8. アメリカ合衆国での展開
2001年に書いた「アフリカン・アメリカンの宗教と音楽」の第8回目です。
アメリカ合衆国には、カリブで一旦キリスト教化された奴隷達が連れて来られたこともあって、アフリカの宗教はあまり伝わっていない。
アメリカの黒人にとって、アフリカの宗教とはほとんどの場合は古代エジプトの宗教であって、ブラック・アフリカではない。
ブラック・アフリカの宗教と言えば、戯画化されたブードゥー教のイメージが一般的だっただろう。
そんな中でも一部、ブラック・アフリカのルーツにアプローチした人達もいる。
先に書いたDIZZY GILLESPIEはキューバ人コンガ奏者チャノ・ポソをバンドに入れ、断片的ながらアバクワの聖歌を歌わせた。
また、ジャズ・ドラマーのART BLAKEYはナイジェリアに滞在して学び、アフロ・キューバン・ジャズとは違った方向で、リズムを重視したアフロ・アメリカンのジャズを追求した。
ただし、彼はナイジェリアでイスラム教徒になっているので、直接的にジュジュにアプローチしたものはないかもしれない。
57年にSABUやCANDIDOらをフィーチャーして行った最初のリズム・セッション・アルバムART BLAKEY AND THE JAZZ MESSENGERS『Drum Suite』(COLUMBIA)では、“Cuban Chant”でサンテリアと思われるものを取り入れている。
また、62年にアフリカのパーカッショニスト達をフィーチャーした傑作ART BLAKEY AND THE AFRO-DRUM ENSEMBLE『The African Beat』(BLUE NOTE)ではヨルバ出身のチーフ・ベイがジュジュのリズムを使った曲を書いている。
また、サンフランシスコで結成されたアフロ・フリー・ジャズ・グループJUJU(後にファンキーなサウンドに移行してからは名をONENESS OF JUJUと変えた)は、グループ名からもヨルバ宗教のルーツを普遍化していこうとする姿勢が感じられる。
95年にリリースされた傑作アルバム『African Rhythm』(BLACK FIRE MUSIC)の“Chant”では、プリミティヴなシャンゴ讃歌を演奏している。
<アウトロ>
これまで大陸を渡ったブラック・アフリカの宗教と音楽を紹介してきたが、少ない資料を元に、なるだけその本来の体系性と全体性をもった姿を描き、あるいはそれを探求しようとした人、作品を取り上げてきた。
しかし、現代人である我々が、部族社会や部族王国レベルの宗教や音楽を、そのままの姿で受け入れて生きることはもちろんできない。
資本主義社会はそういった本来的な体系性を解体してきたのだから。
しかし、資本主義社会は口当たりのいいその浅薄な偽物を最創造して流通させている。
だからこそ、伝統的な宗教・音楽をその全体性と深みにおいて捉えることは、資本主義社会から一歩距離を置いた、新たな人格や創造を生み出す可能性を持っていると思う。
さらに言えば、神々の体系は、その解釈や実践の仕方によって、王国の体制的イデオロギーにもなれば、王国を越えた普遍性へ開くものにもなるし、一切の構造を解体するような道具にもなる。
神話的な道化神や文化英雄、あるいはカーニヴァル的狂乱などにある両義性も、構造が変わらないことを前提にした伝統的社会でのあり方と、常に表面的に変化し続ける資本主義社会でのあり方は変わってくる。
その微細な差異に対してこそ意識的でないといけないだろう。