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インドの神々とタントラの身体論と月信仰
またまた、月信仰に関する投稿です。
本投稿では、最初に、インドの主要な神々(特にシヴァ派)の中にある月信仰の要素を取り上げます。
そして、インドのタントラの身体論と縄文土偶に見られる月信仰の共通点について取り上げます。
いつもと同様に、全体に、私見による推測が多くなります。
シヴァ・ファミリーと月信仰
タントラの主神とも言えるシヴァは、三日月を頭部に付けていて、「チャンドラシェーカラ(三日月の冠を持つ者)」という名を持ちます。
シヴァは、月神の属性を持つということになります。
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シヴァの聖獣である牛も、その角が三日月の象徴です。
また、シヴァは第三の目を持ち、3つの顔を持つとされることもあり、三又槍を持ったりしています。
これらにある「3」は、月信仰の聖数です。
「3」は、3日間の朔月であったり、月の三相(満月、満ちる月、欠ける月)を象徴します。
*もちろん、「3」のすべてが月信仰から来ているとは言えません。
ですが、後世にいろいろ教義上の解釈(例えば、創造・維持・破壊や、欲界・色界・無色界、現在・過去・未来、といった)がなされるようになる、ということもありがちです。
おそらく、シヴァは、インダス文明にまで遡れる神だと推測されています。
下記の印章に刻まれている者が、ヨガをする姿なので、シヴァの原型ではないかと言われています。
私は、この者は、狩猟文化の獣王だと思います。
ケルトのケルヌンノスに当たる神です。
この者には、角があり、これが三日月の象徴だったと思われます。
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シヴァには、暗黒相=ヴァイラヴァがあり、マハーカーラです。
「カーラ」の意味は、「時間」であり「黒」です。
月は「時間」と紡ぐ存在であり、「黒」は月の属性で言えば朔月です。
シヴァ・ファミリーの神々、タントラの神々が暗黒相を持つことは、月が欠けて朔月になるからでしょう。
つまり、月信仰の生死一体の、死の側面から来ているのかもしれません。
シヴァの妃のパールヴァティの暗黒相は、カーリーです。
カーリーも頭部に三日月を付け、三又槍を持ち、第三の目を持ちます。
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よく描かれるカーリー像の足元には、シヴァが横たわっています。
これは、大地の上で激しく踊るカーリーの衝撃を弱めるためとされています。
カーリーとカップルになっている時のシヴァは、朔月(未顕現相)です。
一方、パールヴァティとカップルになっている時のシヴァは、満ちる月(顕現相)でしょう。
*ちなみに、シヴァの妃であり、シャクティ派で主女神とされることの多いトリプラスンダリーも、「三界の美しい都」という意味の名であり、聖数3を持ち、三日月をつけています。
ナヴラートリと月女神の三相
ナヴラートリという女神の大きな祭りでは、カーリー(ドゥルガー)、ラクシュミー、サラスヴァティーの3人の女神に対して、3日ずつ祭りが行われます。
3日は、朔月の3日から来ているのかもしれません。
3人は、シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーの3人の妃に対応します。
3人の妃は、一人の女神から分裂したという神話もあります。
この背景には、世界各地に見られる女神の「三相一体」の観念があったのではないかと思います。
女神の三相とは、一般に少女神、母神、老婆神ですが、様々に性格分けされる三姉妹の場合もあります。
少女神、母神、老婆神の三相とされる女神には、ギリシャではコレー、デルメル、ヘカテー、あるいは、ヘーベー、ヘーラー、ヘカテー、インドのタントラでは、ヨーギニー、マートリカー、ダーキニーなどがいます。
三姉妹は、例えば、ギリシャ神話の、ゴルゴーン三姉妹、モイラ三姉妹、カリス三姉妹、ホーラ三姉妹、エリニュース三姉妹、北欧神話のノルン三姉妹などがいます。
これらは、古くは、月の三相(満月、満ちる月、欠ける月)に対応していたと推測されます。
ネオペイガニズム(現代の魔女宗)では、この本来の三女神=少女神・母神・老婆神=月の三相という教義を復活させています。
ナヴラートリの3人の女神の中で、シヴァの妃がパールヴァティ-ではなく暗黒相の妃であるのは、三相のうち欠ける月(朔月)を受け持っていたからかもしれません。
ガネーシャの月神話
シヴァの息子であるガネーシャには、以下のような、月の満ち欠けの起源譚の神話があります。
ガネーシャは、誕生日に好物の菓子をたくさん食べて、お腹を膨らませました。
その後、夜になって家へ帰ろうとして自身の乗り物であるネズミに乗っていると、道にいた蛇にネズミが驚き、崩して転んでしまいました。
お腹が裂けてお菓子が飛び出てしまったため、再びお菓子をお腹に詰め込み、蛇でお腹を縛りました。
月がこれを見てガネーシャを大笑いしたので、ガネーシャは怒り、自分の牙を一本折って月に投げつけました。
そのため、月は満ち欠けをするようになりました。
また、ガネーシャは、月に呪いをかけました。
ガネーシャ降誕祭に月を見る者は苦難に遭うとされ、この日に月を見る者はいなくなりました。
ですが、この日に月を見てしまった者は、このシャーマンタカとクリシュナ神の神話を読むことで、その呪いを解くことができると伝えられます。
別のヴァージョンでは、呪いによって、月は誰からも見えなくなってしまいました。
夜を月が照らさなくなったことで、人々は困ってしまい、神々はガネーシャの父であるシヴァを訪ねて、呪いを解いてもらいました。
ですが、完全に解くことはできず、月に1日だけ月が見えない日(朔月)が残りました。
この神話では、ガネーシャは月に敵対する存在として描かれています。
ですが、ガネーシャはお腹を膨らませたり、一時的に裂けて縮んだりしています。
これは月の満ち欠けの象徴でしょう。
つまり、ガネーシャに月の属性があり、それを月に与えたことになります。
ガネーシャの大きなお腹は満月であり、牙は三日月です。
そして、お菓子は月が垂らすアムリタ(若変水)に相当する存在でしょう。
ヘビは、お腹を裂く原因にもなり、大きなお腹を保つ道具にもなっていますから、満ち欠けの両方に関わる存在として登場しています。
ひょっとしたら、腰に巻いたヘビは、トグロを巻くヘビ=満月=満ちる月の象徴で、道にいたヘビは、トグロを巻いていないヘビ=三日月=欠ける月の象徴かもしれません。
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クリシュナは新月神
シヴァ・ファミリーではありませんが、太陽神でもあるヴィシュヌの化身の一人、クリシュナにも、月の属性があります。
クリシュナ神の異名の一つに「カーラチャンド」があり、これは「黒い月」という意味です。
クリシュナという名前はサンスクリット語の「クルシュナ」に由来し、「黒い」の意味があります。
ヒンドゥー暦では下弦の月を「クリシュナ・パクシャ」と呼びますが、この場合の「クリシュナ」は「暗くなる」という意味になります。
クリシュナは児童神でもあるので、新月の神になります。
*シヴァ・ファミリーも含めて、「黒」には、最初は単純に、アーリア人から見て、土着のドラヴィダ系の神を表現するものだった、という側面もあったのかもしれません。
同時に、ドラヴィダ人が、月信仰を強く持っていた可能性も十分にあります。
タントラの身体論と縄文土偶
タントラの身体観では、頭部(軟口蓋上部)の「チャンドラ(月)」から生命力である「アムリタ(ソーマ)」が垂れるとされます。
生命力の源を「月」とすることは、日本でも、縄文以来の月信仰と一致し、「アムリタ」は「若変水(おちみず)」に対応します。
タントラで、「月」を身体上にも認めることは、瞑想における実体験から来るのでしょう。
タントラの身体観では、「アムリタ」は、イダ(左のナーディ)を通って、全身に回りつつ、臍下部の「スーリヤ(太陽)」で消費されます。
「スーリヤ」はピンガラ(右のナーディ)から登って「アムリタ」を消費するとも説かれます。
*タントラの身体論の詳細については、下記をお読みください。↓
つまり、月が生命力の源であり、太陽は消費者です。
どうして、このような身体観が生まれたのでしょうか?
月は、若変水を夜露として降ろしますが、太陽が昇るとそれが蒸発してしまうからでしょうか?
臍下部の「スーリヤ」は、食物の消化に関わるとともに、熱を発生させる場所でもあります。
縄文土偶には、現実には存在しない身中線を描いたものがあります。
これは、喉の当たりから臍にまでつながっています。
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ネリー・ナウマン(言叢社)より
ネリー・ナウマンは、これが「万葉集」で比喩的に表現される「生の緒(いきのお)」の本体だと推測しました。
そして、「生」は「息」でもあると。
とすれば、この「生(息)の緒」は、タントラの身体観にあるスシュムナー(中央のナーディ)に対応するものかもしれません。
*気管や食道を可視的に描いたものかもしれませんが、これとは別に、土偶には口から下部まで穴を通したものもあります。
縄文人の場合は、この描かれた身中線の中を、月の若変水が通ると考えたのかもしれません。
額(=若変水を貯めた三日月)から垂れる若変水を開いた口から飲み、「生の緒」に入れるのでしょう。
タントラ・ヨガの場合、軟口蓋の上方に舌をつけて、垂れた「アムリタ」を舌と喉のヴィシュディ・チャクラで受け止めて(飲む)、「アムリタ」を消費せずに、全身に回して滋養する方法が、ケーチャリー・ムドラーです。
縄文土偶には、2つの蛇行図像と縦に並んだ穴がつけられた土偶があります。
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「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)より
*ナウマンは、この土偶についてはハート型の顔の部分に関してしか触れていない
Nagao Ryuya氏が取り上げていますが、これは、左右のナーディであるイダとピンガラ、そして、チャクラに似ています。
2本の蛇行する線は、絡み合う2匹のヘビのように見えます。
おそらく、縄文人の世界観では、ヘビは月の若変水を飲む動物です。
一方、タントラの身体論では、イダとピンガラは、月が垂らすアムリタを消費する過程のナーディーです。
両者には、象徴的な対応があります。
イダとピンガラは月と太陽でもありますが、縄文の二重螺旋は、月の満ち欠けの象徴でしょう。
あるいは、若変水の下降と上昇を意味したのかもしれません。
おそらく、絡み合うヘビ(二重螺旋)は、縄文の「縄」でもあり、後の注連縄でもあるでしょう。