見出し画像

縄文の世界観と月信仰 2

月信仰に関わる連続投稿の3つ目で、「縄文文化の世界観と月信仰1」の後編です。

前稿に引き続き、縄文中期の中部高地周辺に栄え、土器などで豊かな表現を行った、井戸尻文化を中心にして、ネリー・ナウマンと、彼女の説を継承し発展させた小林公明と田中基に基づいて、その月信仰と関わる一部をまとめます。

本投稿では、前稿で紹介したことを、個々の土器、土偶、遺跡を取り上げならが、具体的に紹介します。

まず、ネリー・ナウマンの月信仰に関する説を紹介します。
次に、最も代表的な土偶である「縄文のヴィーナス」像、そして、最も興味深い土器である「出産土器」について紹介します。
その後に、3種土器の意味と祭儀について紹介します。
最後に、住居と集落に描かれた世界観を紹介します。

*一般に、「新月」と「朔月」は同じ意味ですが、当稿では、「新月」は「再生」に力点を置いて上弦の三日月に近い意味で、「朔月」は「死」に力点を置いた意味で使います。
また、「旧月」は「新月」に対しての前の月の意味で使います。



ネリー・ナウマンと月信仰


1975年に、ドイツの日本学の専門家ネリー・ナウマン女史が、初めて縄文文化を対象にして、そこに月信仰を読み取る研究の発表を始めました。
彼女は、カール・ヘンツェの説に影響を受けつつ、世界の神話や出土品などを根拠にしました。

日本の考古学者は、彼女の説をほぼ無視しましたが、小林公明、田中基らが、ネリーに影響を受け、その研究を継承し、彼女が保留した部分にまで踏み込みました。

ネリーは、土偶の用途は明らかではない、土偶の大半が女性であり妊娠しているという説は受け入れられない、壊された・殺された土偶は女神の復活を象徴するという根拠はない、などと、日本の考古学者の諸説に対して、慎重な姿勢を取りました。

その一方で、縄文文化に、月を中心にした再生信仰を読み取りました。

以下、彼女の「生の緒」(言叢社)をもとに、その説を紹介します。


月は「生の水(若変水)」の所有者であり、それは月の涙であり、鼻水であり、唾液です。
土偶には、これらが流れた跡が描かれています。

そして、やや上向きで、平たく窪んだ盆の形の顔は、横から見ると三日月で、「生の水」はこの顔に集められます。
つまり、土偶は「生の水」を垂らすと同時に、盆状の三日月としてそれを貯める月神です。

土偶の多くの額は、出っ張った眉とその上に窪んだイチョウ葉形と呼ばれる部分があり、この部分も三日月を象徴します。(これは小林説を承認したもの)
眉や額上部が螺旋状のものもあり、このイチョウ葉形の左右部分は、月の満ち欠けを表現します。

頭部に蛇が乗った土偶がありますが、その蛇は、貯まった「生の水」を飲みます。
また、土器に描かれた蛇にも、その中の水を飲もうとしているものがあります。
蛇が、脱皮する不死なる存在になったのは、このためです。

藤内遺跡出土の土偶
・左目から涙(若変水)を流している
・顔ややや上向きで若変水を受け止める
・後頭部に若変水を飲もうとしている蛇がいる
・イチョウ形の額部分は三日月を表現する
・嬰児のようなあどけない顔は、再生した月を表現する
・腕を広げるのは、脇に月の出入りをさえるため
「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)より

また、目を閉じた土偶がありますが、胎児(嬰児)の目であり、光を放たない朔月の表現であり、これは再生の思想を表現します。

土偶の中には、顔の皮膚が二重になっているものがありますが、これは月が再生し、蛇が脱皮するように、脱皮しようとしている姿です。

亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土偶
胎児(嬰児)のような閉じた目は、朔月の表現であり、
目が縁取られているのは新しい皮膚が生まれていることを示す可能性がある
「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)より


また、「3」が月信仰の聖数です。
それは、朔月の3日間を示します。
また、満月、上限の三日月、下限の三日月という月の三幅体を示します。

土器によく描かれているカエル(ヒキガエル)が、3本足だったり、3本指だったりするのも、このためです。

カエル(ヒキガエル)は、朔月の表現かもしれません。
両手を上げたカエルの腕の下から、渦巻きが描かれているものがありますが、脇の下からの月の復活を表現しているのかもしれません。

藤内遺跡出土の有孔鍔付土器の図像
螺旋の腕は、土器を顔と見て両眼か?(当ブログ著者の私見)
胴体下部から出ている3本の線は朔月の3日に対応して垂れる若変水か?(当ブログ著者の私見)
「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)より


幾何学文では、渦巻きは月の運動を象徴します。
特に、2重線の渦巻きは、月の満ち欠けを表現し、中心が新月です。

また、渦巻きは、この月の運動を受けた、人間の生命の進展を表現します。


臍から胸、あるいは、喉にかけて刻まれた線がある土偶がいくつもあります。
この線は臍で渦を巻いていますが、これは生命が始まる中心であり、その進展を表現します。

左:山梨県鋳物師屋遺跡出土の土偶
右:千葉県井原台遺跡出土の土偶
「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)より

これは、「万葉集」で比喩的に表現される「生の緒(いきのお)」の本体でしょう。
そして、「生(いき)」は「息」でもあるので、喉の当たりまでつながっています。

*ネリーの言うように、「息」と関係するのなら、「生の緒」は気(プラーナ)が通る脈管、臍は下丹田のようなものかもしれません。
彼女は、月と「生の緒」の関係を直接には触れていませんが、生命の大本が月であれば、関係するハズです。
もし若変水と関係するのなら、口から飲んだ若変水が臍に伝わり、臍の緒を通して胎児を育成する、とも解釈できるのではないでしょうか?


また、再生信仰という点では、胎児の甕棺葬や、屈葬、再葬には、再生への信仰があったと推測されます。
甕棺は胎盤に見立てられたもので、その底が打ち抜かれているのは再生(出産)を容易にするためです。
甕棺への再葬で、頭蓋骨が下部に入れられているのも、再生を願ったためです。

また、動物の扱いに関しても、イルカや熊の頭骨を使った儀礼から、世界的の狩猟・漁撈文化と共通する再生信仰があったことが推測されます。
骨を適切に埋葬すると、動物の魂は、動物の主の元に戻り、再生して人間のいる世界に戻って来ると信じられました。


ネリーは、ここにまとめた以上のこと、つまり、これ以降に紹介するような、小林、田中による土器、土偶のより具体的な解釈については、慎重な姿勢を取りました。


縄文のヴィーナス


「縄文のヴィーナス」と呼ばれる茅野市の棚畑遺跡出土の女神像があります。
この像を、月信仰で解釈します。

棚畑遺跡出土の土偶
「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)より

強調された臀部、乳首に、妊娠しているようなお腹の膨らみがあるので、旧石器時代のヴィーナス(太母)像からつながるものであり、地母神像であると思われます。

顔の形がハート型ですが、その上部が三日月であり、顔は月の影の部分になります。

顔はあどけなく、目は閉じているにように見えるので、地母神でありながら、同時に、彼女が生む嬰児=新月でもあります。

見えていませんが、被り物の上部には、螺旋が描かれていて、月の満ち欠けを表現しています。

下腹から女性器の部分に、内反りの弧線で囲まれた、一段低く削り取った部分があります。
これに似たものは、他の女神像などにも見られ、逆三角形、糸巻き型などいくつかの形があります。

ネリーは、これを単に腰巻きを解釈していましたが、小林は、これを女性器の表現と見て、月が隠れる洞窟であるとします。

ですが、田中の解釈が一番面白く、「古事記」のイザナミ神話に基づいて、地母神が火神を生んだ時にできた火傷の跡だとします。


出産土器


津金御所前遺跡で出土した人面付深鉢土器に、出産の瞬間を描いているので「出産土器」と呼ばれる土器があります。
とても興味深い土器ですが、抽象化的に図案化されていますが、張り付いたような蛙が描かれているので、この土器も月信仰を表現しています。

御所前遺跡出土の人面付深鉢
「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)より

土器全体が女神であり、本体中央部に、顔が出ている子を出産しています。

土器の縁についている顔は母の顔ですが、子と同様にあどけない顔なので、母と子の一体性を表現しています。

上部の顔には、顔を囲む装飾があり、高良留美子はこれが籾殻であるから、この顔が穀霊であると解釈しています。

母=子なので、土器全体(母)はイザナミにつながる地母神であり、子がワクムスビやオオゲツヒメ、ウケモチにつながる穀物女神になります。

子は母である土器全体の女性器から生まれていることになりますが、ここは蛙(半人半蛙)の背中に当たっています。
これは、地母神が月神と見なされていることを表現します。
女性器=蛙の背中は、朔月が隠る洞窟であり、生まれる子は新月になります。

子の顔の上部にある穴の開いた部分は、蛙の双眼で、これも朔月が隠る洞窟です。

一方、足先は螺旋のような円文になっていて、これは満月、もしくは、新月の表現です。

子の顔の左右の下には、腕に見えるものがあり、これが三日月になって、若変水を受け止めている、もしくは、月の影の部分を抱いています。


3種土器による祭儀


塩山市の北原遺跡では、「人面付深鉢(女神像土器)」、「香炉形土器」、「有孔鍔付土器」が、一箇所から重ねられた形で出土しています。

田中は、これら土器3セットで祭儀が行われたと推測しています。

この3つは、それぞれ、地母神、地母神の頭部、地母神の体に当たります。

これらの土器は、それぞれ、地母神が、穀物神、火神、水神を生むことを表現しています。

「人面付深鉢」は、通常、人面部分、つまり、頭部が切り離されて見つかります。

そして、祭儀は、これらの神を殺すことが演じられたと推測されます。

それぞれの土器を見てみましょう。


●人面付深鉢(女神像土器)

「人面付深鉢」は、先に紹介した「出産土器」を含むカテゴリーです。
つまり、「人面付深鉢」は、土器の縁に女神の人面が付いている土器であり、出産の図柄が描かれるのはその特殊例です。

この人面には、表裏が対照的で、表面はあどけない幼女でありながら、裏面は恐ろしい太母の顔として作られているものもあります。
穀物神(ワクムスビら)と冥界の地母神(イザナミにつながる)が表裏一体ということです。

この土器には、蛙(半人半蛙)の図像が描かれることが多いので、やはり月神でもあることが分かります。

「人面付深鉢」は、地母神の体に当たる本体は破壊され、人面の部分だけで見つかるのが通常です。
そして、この頭部(=穀物女神?)のみが住居内で祀られました。

おそらく、聖餐の儀礼を行った後、土器が破壊されたのでしょう。
上記の北原遺跡では、一緒に長い石斧が見つかっており、これで女神の首をはねたのでしょう。


●香炉形土器

ランプとして使われた土器に、「香炉形土器」があります。

縄文中期後半の八ヶ岳の曽利遺跡出土の「香炉形土器」は、表面から見ると、少女がしゃがんで開いた女性器から、火が見えます。
これは、火神(カグツチにつながる)を生む地母神(イザナミにつながる)を形作っているのでしょう。

一方、裏面から見ると、両目に穴が空いてドクロのような頭で、髪の毛が10匹の蛇になり、鼻筋も蛇になっています。
つまり、土器全体が、根の国でのイザナミの姿を彷彿とさせる冥界女神の頭部なのです。

香炉形土器の表(左)、裏(右)
「縄文のメドゥーサ‎」田中基(現代書館)より

また、穴場遺跡出土の「香炉形土器」は、冥界女神としての頭が、イノシシの幼獣であり蛙であり、体は蛇という複合獣です。
これらの動物から、この地母神は、月女神でもあることが分かります。

「香炉形土器」は冥界女神の頭部なのですが、記紀神話では、イザナミは首を切られていません。
ですが、ギリシャ神話の、本来は地母神だったメデューサは、ペルセウスに首を切られました。
縄文の地母神にも、首を切られる神話があったのかもしれません。

アジアにおいて、このような屍体化生神話と女神の胎内からの火の起源神話の分布が重なり、初期農耕民に由来します。


●有孔鍔付土器

「有孔鍔付土器」は、上部の口の部分が切断されたようにも見える土器で、「人面付深鉢」の本体部分、つまり、女神の胴体のみと見られる土器です。

その胴部には、人面付深鉢と同様に、多くは、背中を見せる蛙(半人半蛙)が描かれています。

先にも書きましたが、2つの突起状の双環は蛙の眼で、朔月が隠る洞窟になっています。

蛙の背中は女性器であり、これも月が隠る洞窟です。
下記写真右の蛙の背中は、左右に螺旋が描かれ、上弦と下弦の月の運動を表現しています。

両手を上げていることが多いのは、脇から月の出入りをさせるためで、腕や足が螺旋状に巻くことは、月の満ち欠けを表現します。

左:藤内遺跡、右:上の入遺跡出土の有孔鍔付土器
「縄文のメドゥーサ‎」田中基(現代書館)より

「有孔鍔付土器」は、酒作りに使われたと推測されています。
酒は、月の水、つまり、若変水とみなされていたのでしょう。

以上のことから、この土器は、地母神(イザナミにつながる)であり、月女神であり、また、水女神(ミヅハノメにつながる)でもあるのでしょう。


以上のことから、3種土器を使った儀礼は、地母神の殺害、そして、火神、穀物神、水女神の誕生という神話を再演したものだったのでしょう。


女神と胎児を描く、住居と集落


小林、田中らの説をもとに、縄文時代の住居や集落の構造に見られる、象徴性を紹介します。


縄文中期の住居は、円形が主流になり、住居を女神の体、炉を子宮と見なす観念が生まれました。

また、環状集落全体も、女神の女性器と見なされるものが生まれました。
内側の死者の墓域が子宮に通ずる場所で、外側の生者の居住域が女性器の縁となります。


藤内遺跡や茅野市の棚畑遺跡には、それだけではなく、冬至の太陽が立石(男根)に当たって、その影が石囲炉(子宮)に刺す、という設計になっている住居があります。

これは、女母神と太陽男神との聖婚を表現していて、太陽信仰が重視されるようになってきたことを示しています。

この住居は、おそらくシャーマンの儀礼用の家で、冬至に神火を起こします。
火を起こす火鑽り杵は男根、火鑽り臼は子宮でもありました。
そして、その火を1年間灯し続けるとともに、その火を集落の各戸に分火したと推測されます。

また、集落の全体が、同様の構造になっている集落もあります。
中期末葉の居平遺跡の集落は、冬至の朝、集落の入口から、中央の広場に太陽の光が刺す構造になっています。


東松山市岩の上遺跡などに見られる、縄文後期の「柄鏡形敷石住居」は、敷石を配石することで、子宮としての住居に、様々なものを描いています。

柄鏡形と命名されていますが、壺形にも見え、時代は違いますが、前方後円墳にも似ています。
内部が子宮に当たる円形で、そこに産道に当たる出入口の通路がついた形です。

こういった住居は、イニシエーション儀礼が行われた場所かもしれません。

曽利遺跡には、出入り口通路から住居中央に向かって、男根を挿入している状態を敷石で描いた住居があります。

三田原遺跡には、出入口部分から外部に向かって、出産中の広げた足を描いた住居があります。

岩の上遺跡には、住居内部に、受胎60日目ほどの胎児を描いた住居があります。

さらに驚嘆すべきは、八王子市深沢遺跡にある住居で、内部=子宮部分に、勾玉と同じ形の、胎芽段階の胎児を描いています。

左は男根挿入、中は受胎60日目ほどの胎児、右は胎芽を描く敷石住居
「大地に描かれた胎芽・胎児・出産像をめぐって」田中基(「諏訪学」国書刊行会)より

これらは、縄文人が、胎児がどのように育っていくかを理解していた証拠です。

土器には、正体不明の水生動物、カエル(半人半蛙)、幼猪が描かれているものがありますが、これらは、胎児が魚類から両生類、哺乳類を経て人間に成長することを理解した上での表現だったのでしょう。

また、勾玉の形が、胎芽を意識したものであることの傍証にもなります。
胎芽は月で言えば三日月に当たるので、勾玉はこの二重象徴でしょう。


また、女神の顔を描いた住居や集落もあります。

下原遺跡2号住居は、住居跡全体が女神の顔になっています。
入口すぐの左右の柱が両目、入口と石囲炉の間になる大きな穴が口になっています。

一方、驚くべきことに、下原遺跡、大石遺跡は、集落全体がU字型なのですが、それが女神の顔になっています。

左下は下原遺跡2号住居の住居跡、
右上は下原遺跡の集落構造
他は、人面付深鉢から切り取られた人面
「縄文のメドゥーサ‎」田中基(現代書館)より


また、驚くべきことに、縄文晩期の新潟県の寺地遺跡には、10mを超える胎芽形(勾玉形)の配石遺構があります。
ここは、再葬の墓地であり、胎芽の形になっているのは、再生を祈ってのことでしょう。

寺地遺跡の胎芽形配石遺構
「大地に描かれた胎芽・胎児・出産像をめぐって」田中基(「諏訪学」国書刊行会)より

全体の心臓に当たる部分には、骨の焼却炉があります。
また、胎芽の中に、4本の巨大木柱があり、死者の魂は、ここを登って祖霊となったのかもしれません。

この地域は、翡翠の玉を作っていた場所です。
やはり、勾玉が胎芽の形だったことの傍証となります。


*主要参考書

・「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社2005)
・「五体に表された天体もしくは眼の図像」小林公明(「光の神話考古 ネリー・ナウマン記念論集」山麓考古同好会・縄文造形研究会編・言叢社)
・「対称弧刻文の神話考古」小林公明(「諏訪学」山本ひろ子編・国書刊行会)
・「大地に描かれた胎芽・胎児・出産像をめぐって」田中基(「諏訪学」山本ひろ子編・国書刊行会)
・「縄文のメドゥーサ‎」田中基(現代書館2006)

*タイトル画像は出産土器の人面部分(「縄文人の世界観」大島直行(国書刊行会)の表紙より)



いいなと思ったら応援しよう!