ゾクチェンの瞑想法:トゥゲル
「仏教の瞑想法と修行体系」に書いた文章を転載します。
トゥゲル
「ゾクチェン(マハーサンティ、大究竟、アティ・ヨガ=原初のヨガ)」の修業法の最終段階である「トゥゲル(超越)」の行法を説明します。
この瞑想法は、仏教瞑想の奥義中の奥義です。
「トゥゲル(超越)」は「三昧を深める」修行です。
「光の顕現の修行」とも、「ヤンティ・ヨガ」とも呼ばれます。
「トゥゲル」では、業のない、根源的な次元、つまり、光である元素のエレメントの次元の現れに、意識と身体を転移させます。
それによって、仏の三身とは異なる「虹の身体」を得ることができます。
「虹の身体」は「報身」よりも活動的で、他者と直接的に接触して救済することができる存在だそうです。
「トゥゲル」は、ハタ・ヨガのような、特殊な体位、呼吸、視線、気の操作などを駆使します。
青空や、太陽の近くや、何もない空間を凝視したり、何日も暗闇の部屋に籠って暗闇を凝視したりして、瞑想を行います。
そして、視覚神経と胸や眉間のチャクラを結ぶ脈管などを刺激して、光の微粒子を放出して、光の顕現の4段階を順次体験していきます。
光の顕現の4段階は、「法性の顕現」→「顕現の増大」→「顕現の完成」→「顕現の消滅」と呼ばれます。
この光の顕現は、「心の本性」と呼ばれる母体からの、業が完全になくなった現れであるとされます。
「チベット死者の書」にも書かれている、死後の体験とも関係しています。
また、日常的な心の様々な顕現を、その光の顕現一体化することで、心の様々な顕現をより完全に開放したものにすることができるようになります。
密教では形象的な象徴である尊格を重視し、意識的にコントロールして観想するのに対して、ゾクチェンでは、作為はしません。
自然に現れる、抽象的で普遍的な、光や音や光線が作る諸パターンを観察します。
第三段階の顕現では、尊格が含まれますが、必ずしもゾクチェンにとって本質的ではないと思います。
「トゥゲル」の具体的な方法に関しては、ニンマ派の方法は公開されていないと思います。
ですが、ボン教のゾクチェンの出版されているテキストである「智慧のエッセンス(クンサン・ニンティク)」には、かなり具体的な方法が記載されています。
おそらく、ニンマ派教の方法とあまり違わないと思いますので、これを紹介します。
4つの方法
まず、光の顕現を見るための4つの方法があります。
これは、ポーズや視線、見る対象に関する方法です。
1つ目の方法は、気をコントロールするための身・口・意に関する方法です。
「身」はポーズ、ヨガで言うアーサナで、次の4つのポーズがあります。
「法身のポーズ」は、心の本性に留まるためのポーズで、「座っているライオン」のポーズと呼ばれ、しゃがむ姿で肛門を締めます(ムーラ・バンダ)。
「報身のポーズ」は、顕現が外界に立ち現れるためのポーズで、「伏せる象のポーズ」と呼ばれ、両肘を地面につけてあご先を両手で支えます。
「変化身のポーズ」は、思考を断ち切り、内外の顕現を発展させるためのポーズで、「仙人のポーズ」と呼ばれ、胸に両膝をつけて両腕で包み込み、首を後ろに反らします。
4つ目のポーズは、初心者が顕現を現れやすくするためのもので、「アヒルが横に動くようなポーズ」と呼ばれ、右ひじを地面に付けて顎先を支えながら右側を下にして横になると、気が中央管に入りやすくなります。
「口」は、話すことを止めるというシンプルなものです。
「意」は何もない空間を凝視するという視線に関するものです。
2つ目の方法は、視線とポーズを合わせてもので、ヨガで言うムドラーに近いものでしょう。
「法身のポーズ」では上方を凝視し、「応身のポーズ」では下方を凝視し、「報身のポーズ」では左右どちらかを凝視します。
両目は半眼にし、視線を固定して、太陽の下方を見ます。
3つ目の方法は、凝視する対象に関するもので、澄み渡った空を凝視します。
最初は日の出か日の入りに行うと光の顕現が現れやすいとされます。
4つ目の方法は、呼吸に関するもので、穏やかに呼吸することで、心と気を脈管の胸のところで出会わせます。
以上では、暗闇での瞑想(ヤンティ・ナクポ)に関しての記述がありませんが、これを行う場合にも、独特のポーズや視線があります。
4つの脈管
次は、光の顕現を生み出す、特別な4つの脈管に関する説明です。
これらの脈管に気を移動させ、刺激することで、光の顕現を現わすのでしょう。
「大いなる金の脈管」は、心臓と中央管をつなげています。
内側には光明のエッセンスが輝いていて、寂静尊が立ち現れます。
「白絹の糸」と呼ばれる脈管は、心臓から背骨を上に登って首のところで中央管から離れ、脳の外側を進んで右眼と頭頂に分岐します。
頭頂では思考を離れた大いなる「明知」が立ち現れます。
完全な顕現においては、脈管の中に9つのティクレ(心滴、光の粒)が積み重なって立ち現れます。
「細いより糸」と呼ばれる脈管は、中央管の心臓のところから中央管の下部まで降り、4つのチャクラを通って頭頂まで再び上昇して、脳の外側を通って左目に至ります。
この脈管によって、根源的な光明の顕現が直接輝きます。
「水晶のチューブ」と呼ばれる脈管は、心臓と眼を結びつけています。
この脈管によって、一切の顕現が心の本性へと溶けていきます。
以上の4つの方法、4つの脈管の刺激によって、光の顕現を生み出します。
4つの灯明
「4つの顕現」の元となる「4つの灯明(光)」があり、順に深まっていきます。
最初の「水の灯明」は、透明な空を凝視する時に現れるもので、心臓の内側から現れてきます。
深い青色をした透明な色彩が現れ、ここから五色の光と様々な形をした光線が広がります。
次の「空のティクレの灯明」と「清浄な空性の灯明」は、現れの回りにさざ波が現れます。
最初は無色のさざ波が現れますが、粗い気が浄化されると、五色のさざ波が現れます。
その内側を見ます。
「明知」が明確になると、「自発的に現れる智慧の灯明」が現れます。
真珠と金糸のように透明な光が智慧そのものとして現れます。
4つの顕現
再度、書きますが、光の顕現の4段階は、「法性の顕現」→「顕現の増大」→「顕現の完成」→「顕現の消滅」です。
これらは、意識的に観想するのではなく、「心の本性」に留まっていると、業がなくなるに従って、自然に現れます。
1 「法性の顕現」では、「心の本性」が宿る心臓のチャクラから、音、光のティクレ、5色の光線が多数現れます。
最初に多数のティクレが現れ、常に動きながら、時にはビーズのように並びます。
まだ、角張った模様の中を微細なティクレが動いていきます。
顕現は気と連動しているので、常に動いています。
顕現に捉われて追いかけず、心の本性に留まるようにします。
2 「顕現の増大」ではそれらの表れが多様な形象を形作ります。
五智が五色の光線となって現れ、眉毛から上方へ飛び去ります。
顕現は網のように透き通っていて、花は卍や宝石や宮殿や曼荼羅でできた花輪で飾られたように、様々な形として現れます。
顕現は、最初は一瞬の飛び去るようですが、徐々に安定していきます。
そして、宇宙と同じくらいの大きさになり、揺らぐことがなくなります。
時に、ティクレは楯くらいの大きさにまでなります。
3 「顕現の完成」では、多数の尊格の曼荼羅が自然に現れます。
大きく現れたティクレは、その外側の周囲が五色に彩られ、内側に曼荼羅が現れます。
これらは、密教の生起次第のように意識的に観想するのではなく、自然に現れます。
しかし、実際には、あらかじめ、観想したり灌頂を受けるなどして尊格に親しんでいないと、現れないでしょう。
ゾクチェンで、具体的な尊格などのイメージが問題になるのは、この時くらいです。
ニンマ派では、シト100尊(忿怒尊が48尊、寂静尊が52尊)と呼ばれる尊格が現れるとされます。
ちなみにボン教では忿怒尊が86尊、寂静尊が45尊です。
これは、「死者の書」に書かれている、死後に現れる尊格です。
寂静尊は胸のチャクラから、忿怒尊は眉間から投射されるように現れます。
また、この顕現が外界と溶け合っていき、すべての顕現が解放されます。
この段階で、脈管は完全に浄化され、完全に業のない顕現が完成します。
「顕現の完成」を達成すると、仏の三身が完成します。
「トゥゲル」の修行によってしか、変化身を生前に獲得することはできません。
また、死後に「虹の身体」を得ることができるようになります。
4 「顕現の消滅」は、顕現が完成した後、自然に消滅へと反転する段階です。
肉体も消滅へと向かいます。
満月にようになった顕現は、月が欠けるように小さくなり、ティクレの大きさに戻ります。
そして、心の本性の中に溶け入ります。
肺から心臓に伸びた脈管が完全にほどけ、日常の顕現も含めてすべての顕現が消滅します。
肉体は業の現れなので、業が完全になくなった時点で、物質の根源であるエレメントの光でできた「虹の身体」に解消されます。
顕現が消滅へ向かった時、指を見ると、光で包まれているのが見えます。
この光に意識を集中することで、生きている間に肉体を「虹の身体」に解消することができます。
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