット語、漢語です。
漢語を()内で言い代えている場合も、順にサンスクリット語、チベット語です。




密教(タントラ)の霊的身体論の基本


大乗仏教では、自分が解脱(成仏)するよりも先に他者を救済する(自未得度先度他)ことを目指し、その道を歩むものを「菩薩」と呼びます。
そのために、菩薩は解脱することなく、再生を繰り返して人々の救済を行います(不住涅槃)。

それに対して、密教では、最速で解脱し、解脱しても他人を救うために再生したり、化身したりできるようになることを目指します。
そのためには、仏の智恵そのものである「法身(ダルマ・カーヤ)」だけではなく、利他に必要な清浄な魂の体である「報身(サムボガ・カーヤ)」、清浄な肉体である「応身(変化身、ニルマーナ・カーヤ)」を獲得することが必要とされました。

この3つの身体を「仏の三身」、それを獲得するための行法を「三身修道」と呼びます。

ちなみに、「三身」に対応する概念は、インド哲学(ヴェーダーンタ哲学)にもあります。

身体の階層
(密教)  (ヴェーダーンタ哲学)    (神智学) 
・法身:原因身(カーラナ・シャリーラ) :コーザル体
・報身:微細身(スクシュマ・シャリーラ):アストラル体
・応身:粗大身(ストゥーラ・シャリーラ):物質体

また、法身とは別に、「倶生身(サハジャ・カーヤ)」や「理法身(ダルマター・カーヤ)」を立てて「仏の四身」とする説も生まれました。

「仏の三身」を獲得するための行法としては、イメージを操作する観想法、プラーナを操作する瞑想法(以下「プラーナ法」と表記)、心を操作・観察する止観法の3種類を使います。
初期密教は観想法、後期密教はプラーナ法、ゾクチェンは止観法を重視します。

プラーナ法の発展とともに、身体の錬金術的変容が語られるようになりました。

プラーナ(ルン、気)は、生命に関わる微細な物質と考えられています。
密教では、プラーナの微細さに応じて、下記のように3段階で区別されます。
このプラーナの階層は、意識の階層やナーディ(脈管)類の場所とも対応します。

プラーナの階層
(プラーナ)    (ナーディ)      (意識)
・極微のプラーナ:胸のビンドゥの中に眠る  :根源的な心
・微細なプラーナ:スシュムナー管の中を流れる:無分別な心
・粗大なプラーナ:一般のナーディの中を流れる:二元論的な心

また、密教では聞きませんが、ヴェーダーンタでは、スシュムナー管(アドヴァーティ、中央管)が3重の階層構造をなすという説もあります。
内側の脈管を通るプラーナの方がより微細とされます。

スシュムナーの構造
・チトラ管   :最も内側:極微なプラーナ
・ヴァジュラ管 :中間  :微細なプラーナ
・スシュムナー管:最も外側:普通のプラーナ

また、チトラ管のさらに内側にブラフマ管があるとする説もあります。


一般に、後期密教のプラーナ法では、まず、プラーナを左右のイダ、ピンガラを経て中央のスシュムナーに入れ、その後に、臍のビンドゥ(ティクレ、心滴)を発火させてクンダリーニとともに上昇させたり、頭頂のビンドゥを融解(アムリタ)して下降させたり、あるいは、胸のビンドゥにプラーナを収束させたりします。

ビンドゥというのは、プラーナや霊的身体の核であたる種子のような器官です。

3つのビンドゥ
・白いビンドゥ(頭頂):父由来
・不滅のビンドゥ(胸):これから誕生後に赤白のビンドゥが分離する
・赤いビンドゥ(臍) :母由来

後期密教とゾクチェンでは、こういった霊的身体論に基づいた行法の結果、特別な霊的身体を獲得することを目指します。

その目標となる霊的身体は、下記のように、宗派や経典によって異なり、様々な名称で呼ばれました。

 (経典・教え)      (霊的身体)
・グヒヤサマージャ・タントラ:幻身
・ヨーギニー・タントラ   :虹身
・カーラチャクラ・タントラ :空色身
・ゾクチェン        :光身(虹身)

以下にそれぞれ、説明します。


グヒヤサマージャ・タントラの幻身


「幻身(マーヤカーヤ、ギュル)」は、マハーヨガ・タントラ(父タントラ)クラスの経典である『グヒヤサマージャ・タントラ(秘密集会タントラ)』が獲得を目指す身体です。

「幻身」は、全身のすべてのプラーナを、スシュムナーに上下から入れ、さらに胸のビンドゥに収束させた後、再度、逆流出する時に、新しく生み出した「意成身」です。

「意成身」というのは、魂の体(微細身、アストラル体)です。
人間は、死後から再生するまでの中有の間、この「意成身」で活動するとされます。

修行者は、もともと「意成身」を持つので、新たに生み出したもう一つの「意成身」が「幻身」です。
「幻身」は、魚が跳ねるように生まれると表現されます。

「幻身」は、これに空の智恵を加えて再創造することで、浄化された「報身」になります。
これに限らず、以下のすべての行法では、空の智恵は前提となります。

「報身」は修行者が生きている間に獲得できるので、肉体と共存しますが、一般人には見えません。


*マハー・タントラのプラーナ法については下記を参照。


カーラチャクラ・タントラの空色身


「空色身(アカーシャ・カーヤ、トンスク)」は、チベットでは不二タントラ・クラスとされる経典『カーラチャクラ・タントラ(時輪タントラ)』が獲得を目指す身体です。

スシュムナーにプラーナを入れた後、頭頂のビンドゥを融解して降ろしたものと、臍のビンドゥを発火して上昇させたものを、スシュムナーに満杯にすることで、「仏の四身」とともに「空色身」が獲得されます。

「空色身」は、空性と光明のエネルギーによって成り立つ、空と色が統合した身体とされます。

「空色身」は、「幻身」と同様に、新しく獲得される光の身体で、肉体や「報身」と共存します。
「空色身」は、高いレベルの修行者には見えるそうです。


*カーラチャクラ・タントラのプラーナ法については下記を参照。


ヨーギニー・タントラの虹身


「虹身(虹の身体、シャリーラ・シュリー、ジャル)」は、『チャクラサンヴァラ・タントラ』のようなヨーギニー・タントラ(母タントラ)クラスの経典が獲得を目指す身体です。

「虹身」も、スシュムナーにプラーナを入れた後、臍のビンドゥを発火して上昇させたり、頭頂のビンドゥを融解して降ろしたりするプラーナ法を修することが、獲得の前提となります。

それと同時に、肉体を虹のような光に変容させる観想も行います。
『チッタマニターラ』に説かれるその一例の概略を示せば、次のような方法です。

自身を本尊の姿とし、胸に自身の虹色の心でできた裸の本尊を観想します。
本尊から虹の光が無限に流出し、自身の身体全体に広がり、自身が虹の光になります。
さらに、虹の光が体外に流出し、それが三千世界全体に広がり、意識は空の三昧になります。

その後の日常でも、常に虹の光から心を散らさないようにします。

このような修行の果てに、ナーディ、プラーナ、ビンドゥのすべてが完全に浄化されると「虹身」が獲得されるとされます。

「虹身」は、「幻身」や「空色身」とは異なり、肉体を変容させて、あるいは、肉体の消滅とともに獲得されるものです。
チベットのサキャ派では、「報身」に当たると解釈します。
そして、「虹身」を得ることは、ヴァジラ・ヨーギニーやダーキニーの浄土に行くとも表現されます。

チベット・カギュ派の「ナーローパのケチャリ」の教えには、この「虹身の悟り」を成就して、女神の浄土に行く口伝の教えがあります。
聖者ミラレパの弟子のレチュンパの最期は、瞑想を行っていた洞窟で消え、空飛ぶ女神の浄土ケチャリに向かったと、伝えられています。


*ヨーギニー・タントラのプラーナ法については下記を参照。

*ヨーギニー・タントラの虹身の観想法については下記を参照。


ゾクチェンの虹身(光身)


「虹身」は、ゾクチェンで獲得が目指される身体です。
ゾクチェンは、厳密には密教とは異なる教えで、中国禅とも関係しています。

もともとゾクチェンでは、「虹身」ではなく「光身(光の身体、プラバーサ・カーヤ、オー・ル)」と呼んでいました。

ですが、ゾクチェンとヨーギニー・タントラの両方の修行をする修行者が多くいたため、ゾクチェンでも「虹身」と呼ばれるようになりました。
チベットでは、ニンマ派、カギュ派、サキャ派のラマの間には交流がありました。

ゾクチェンの文献で、初めて「虹身」という言葉を使い始めたのは、暗闇の修行の埋蔵経典「ヤンティ・ナクポ」を発掘した14Cのドゥンツォレパ二世です。
その後、17Cになって、リグズィン・ジャツン・ニンポが発掘した埋蔵法典とともに、ゾクチェンの中で「虹身」という言葉が一般化しました。

ですが、ゾクチェンの「虹身」と、ヨーギニー・タントラの「虹身」は異なる概念です。
ゾクチェンの「虹身」は「報身」ではなく、「元素の本質」と表現される光からなる身体で、普通の人間にも見えて、彼らを救うことができます。

虹身に変化するパドマサンバヴァのタンカ


「虹身」を獲得するゾクチェンのトゥゲル(トゥカル)の行法では、通常のプラーナ法を使いません。
スシュムナーにプラーナを意図的に入れたり、ナーディやビンドゥに圧力を加えて刺激したりしないのです。

意図的な操作をしないとは言っても、特別な姿勢や呼吸法、視線、観想法などは使います。

また、重要なのは、スシュムナーやイダ、ピンガラではなく、「光の脈管」、「光を生み出す脈管」などと表現される特別な脈管です。
そして、そこに流れるのは、通常のプラーナではなく、「智恵の光」、「光のビンドゥ(粒)」、「智恵のプラーナ」などと表現される存在です。
これは、空である心の土台から自然に生まれる煩悩のない光です。

「光の粒」は、プラーナ法によっても現れますが、これは強まることも弱まることもあります。
これに対して、トゥゲルの瞑想によって生まれる「光の粒」は、曼荼羅のヴィジョンに成長していくものです。

ドゥゲルの修行では、「光の粒」を「光の脈管」から放出して、「光の顕現の4段階」と呼ばれる光の形態の変化を体験していきます。

第3段階では、光からなる曼荼羅のヴィジョンが完成し、それと物質的な外界が溶け合うようになっていきます。
そして、第4段階で完全な悟りに到達すると、顕現は消えていきます。

この体験は、法性の光を肉体に浸透させ、そのカルマを浄化することになります。
そのため、第4段階まで修行が進むと、指先などから、体が光で包まれて見えるようになります。
この光に意識を集中することで、肉体を「虹身」に変容させていきます。
「虹身」を獲得する時、仏の三身も獲得も達成されます。


*ゾクチェンの「トゥゲル」については下記を参照。


ゾクチェンの光の脈管と行法


ボン教ゾクチェンの経典「智恵のエッセンス」によれば、「トゥゲル」では以下の4つの特別な脈管を利用します。

4つの光の脈管
・大いなる金の脈管:心臓と中央管をつなぐ
・白絹の糸の脈管 :心臓と右目・頭頂をつなぐ
・細いより糸の脈管:心臓から下った後に頭頂まで昇り左目をつなぐ
・水晶管の脈管  :心臓と目をつなぐ

「大いなる金の脈管」からは、寂静尊が立ち現れます。
「白絹の糸の脈管」からは、脈管の中に9つのビンドゥ(光の粒)が積み重なって立ち現れます。
「細いより糸の脈管」からは、根源的な光明の顕現が直接、輝きます。
「水晶の脈管」からの顕現は、一切の顕現を心の本性へと溶かせていきます。


ゾクチェンのトゥゲルの瞑想法の中に、「青空のヨガ」や「暗闇のヨガ」があります。
どちらも、心の土台に生まれ、光の脈管と目を通して外部に飛び出す光の粒、光の顕現を見るヨガです。

「青空のヨガ(空を見つめるヨガ)」は、昇る太陽の曙のオレンジの空や、太陽を背にして青空を凝視しながら、「光の粒」を見ます。
この時、「水晶の脈管」を使います。

最初は、波上の虹のストライプ、そして、多量の「光の粒」が生まれ、やがて、∞マークを押しつぶしたような形の、脈動する、光の粒子の連鎖である「金剛連鎖体」が出現します。

「暗黒ヨガ」は、一週間ほど暗闇の部屋に籠って、暗闇を凝視しながら、光の顕現を見ます。
この時、大脳と眼をつなぐ脈管(「白絹の糸の脈管」と「細いより糸の脈管」か?)を使います。
具体的には、下記のような瞑想です。

大脳の内部に法螺貝の形の透明な水晶の器のような宮殿と、そこに五色の光を放つ一個の球体を観想します。
そして、憤怒の形相をした原初的知性の青い眼が大脳の中を覗き込むと観想し、日毎にその目の数を増やしていきます。
心臓に48の静寂尊、大脳に52の忿怒尊が現れていると考えます。
全身に光が充満するようになります。
頭部の目から光が溢れ出るようになります。
全身に目が現れて光を放ち、視床下部から光の塊が飛び出します。
暗闇の空間が法界に変容すると想います。


虹身の悟りの諸レベル


ゾクチェンの修行を完成した者は、「虹身の悟り」を得るのですが、これは「虹身の大いなる転移」と呼ばれます。
これは、寿命が来て亡くなるのではなくて、肉体のカルマの完全な浄化が完成した時に、肉体を捨てる出来事です。

これは肉体として生きることの終わりであり、地上にいる者から見れば、一種の「死」です。
この「死に方」には、修行の達成の度合によって、いくつかのレベルがあります。
19Cのドゥジョム・リンパは、「自生の本質を解き明かすタントラ」で、次の4種類を区別しています。

虹身の大いなる転移のレベル
1 大いなる転移の仏身:水が水に、空間が空間に融け入るように
2 大いなる虹身:大空に虹が消え入るように
3 小なる虹身:肉体が縮み、すべて消滅する
4 小なる転移:一週間以上かけて肉体が縮み、髪の毛と爪だけを残す

1は、すでに肉体が半ば物質性を失っている状態からの転移でしょうか。

「虹身の大いなる転移」にまで達しなかった修行者の場合でも、死後に肉体が幼児くらいの大きさに縮む、という形があります。

この形は、瞑想をしながら亡くなり、「トゥクタム」という状態に入ります。
「トゥクタム」は、死後も三日から十日ほど、瞑想の姿勢が崩れず、胸には暖かさが残り続け、死後硬直も、死体の腐敗も始まりません。

この形は、現代でも、多くの目撃談があります。
スマホとSNSの時代になってからは、ラマの縮んだ身体が写真が拡散されるということも起こっています。

もともと、「虹身の大いなる転移」に至る修行者の多くは、山の洞窟などで修行を行う、名も無い者たちであったりします。
彼らは人知れず「虹身」になるのです。

それに対して、多くの弟子を持ってに教えを行うという形で、世俗に関わったラマは、「虹身の大いなる転移」にまで至ることは難しく、死後縮小のレベルにとどまることが多いとされるのです。
縮んだ分が光となり、残った身体は生前の利他を示すということでしょう。

最初に紹介した『虹の身体』は、「虹身の大いなる転移」や死後縮小を得た近・現代のラマの伝記集、目撃談で、多数のラマが取り上げられています。
中には、空中に飛び上がったまま消えたラマのもいます。

目撃談の残っている「虹身の大いなる転移」に至った修行者の多くは、時が来たと理解すると、小屋や部屋に隠り、絶対に開けないように周りの者に言い残して、一週間ほどかけて「虹身」になります。

事情をよく知らない者が、小屋から虹のような光が漏れてくるので、気になって途中で開けてしまった、という話も残されています。
ジャムゴン・コントゥル二世の兄が見た話では、ある女性修行者が虹身にあるために小屋に隠った時に、3日後に小屋を開けて覗いた時、女性修行者の両腕、両足が胴体から離れてバラバラになっていて、骨の端から渦巻く虹の光が放射され、分解されつつあった、そうです。


*密教の霊的身体論に基づく死と死後観については下記を参照。


道教と中国禅


「虹身の悟り」は、道教(仙道)の「白日昇天(空中に浮かんで消えてなくなる)」や、「尸解仙(棺桶を開くと死体がなくなる)」と似ています。

これらは多分に伝説的な話に思えますが、1980年代に湖北省の武当山で道教を学んでいたロシア人のイヴァン・ゴルバチョフは、老師の「白日昇天」を目撃したと言っています。

具体的な修行階梯として分かっている範囲で書けば、小周天や大周天の後に、「陽神」という霊的身体の獲得が目指されます。

これは純陽の気でできた身体とされ、腹部に気を練って作り、最終的には、肉体をこの陽神に解消して、タオに帰します。
「陽神」は、普通の人にも見えるとされますが、「虹身」とはまったく異なり、肉体に近い、凝縮されたプラーナの体ではないかと思います。


また、禅宗の「臨済録」に登場する風狂僧である普化も、自ら棺桶に入って消えるという、「尸解仙」と同様の亡くなり方をしています。
一方、「祖堂集」では、墓場のトンネルに入って内から鍵を掛けて出てこなかったとされます。

前者は「尸解仙」を真似た伝承であり、後者の方が真実に近かったのかもしれません。

彼は馬祖の孫弟子に当たる僧とされていますが、墓場で暮らしていたと言われているので、禅僧というより密教やゾクチェンの修行者に近かったのかもしれません。

ゾクチェンとこれら中国の道教や禅宗の行法や伝承には、影響関係があったと推測されます。

実は、ゾクチェンの第三祖のシュリーシンハは中国人であり、中国でも活動していました。
その弟子のジュニャーナスートラは、中国で2人の中国人に教えを与えた後、西方に帰る途中で、空中に浮かび上がって虹の光の塊の中に消えた、と伝えられています。

永沢哲は、同時代なので、ジュニャーナスートラの弟子の一人が普化であってもおかしくないと書いています。


*仙道の内丹法(プラーナ法)については下記を参照。


*当稿では、分かりやすくするために、各所で断定的に表現しましたが、それらの中には、実際には、諸説があったり、曖昧にしか説かれていないものであったり、実在するかどうか分からないものであったりする事項があります。
*また、念のために注意しておきますが、当稿からリンクを張ったページを含めて、これらの行法は我流で実践すべきものではありません。

*主要参考書

「虹の身体」長沢哲(ビイング・ネット・プレス)
「精神の考古学」中沢新一(春秋社)
「智恵のエッセンス」シャルザ・タシ・ギャルツェン(春秋社)
「チッタマニターラ」平岡宏一(法蔵館)
「ゾクチェンの教え」ナムカイ・ノルブ(地湧社)
「ツォンカパのチベット密教」齋藤保高(大蔵出版)

*タイトル画像は、ただの生成AIによるイメージ



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