法蔵と華厳教学
「神秘主義思想史」に書いた文書を転載します。
大乗仏教の代表的な経典である「華厳経」を元にして中国で生まれたのが「華厳宗」です。
そして、その教学を大成したのが法蔵です。
「華厳経」は悟りの境地を表現した経典とされ、華厳教学はそれを「四法界説」、「十玄縁起説」などで合理的、哲学的に体系化しました。
華厳教学の世界観は、「円融無礙」、「重重無尽」、「一即一切、一切即一」といった言葉でも知られています。
華厳経
「大方広仏華厳経(以下「華厳経」)」は、4C頃に中央アジアのシルクロード都市で、複数の経典をまとめて作られたもので、翻訳によりますが、34~45品からなります。
中でも、菩薩の修行段階を説いた「十地品」(これは単独で「十地経」として存在していました)、善財童子の求道物語を説いた「入法界品」が有名です。
他に、仏の命の現れを説いた「性起品」、 無数の蓮華蔵世界を説いた「盧遮那仏品(華蔵世界品)」などがあります。
蓮華蔵世界は、須弥山宇宙像とは異なる大乗仏教の宇宙像で、大蓮華の中に無数の香水海と世界種があり、その各々の世界種の中に多数の仏と無数の世界があるとするものです。
この蓮華蔵世界は、「華厳経」の教主である宇宙的な毘盧遮那仏が請願によって作り出したものとされます。
「華厳経」は、部分が全体を映し、部分と全体、そして部分同志が妨げ合わないという無礙な世界観で知られます。
「華厳経」では、例えば、次のように書かれています。
「蓮華蔵世界海の中においては、一々の微塵の中に一切の法界を見ることができる」(盧遮那仏品)
「菩提を求める心を発するならば、微細な世界がすなわち大世界であり…」(初発心菩提功徳品)
「菩提心を発する時、永遠の時間が一瞬に収まり…」(初発心菩提功徳品)
この世界観は、法蔵の「華厳五教章」などでは、「因陀羅網の譬え」、つまり、帝釈天の宮殿を荘厳する「因陀羅網」は、無限の結び目に宝珠がくくられていて、それぞれの宝珠が他のすべての宝珠を映し、その映された個々の宝珠の中にもまたすべての宝珠が映っている、を使って説明されます。
この華厳経の「一即一切」の世界観は、西方世界にも伝わり、新プラトン主義のプロティノスのヌースの世界の描写に影響を与えたと推測する説もあります。
華厳宗
「華厳経」の初の漢訳は、400年頃のブッダバトラによるものです。
その後、隋唐時代の中国で、この経典を根拠とする「華厳宗」が興隆しました。
ですが、「華厳宗」の先駆としては、世親の「十地経論」を根拠とする「地論宗」があって、唯識説と如来蔵説を研究していました。
ちなみに、日本では南都六宗の一つで、奈良の東大寺がこの宗派の寺です。
華厳宗は、天台宗と同様に、声聞、独覚、菩薩の三乗に対して「一乗」を名乗りました。
ですが、天台の「一乗」が三乗を越えた「同教」であるのに対して、華厳宗の「一乗」は三乗を内に包摂する「別教」であり、真の「一乗」であると、華厳宗は主張しました。
また、天台宗は「性具」という概念を特徴とし、一方、華厳宗は「性起」を特徴とする言われます。
「性起」は、如来蔵系の経典の「如来性起」に由来し、「如来蔵(仏性)」が個々人に顕現することを意味します。
天台宗の「性具」は凡夫の側からの見解、向上門で、禅では臨済宗が近い立場です。
それに対して、華厳宗の「性起」は仏の側からの見解、向下門で、禅では曹洞宗が近い立場です。
そして、華厳宗では、修行論に関して「三生成仏」を主張します。
始教では成仏までに三大阿僧祇劫かかると説きますが、「華厳経」は、優れた教えであるため、3回の人生で成仏できるとするものです。
最初の生では華厳の教えに出会って菩提心の種子を生み、次の生では修行を完成し、3つ目の生で成仏できるのです。
五師
中国華厳宗の始祖は、伝説的な人物の杜順(557-640)とされます。
彼は、「法界観門」で三種法界(三種観法)を説きました。
第二祖の智儼(602-668)は、「華厳経」の注釈書「華厳経捜玄記」や、「一乗十玄門」などを著し、華厳教学の基礎を築きました。
彼は、「華厳経」に出てくる「性起」を重要概念としました。
また、智儼は、教相判釈(経典の分類評価)として、次のような「五教判」を定めました。
1 小乗
2 初教 :般若経系・唯識系経典
3 終教 :如来蔵系経典
4 頓教 :維摩経
5 円教・同教一乗:法華経
円教・別教一乗:華厳経
また、様々な縁起の全体である「法界縁起」を、「異体」と「同体」という概念を使いながら、「十玄門」として説きました。
次の第三祖の賢首大師法蔵(643-712)はソグド系(サマルカンドのイラン系)中国人で、華厳教学を大成しました。
著作には、教学綱要書「華厳五教章」、「華厳経」の注釈書「華厳経探玄記」、「般若心経」の注釈書「般若心経略疏」などがあります。
法蔵は、法相教学に対する華厳教学の優位を確立することを目的として、「華厳五教章」などで教学を体系化しました。
彼の思想は、主に四つの説、「三性同異義」、「縁起因門六義法」、「十玄縁起無礙法」、「六相円融義」で表現されます。
「三性同異義」のみが法蔵の独創で、他は智儼から継承して発展させたものです。
第四祖の澄観(738-839)は、起信論、三論宗、天台宗、南北禅宗(牛頭宗が中心)を学んだ後、華厳宗の門下となりました。
彼は、「法界玄鏡」などを著し、杜順の「法界観門」と法蔵の「十玄説」を統合して、三論宗の空観の観点から「四種法界説」を立てました。
また、「五教判」の「頓教」と「終教」を入れ替えて、「頓教」に禅宗を入れました。
これは、四法界説に合わせて、「頓教」=「理法界」、「終教」=「理事無礙法界」、「円教」=「事事無礙法界」とするためでしょう。
この対応だと、禅は「理法界」になるのですが、禅の真意は「理事無礙法界」にあるとしました。
また、禅の「不立文字」、「教外別伝」を批判し、禅の実践と教学の両立を主張しました。
第五祖の宗密(780-841)は、儒学、そして、南宗禅の荷沢宗で禅を学んだ後、澄観の門下となりました。
彼も、実践と教学の両立である「教禅一致」を主張し、荷沢宗の立場から洪州宗などの禅宗の他派を批判しました。
四種法界
華厳教学で有名な「四種法界説」は、4段階の世界の見方、境地です。
始祖の杜順が「法界観門」で三種の法界の観法を説いたことを元にして、第四祖の澄観が「法界玄鏡」で体系化したものです。
また、法蔵も「探玄記」において、四種法界や三種観法という形ではありませんが、それらに相当するものを説いています。
名称の対応は下記の通りです。
(法界観門) (探玄記) (法界玄鏡)
1 ― : ― :事法界
2 真空第一観 :無住不二法門:理法界
3 理事無礙観第二:理事無礙門 :理事無礙法界
4 周遍含容観第三:事融相摂門 :事事無礙法界
1の「事法界」は、通常の煩悩を持つ人間が見る世界です。
分別知によって個々の事物である「事」を実体として、その個的な差異を見ます。
煩悩の世界は観法とはならないので、「法界観門」では扱われませんでした。
2の「理法界」は、無分別な空観です。
「理」は「空」による普遍、同一性を意味します。
ですが、「空」の否定性だけではなく、「縁起(依他起性)」の肯定性を合わせて含みます。
3の「理事無礙法界」は、1の「事」と2の「理」が、同時に互いを妨げない見方です。
この段階は、天台宗の認識とされます。
法蔵はこの法界を、「大乗起信論」に独特の如来蔵思想に基づいて説きました。
つまり、「理」は「真如」であり「如来蔵」であり、それが、個の世界を生み出します。
法蔵は、その「空」に留まらない「真如」の働きを「如実不空」と表現し、それが煩悩に汚染されないとしました。
「大乗起信論」では、真如の心「心真如」と無明の心「心生滅」の両方を「和合」して「阿梨耶識」と呼びます。
「理事無礙法界」は、両者が「相即相融」する世界です。
4の「事事無礙法界」は、華厳宗に独自の境地とされます。
個々(事)が現象的に自己同一性を保ちながら、一対一で互いに他を含み含まれる存在と見ます。
法蔵は、「事事無礙」という言葉は使っていませんが、「探玄記」では「事融相摂門」としてこの法界を説いています。
「事事無礙法界」の境地の理論化は、杜順の段階では、まだ、個の固有性を十分に確保できていませんでした。
法蔵が「相即相入」という概念を導入することで、個を主とする立場を説くようになりました(後述)。
「事事無礙法界」は、ライプニッツのモナド論と似ていますが、その違いは、非実体主義で認識論的であること、そして、動的な関係があることでしょう。
法蔵の空観
法蔵は、「般若心経略疏」で、「空」=「自」と「色」=「他」の相補的な関係から「般若心経」の「空」を解釈しました。
法蔵は、「般若心経」の四句「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」を、次の4つの場面に対応させて解釈しました。
1 第四句 :空が隠れて色が前面に出る(空の観点から色を見る)
2 第三句 :色が眠って空が前面に出る(色の観点から空を見る)
3 第一・二句:空と色が共に成立する
4 明言されず:空と色が共に眠る
第四の場面は、究極の境地で、「般若心経」には明言されず、暗示に留まっているとします。
この4つの場面は、「四種法界」とは対応はしていませんが、似たところがあります。
法蔵は、「般若心経」を強引に華厳宗の立場から解釈しています。
この解釈は、「空」も「色」も「法界」の様態して等価に考えるもので、中観派の空観とは異なり、中国的です。
法蔵の三性説、唯識観
法蔵が「華厳五教章」で説いた「三性同異義」は、唯識派(法相宗)の「三性説」を「起信論」の真如説に基づきながら、一元的な縁起世界の無礙を理論化したものです。
これは、「三性」のそれぞれに下記の二義があり、その一義においては三性は同じであり、もう一義において異なる、つまり、「三性」はそれぞれが不一・不異の関係があるとするものです。
・円成実性 :不変/随縁(現象世界を生む)
・依他起性 :似有(仮に存在すること)/無性
・遍計所執性:情有(迷いの心において存在)/理無(道理として存在しない)
これは、唯識派の「三性・三無性」とは構造が異なります。
また、唯識派が「三性」を遍計所執性から向上的に語るのに対して、華厳宗は円成実性から向下的に語ります。
法蔵は、これを論証するに当たって、ナーガルジュナの四句分別を使いましたが、四句否定だけでなく四句肯定も行いました。
また、法蔵は、「華厳経」に出てくる「三界唯心」を説明するに当たって、法相宗(唯識派)の「五重唯識観」を発展させて「十重唯識」としました。
これは10段階の認識の深まりに対応し、「五教判」の大乗の四教を順に進みます。
まず、客観を心に帰一させ、阿頼耶識から如来蔵へ進み、如来蔵と他の識との無礙な状態に至ります。
第7段階が「理事無礙」、第8以降が「事事無礙(事融相摂)」に相当し、「相入」、「相即」といった概念も使って説かれます。
縁起因門六義法
智儼は、「捜玄記」で縁起を説くにあたって、「有力」、「無力」という概念を使いました。
「有力」とはそのもの自身の因だけが結果を生じさせる力があること、「無力」とは因にその力がないので、他の縁によって結果が生じることです。
法蔵は、「華厳五教章」の「縁起因門六義法」で、これを継承し、唯識派の「種子の六義」を種子以外にも拡大して縁起を説きました。
法蔵はここで、あるものが「有力」で縁を持たず因が主力の場合と、「有力」だが因と縁がバランスを取って縁を持つ場合、そして、「無力」で縁を持ち縁が主力となる場合の3つに分けます。
そして、それぞれに無性の面と似有の面を考えて、「六義」で分析しました。
このように、華厳教学では、因と縁は互いに他を奪い合う関係にあります。
この関係は、後述する「同体・異体」、「相入」という概念とも関係します。
十玄縁起
現象の円融無礙な縁起の関係を、10種の観点から説いた説が「十玄縁起」です。
最初に、智儼が「一乗十玄門」で説き、法蔵が「五教章」でこれを解説し、「探玄記」で修正して深めました。
それぞれで、十玄の名称や順序は異なります。
「探玄記」の「十玄門」と、その「五教章」での対応は次の通りです。
(探玄記) (一乗十玄門・五教章)
1 同時具足相応門 :そのまま
2 広狭自在無礙門 :7の諸蔵純雑具徳門
3 一多相容不同門 :同名で2
4 諸法相即自在門 :同名で3
5 秘密顕了倶成門 :6の秘密穏顕倶成門
6 微細相容安立門 :同名で5
7 因陀羅微細境界門:同名で4
8 託事顕法生解門 :同名で10
9 十世隔法異成門 :同名で8
10 主伴円明具徳門 :9の唯心廻転善成門
「探玄記」の順で、簡単に説明します。
1は、すべてのことが同時に起こっていることを見ます。
2は、一(狭)が一切(広)を蔵している「純」と、一切が一に蔵される「雑」の関係を見ます。
3は、一つのものが一切を包み込んでいる作用の「相入」の関係を見ます。
4は、一つのものが一切のものである「同体・異体」の「相即」の関係を見ます。
それゆえに、初発心を起こした菩薩は、すでに仏と一体になります。
5は、それぞれのものにおいて隠れているものと顕になっているものが同時に成立していることを見ます。
6は、微細なものの中に一切の作用が入り込んでそれが顕現している関係を見ます。
7は、因陀羅網の譬えのように、重重無尽に反映し合う、「相即相入」の関係を見ます。
8は、すべての事物の重重無尽の関係、個々に特徴があって他の事物を象徴的に表現していることを見ます。
「事」という言葉があるように、事事無礙を表現しています。
9は、あらゆるものが時間的に区別があっても「相即相入」して成立していることを見ます。
10は、如来蔵自性清浄心が諸法(現象)を生じさせる「性起」を見ます。
「唯心廻転善成門」は、「理事無礙」的と言われますが、如来蔵が「自性を否定して諸法を生じさせる」と書かれているため、「事事無礙」的な側面もあります。
ですが、「主伴円明具徳門」の表現はより「事事無礙」的になっています。
個々の事物は主であり他から見れば伴となる関係です。
異体・同体、相即・相入
智儼は「一乗十玄門」で、「異体」と「同体」を重要な概念としました。
「異体」は、個々のものが他の縁を受けて成り立つことです。
「同体」は、個々の中に他のものを含んでいて、それ自身の因で成り立つことです。
つまり、他との関係を、「異体」は外に見て、「同体」は中に見る観点です。
法蔵は、縁起を「異体/同体」の観点と「体/用」の観点を組み合わせて考えます。
・異体:外との関係:縁で成立
・同体:内での関係:因で成立
「体」、つまり、存在・基体の観点では、あるものが「有」であると見る時、他のものは必ず「空」となり、他はあるものに即し、包み込みます。
その逆の関係もあります。
つまり、あるものは他のものであり、他のものはあるものとなります。
法蔵は、この関係を「五教章」では「相即」、「探玄記」では「相是」と表現します。
また、「用」、つまり、作用の観点では、あるものが他のものを成立させている時、あるものは「有力」であり、他は「無力」となります。
「有力」というのは、力を働きかけて入り込むことで、「無力」というのは、潜在化することです。
その逆の関係もあります。
つまり、自他は互いに成り立たせています。
法蔵は、この関係を「五教章」では「相入」、「探玄記」では「相在」とも表現します。
・体:有か空か :相即
・用:有力か無力か:相入
この「相即」、「相入」の関係は、「異体」においても、「同体」においても存在します。
「同体」の「相即」の関係については、それを「一即多」、「多即一」と表現します。
また、「相入」の関係については、「一中多」、「多中一」と表現します。
・同体の相即:一即多・多即一
・同体の相入:一中多・多中一
法蔵は、自然数の一から十までの個々の関係で「相入相即」を説きました。
これは、「華厳経」の中で説かれる「十銭の比喩」と言われるもので、智儼も解説しています。
特に、「相入」の概念は、力動的な関係を示すため、注目すべきものです。
法蔵は、これについて、「ここに現象しているのはあくまでも作用の奪い合い」と「華厳遊心法界記」で書いています。
彼は、「事事無礙(事融相摂)」を、個同志が力のせめぎあいを行っている動的な関係として見たのです。
六相円融
「六相円融」も、「十玄縁起」と同じく現象の円融無礙な縁起の関係を、別の観点から説いたものです。
「六相」という言葉は「華厳経」にあり、それを世親、地論宗、智儼らが説いたものを、法蔵が「五教章」で深めました。
「六相円融」は、各部分がそれぞれの特徴を保ちつつ、他と関係を持ちながら、全体をなしていることを、六相から説きます。
六相とは、「総相(全体性)」と「別相(個別性)」、「同相(一致性)」と「異相(特殊性)」、「成相(統一性)」と「壊相(独立性)」です。
法蔵は、それを具体的には、建物の部分と全体の譬えで説きました。
*中国仏教については下記もご参照ください。