出雲の月信仰と地上に降りた月神族
月信仰に関わる連続投稿の4つ目です。
過去にいくつかの投稿でも紹介したように、古代出雲は、月信仰が強い国でした。
カミムスビ、オオオナムチ、サダノオオカミ、キサカヒメ、ウムカイヒメ、ミカツヒメ、タキツヒコ、アジスタカヒコなどは、いずれも、月神や、その子神などの月神族、あるいは、月神がメタモルフォーゼした姿としての属性を持っています。
改めて、出雲に残っている月信仰について考察します。
ここには、月女神が地上に降りた後の、月信仰の形を見ることができます。
それを見ると、月とは無関係と思われていた日本の宗教現象の多くが、月信仰の信仰圏にあったのかもしれないという、驚くべき事実が浮かび上がります。
加賀伝承:新月の御子神
曙が東の空を染め始める頃、残月が朝日に追われるように姿を消し、3日間の朔の後、夕日が落ちた薄明かりの西空に、向きを変えて新月が昇ります。
この光景から、(太陽に追われて)洞窟に籠もった月が、弓を使って太陽を射落として復活する、という神話が生まれました。
復活した三日月が、構えられた弓に見えるのです。
先の投稿「「日隠れ」神話に隠された「月隠り」神話」で触れた「射日神話」の原型も、この神話だと推測されます。
中国の「楚辞」版では、太陽を射落としたのは、太陽の父である帝夋が派遣した羿ですが、本来は、仙女であり、月の女神である嫦娥だったとする説があります。(「中国の神話考古」陸思賢・言叢社)
日本では、青森県の上野峠遺跡で出土した縄文時代の狩猟紋土器には、太陽を射る弓を構えた上弦の月が描かれています。
このことから、この神話が日本にも古くからあったことが分かります。
この神話を継承しているのが、「出雲国風土記」に記載されている「加賀伝承」です。
「加賀伝承」は、島根半島北端の神埼にある加賀社と呼ばれる洞窟(加賀の潜戸:タイトル画像参照)の伝承で、サダノオオカミ(佐田大神)の誕生譚です。
この伝承は、以下のような物語です。
ですが、坂田千鶴子は、この伝承が、大和朝廷によって削除、改変の対象になったと言います。
実際、多くの写本では削除され、記されているものも分割され、異なる記述になっています。
そして、サダノオオカミは、大神であるにも関わらず、伝承がほとんど残っていません。
また、その父は麻須羅神(ますらかみ)と表現されるだけで、具体名が隠されています。
一説では、サルタヒコやオオナムチと同一の神です。
実際、佐太神社、加賀社のある秋鹿郡にはオオナムチの伝承がないので、サダノオオカミは、オオナムチに相当する神のこの地域での呼び名と思われます。
坂田は、「加賀伝承」が、本来は、月母神の創世神話であったと推測し、次のような、本来の形を復元しました。
出雲大社の宮司だった千家尊統も、佐太大神が、新月神であり、穀霊であると書いています。
太陽に追われて洞窟に籠もったためか、キサカヒメは、洞窟に近づこうとする船を突風で転覆させる荒ぶる神です。
「金の弓」は月の女神アルテミスの持ち物と同じであり、再生した三日月の象徴です。
アルテミスの場合は鹿の角でもあり、キサカヒメの場合はイノシシの牙でもあるのでしょう。
洞窟はキサカヒメの子宮であり、洞窟から滴る水は母の乳汁、洞窟内の岩の割れ目は女陰です。
そして、坂田は、カミムスビ=旧月、キサカヒメ=満月、オオナムチ=新月と考えます。
カミムスビ(イノチヌシ)
カミムスビは、キサカヒメの母で、サダノオオカミことオオナムチの祖母です。
記紀神話では、タカミムスビ、カミムスビは、祖父・祖母神のカップル的存在です。
ところが、タカミムスビは天孫降臨などで天津神の司令神として働きますが、カミムスビは出雲系神話で国津神などの援助神として働きます。
これはおかしなことだと感じます。
両者は、無関係な神で、作られた神と考えるべきでしょう。
本来の祖父・祖母神の名は、多くの祝詞に登場する「カミロキ」、「カミロミ」であり、この2神が本来の主神でしょう。
カミムスビは、「出雲国風土記」では、記紀とは異なり「神魂命」と表記されますが、神魂神社は「かもす」と読み、主宰神はイザナミです。
これもおかしなことです。
「カミムスビ」は出雲の祖母神の本当の名ではない、と考えるべきでしょう。
出雲大社の摂社の「命主社(神魂伊能知奴志神社)」の背後には、大岩の「命石」があります。
ここはカミムスビの磐座と推測されています。
カミムスビは、「イノチヌシ」とも呼ばれていました。
「命石」の下から勾玉が出土していて、「イノチヌシ」も月神の属性を持っていたことが推測されます。
勾玉は縄文時代からある聖物で、古代から出雲は勾玉の産地です。
勾玉は三日月(新月)の象徴であり、古くは翡翠で作られ、その青・緑色は、縄文時代の環状立石やストーンヘンジの石の色と同様、再生の象徴です。
社の前には椋の樹の大樹があります。
「古事記」では、椋の実は、スセリヒメがオオナムチに渡した実です。
「古事記」では、オオナムチは、樹に挟まれて亡くなり、その後に復活しました。
この椋の樹は、この神話の樹とされたのでしょう。
この樹の根本には穴があります。
この穴は、根の国への入口であり、また、オオナムチが復活する子宮でもあるのでしょう。
キサカヒメ、ウムギヒメ(イノチヒメ)
出雲大社の摂社の天前社(アマノサキノヤシロ)の祭神は、キサカヒメとウムカヒメです。
両神は、「イノチヒメ」とも呼ばれていました。
「出雲風土記」では、この二人は、カミムスビ(イノチヌシ)の娘です。
「古事記」では、キサカイヒメ(キサガイヒメ)と記される赤貝の女神と、ウムギヒメ(ウムカイヒメ)と記されるハマグリの女神です。
二人はカミムスビに派遣されて、オオナムチを治療し、復活させますので、彼女たちは月と同様の再生の神です。
貝は女性器の象徴で、女神を表現します。
そして、月が司る潮にのってやってくる海の生物です。
ですから、貝の女神は、地上に降りた月女神のメタモルフォーゼした姿なのでしょう。
ちなみに、縄文土器には、「縄文」以外にも、「貝文」の土器があります。
土器=貝、でもあります。
ウムギヒメ(ウムカヒメ)は、鶯になって出雲の法吉に飛んできて鎮座したとされます。
中世のいくつかの書に、かぐや姫が竹林にあった鶯の卵から生まれ、鶯姫と呼ばれたという伝承が現れます。
ですが、この伝承は、「竹取物語」よりも古い可能性があります。
ウムギヒメとかぐや姫は、鶯を通してつながる、月の女神なのでしょう。
オオナムチ
オオナムチは、「古事記」では「大穴牟遅神」と記され、スサノヲの六世孫、「日本書紀」では「大己貴命」と記され、スサノヲの息子とされますが、「出雲風土記」では、「大穴持命」と記され、両親は隠されています。
「古事記」では、オオナムチは因幡の白兎を治療して助けました。
そのため、オオナムチは兎神とも呼ばれます。
因幡の白兎は、ワニを数えてその上を歩きながら、島から陸に海を渡ろうとしたが、ワニに毛を剥がれました。
私見ですが、兎は月の動物ですから、この物語は、満月が欠けて朔月になり、地上に隠れること(月隠り)を表現しています。
数えることは、「月読み」、つまり、月齢を数えることです。
オオナムチは、水と蒲(がま)の穂を使って、兎の傷を治します。
水は、月の若変水(おちみず、生命の水)です。
蒲は、語呂合わせて月の生き物ガマガエルを表現します。
ガマの油も、月の若変水が関係します。
つまり、オオナムチが白兎を治すことは、朔月を新月として再生させることであり、オオナムチは、月を祀る王でしょう。
また、私見ですが、オオナムチが大きな袋を背負っているとされますが、これは満月の象徴かもしれません。
次に、オオナムチは、ヤソガミが赤いイノシシを捕まえろと騙して、赤く焼けた石を転がり落して焼き殺されます。
そして、カミムスビが派遣した貝の女神、キサカヒメとウムカヒメの治療で復活します。
イノシシは、その牙が三日月の象徴なので、月の動物です。
イノシシが関わって死ぬのは、バビロニア神話のタンムズと同じです。
タンムズの神格は、オリエントに広く存在する、太母=月女神の恋人、息子であり、狩猟神、牛飼神、植物神です。
このカップルは、シュメールのイナンナとドゥムジ、バビロニアのイシュタルとタンムズ、フリギアのキュベレとアッティスであり、ギリシャではアドニスとアフロディテです。
これらの太母は直接的には月の女神ではなくても、月の属性を持っています。
アフロディテはローマではヴィーナスであり、貝の上に立つ女神としても知られています。
つまり、キサカヒメとオオナムチの母子カップルは、旧石器時代の狩猟文化以来の太母=月女神とその御子=恋人のカップルです。
先に「曙が東の空を染め始める頃、残月が朝日に追われるように姿を消す」と書きました。
私見ですが、赤く空を染める太陽が残月に近づいて月が朔月となる光景が、赤く焼けた石によってオオナムチが殺された神話を生み出したのかもしれません。
二人の女神がオオナムチを復活させた方法は、驚くべきものです。
キサカヒメは、石に焼け付いたオオナムチの体を貝で削り落とし、バラバラに落ちたオオナムチの肉片を集めます。
次に、ウムカヒメが、母乳の汁に薬を混ぜ合わせたものを塗ってつなぎ合わせます。
私見ですが、この物語は、オリシス=イシス神話に似ています。
体をバラバラにされて女神に治され、最終的には冥界(常世)に行くという点で、オオナムチとオシリスは共通します。
オシリスには月神の属性があります。
息子のホルスの目は、月の象徴とされますから、オシリスは旧月、ホルスは新月です。
オシリスは体を14の部分に分解されますが、男根が回収できなかったので、13部分で復元されます。
13は、月が満ちる日数であり、太陰太陽暦の月の数です。
その後、オオナムチは、樹に挟まれて殺され、母神が助けて復活します。
最初には、石によって死んで再生し、今後は、樹によって死んで再生します。
これも私見ですが、この2つは、地上に降りた月神(月隠り)が、石や樹に憑き、再生することを示しているのでしょう。
その後、オオナムチは、根の国で、スサノヲから試練を受けます。
最初の日に蛇のいる部屋に入れられ、次の日の夜にムカデとハチのいる部屋に入れられ、3日目には野で火に囲まれます。
3日というのは、もちろん、月の朔から来ています。
3日目の試練は、地面の穴に入ることで、火の難を逃れます。
この地面に隠れたことは、「洞窟への月隠り」と同じ象徴性があります。
それは大母の子宮であり、そこから再生するのです。
オオナムチが、焼き死んで復活したり、火の難を逃れたりすることの背景には、イザナミが火神を生んで亡くなった神話があるのでしょう。
つまり、火を生む地母神の子宮と、火による死と再生の観念です。
セグロウミヘビ、オオナムチ
出雲で旧暦に11月に行われる神在祭では、神迎え、神送りが行われます。
出雲大社や佐太神社では、海岸で捕まえたセグロウミヘビを奉納します。
セグロウミヘビは、夜に目が赤く光ります。
サダノオオカミ、オオナムチと同体の神と言われるサルタヒコは、「日本書紀」によれば、目が赤酸醤(あかかがち)のように輝いています。
赤酸醤とはホオズキのことですが、ホオズキは蛇の頭の形をしています。
また、記紀では、オオナムチの幸魂奇魂であるオオモノヌシが、海を照らしてやって来たとあり、オオモノヌシは大和では蛇の姿で巫女のヤマトトトビモモソヒメのところにやってきます。
これらの記述は、セグロウミヘビが、オオナムチ(サダノオオカミ、サルタヒコ)の象徴であったことを示しています。
そして、蛇は、月神の象徴です。
月の若変水を飲んで不死になって脱皮する生き物であり、若変水が川となって下る時の姿です。
また、細長い新月であり、その光でもあり、それが地上に降りる稲妻です。
セグロウミヘビは、海流に乗って、西から流れ着きます。
西は、新月が生まれる方向でもあります。
出雲大社のオオモノヌシが、西向きに鎮座するのは、このためでしょう。
アメノミカツヒメ、アジスタカヒコ
「出雲国風土記」でオオナムチとタギリヒメの息子されるアジスタカヒコは、成人しても昼も夜も泣いてばかりいたと記されています。
タギリヒメは、宗像三女神の一人ですが、「筑紫国風土記」によれば、ご神体(神宝)は勾玉なので、月神の属性を持ちます。
一般に、アジスキタカヒコは鋤の神、農業神とされます。
ですが、アジスキタカヒコが泣くというのは、若変水を垂らす新月の特徴です。
縄文土偶、土面にもある特徴です。
そして、梯子を昇降したとも記されています。
これも、若変水の月からの昇降を表現しているのでしょう。
水の大気循環ですので、スサノヲと同じです。
また、アジスタカヒコは、言葉を喋らなかったけれど、オオナムチがこの息子が言葉を喋る夢を見たので、息子に問うと、「三沢」と喋り、三沢郷で禊をしました。
この物語と同様の物語が、垂仁天皇の息子ホムツワケノミコトが言葉を発さなかったとして伝わっています。
記紀では、出雲大神が、自分の社殿を皇居のごとく作り替えれば、言葉を話すようにすると要求しています。
ですが、「尾張国風土記」には、皇后の夢にアメノミカツヒメが現れ、自分を祀れば皇子は言葉を発すると神託します。
アメノミカツヒメ(=アメノミカジヒメ)は、アジスキタカヒコの妻神で、多久の女神です。
一般に雨の女神と言われていますが、その名から甕(ミカ)の神でしょう。
「日本書紀」には、出雲大神とアシハラノシコヲ(=オオナムチ)の名が記され、この二人が別人にように読めます。
つまり、記紀がここで「出雲大神」と書いている大きな力を持つ祟り神の実体が、実は、アメノミカツヒメという聞き慣れない女神だったことが推測されます。
大和朝廷、記紀は、この神を恐れて消したということです。
甕の神は大神と呼ばれるほどの神であり、成長(再生)させる力を持つ神だったということです。
祭器としての縄文土器には、地母神=月女神として作られたものが多くあります。
甕の女神はこの土器に由来する神なのでしょう。
酒を作る土器の女神とすれば、水の女神になります。
タギツヒメ、タギツヒコ
アメノミカツヒメの息子は、タギツヒコです。
この神は滝神であり、石神でもあります。
つまり、月女神と同様に、石に憑く神であり、滝となって月の若変水を田畑まで下らせるのです。
オオナムチの息子で、オオナムチ同様に樹に挟まれた神に木俣神がいます。
この神も、水の神とされます。
つまり、樹に憑く神であり、川となって月の若変水を田畑まで下らせる神です。
このように、滝神、水神は、月神族であり、地上に降りた月神のメタモルファーゼした姿なのでしょう。
古代の出雲には、この二人のような男神だけではなく、多数の滝の女神が祀られていて、非常に重要な神だったことが推測されます。
ところが、記紀にも、「出雲国風土記」にも、滝の女神が一切、記されていません。
アメノミカツヒメと同様に、消されたのでしょう。
「先代旧事本紀」によれば、宗像三女神のタギツヒメ(タカツヒメ、タキツヒメ)が、オオナムチの妃になったと記されていますが、この神も滝の女神でしょう。
そして、「筑紫国風土記」によれば、タギツヒメのご神体(神宝)も勾玉なので、月神の属性を持ちます。
出雲の神門郡にはアダカヤヌシタキキヒメを祀る神社が多数ありました。
この女神はその名から、足高(アダカ)のタキヒメです。
足高は、出雲の古くからの重要な地で、そこの高野宮の本来の祀神は「雲陽誌」によるとタカヒメです。
社殿の背後に2つの滝があるので、この神は滝の女神で、タキツヒメ、アダカヤヌシタキキヒメと同じ神だと推測されます。
高野宮の分社の祀神が、タギツヒメの娘のタカテルヒメであることも傍証となります。
また、社記には、「月輪のごとくなる光を放ち給う」と記されていて、タカヒメが月神の属性を持っていることが分かります。
古代日本の主神は、太陽男神とその妻神である川の女神セオリツヒメのカップルだったが、持統天皇によって太陽神が女神とされたことによって、セオリツヒメが消された、と主張して、セオリツヒメ復活ムーヴメントのきっかけを作った研究者に、菊池展明がいます。
彼は、アメノミカツヒメ=タギツヒメ=アダカヤヌシタキキヒメ=タカヒメ=セオリツヒメと考えています。
そして、これらの女神は、月神でもあると。
彼はまた、女神としてのオオヤマヅミノカミ(山女神)が、セオリツヒメであるとも考えています。
彼の主張は、月女神が地上に降りて、山の神、滝神になるという、本稿の主張と一致します。
月神信仰の形
月神が主神的な神だった時代には、主要な神々の多くは、月神の別の姿であったり、月神族であったりしたと推測されます。
ですが、太陽信仰が強くなるにつれ、月神信仰は太陽神信仰に置き換えられていき、月信仰は忘れられ、あるいは、意図的に抑圧されたと推測されます。
月神は、地上の生命を支え、再生させる若変水を垂らす神です。
若変水を垂らすことで、自ら、満ち欠けという、死と再生を繰り返します。
再生した新月の神は、嬰児が泣くにように、若変水を垂らします。
月女神は、朔月となる時には、地上に降りて、隠ります。
海岸の洞窟に隠り、洞窟の女神、貝の女神となります。
また、山に隠り、石、樹に憑きます。
つまり、月神は、山の神、磐座に降りる神、石神、樹の神でもありました。
死者の霊が山を昇り、山や山の樹に宿るとされたのは、山が月女神の世界であり、月の女神によって再生される、という観念があったのかもしれません。
そして、新月の御子神を生みます。
その神は、文化英雄神(国作りの神)であり、王であり、穀霊であり、滝神であり、水神です。
これらは、月神の別の姿、月神族です。
また、諏訪大社で祀られ、縄文以来の神と見なされている神に「ミシャグチ神」がいます。
この神は、中世には、芸能の神「宿神」となります。
高良留美子は、「ミシャグチ(シャグジ)神」を新月の神と書いています。
確かに、石に宿る神であり、「サク(裂く、咲く)」、つまり、生まれる神である、という点で、新月神と共通点があります。
また、酒(サケ)の神であるという点で、月神=土器の神と共通点があります。
こう見てくると、これまで月信仰と無関係に語られてきた、古代の日本で多く見られる宗教形態、神々の姿が、実は、月信仰のヴァリエーションだった可能性が見えてきます。
*参考文献
・「勾玉」水野祐(学生社)
・「月母神キサカヒヒメと射日神話」坂田千鶴子(「國文學」2007年3月号特集月光に掲載・學燈社)
・「『出雲国風土記』砕かれた縄文月神話の復元」坂田千鶴子(「光の神話考古 ネリー・ナウマン記念論集」・言叢社に掲載)
・「花ひらく大地の女神」高良留美子(御茶の水書房)
・「出雲国の女神」菊池展明(菜花企画)
*タイトル画像は、加賀の潜戸 しまね観光ナビより