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脱魂と憑霊2:オリエント、西洋

「脱魂と憑霊1:狩猟、農耕文化から生まれた変性意識」に続く投稿です。
「脱魂と憑霊3:中国、チベット、日本」に続きます。

この投稿では、キリスト教などの一神教と、古代ギリシャや西欧の伝統宗教、神秘主義や西洋魔術に見られる、「脱魂(幽体離脱、異界飛翔)」と「憑霊(憑依、神憑り)」の要素をまとめます。



古代ギリシャ


古代ギリシャ文化には、「脱魂」と「憑霊」の両方の要素を見ることができます。
これは、古代オリエントや地中海の諸国の影響を受けていたからかもしれません。


「脱魂」の要素は、例えば、ヘルメス神の神話に見られます。
ヘルメスには、狩猟・牧畜文化の「脱魂」型シャーマンとしての性質が反映しています。

具体的には、伝令役、三界を往復する、死者を冥界に導く、母子神、牛を盗む、男根神といった性質にです。
これらは、狩猟・牧畜文化のシャーマンの性質と共通し、その「異界飛翔」には「脱魂」的な要素を見ることができます。


他方、「憑霊」の要素は、例えば、「神託」文化に見られます。

アポロン神殿のデルポイの神託をはじめ、古代ギリシャは、多数の有名な神託所がありました。
そして、ポリスの重要な政治決定にも、神託が大きな影響力を持っていました。

各神託所にいたのは、専属の巫女(ピューティアー)です。
多くの神託所には、大地の穴があり、そこから蒸気が吹き出していたりしていて、巫女はその上で、一種の「神憑り」の状態になって予言をしました。


また,古代ギリシャには、「オルギア」と呼ばれる狂喜乱舞する秘儀的な儀礼がありました。
ディオニュソスの他、アルテミスやキュベレーなど多くの女神に「オルギア」があり、それらの多くは女性信者を対象としました。

「オルギア」では、信者は、激しい音楽とダンス、飲酒などにより、熱狂的、忘我的な状態になりました。
これは、ギリシャ語で「エンテオス(神の中に)」と呼ばれますが、これは「神憑り」に近い状態です。

これらの宗教現象には、ディオニュソス、アルテミス、キュベレーといったオリエントの狩猟文化に由来する神々と、農耕文化の収穫祭などに良く見られる「オルギア」、そして、女性の集団・結社という要素の組み合わせが見られます。

これがどのようにして形成されたのか分かりません。
ですが、オリエント・ギリシャでは、交易が盛んになり、神の信仰や宗教の形態も、従来の共同体や国を越えた形で布教され、習合・変化していった結果なのでしょう。

この女性集団の「オルギア」の形態は、後の南欧の魔女宗にも継承されます。


また、オデッセウスの神話にも見られるように、死者の霊を呼びだして知識を得ることが、古代ギリシャでは行われていたようです。
これは、「降霊術(ネクロマンシア)」であり、「憑霊」的宗教現象です。
「降霊術」も、ギリシャだけでなく、オリエントで広く行われていました。

「降霊術」は、19世紀アメリカ発の、いわゆるスピリチュアリスム(心霊主義)にまでつながります。


対象が死者でなく、神霊の場合は、「降神術(テウルギア、神働術)」と呼ばれます。

時代は少し降りますが、新プラトン主義の哲学者には、イアンブリコスのように「降神術」を重視する者が多くいました。
これは、人間より高次の存在を招いて、自らを高めるためのものであり、その思想は、後の高等魔術に継承されます。


ヨーロッパの伝統宗教


西欧の神話的な伝統的宗教には、シャーマニズムの「脱魂」の要素が見られます。


ゲルマン神話の主神のオーディンには、「脱魂」型のシャーマンの姿を見ることができます。

彼は、時には8本足の馬に乗って冥界に行き、時には様々な動物に変身して飛翔し、あるいは、冥界に行って死者と問答をします。

オーディンは神なので、これらの行為を「脱魂」とはされていませんが、シャーマンの「脱魂」的な「異界飛翔」が反映しています。


また、西洋で「魔女宗(ウィッチクラフト、魔女術)」と呼ばれたものは、ローマ(ラテン)やゲルマン、ケルトの伝統的な民族宗教であり、神話的な神々の信仰でした。
これらは、シャーマニズムの特徴を持っています。

そのため、中世の魔女は、祝祭的な夜には、動物に乗ったり、動物に変身したりして、神々のもとに行き、その手伝いをしていました。

女性の魔女(ウィッチ)は箒に乗るだけではなく、鳩や馬、猫に乗ることもありますし、男性の魔女(ウィザード)は狼に変身することもありました。

これは、シャーマンがスピリット・ヘルパーやパワーアニマルに乗ったり、変身したりして、「脱魂」、「異界飛翔」することと同じです。

ですが、女性の魔女は女神の、男性の魔女は男神に仕えてその手伝いをしました。
この点で、本来のシャーマニズムとは異なる形になっていたようです。


南欧の魔女宗は、女性優位で、集団(結社)的、「オルギア」的でした。
他方、中・北欧では、男性優位、個人的、非狂躁的という傾向がありました。

つまり、南欧は農耕的で、中・北欧は狩猟的です。

南欧の魔女宗は、生産体制はすでに農耕になっていても、狩猟文化の「脱魂」的性質を残していたのでしょう。
「異界飛翔」の目的は、狩猟の動物の獲得ではなく、穀物の種や家畜の獲得に、動物の女神の世話ではなく、不作をもたらす悪霊との戦いに、と変化していました。

また、中・北欧の魔女宗では、ハロウィンとも関係しそうな、死者の行列を導くという要素も、強くなっていました。


啓示宗教(ゾロアスター教、ユダヤ教、イスラム教)


ゾロアスター教、ユダヤ教、イスラム教には、類似した宗教性があります。
いずれも、「預言者」が「幻聴」や「幻視」を通して受け取った「啓示」に由来する宗教です。
また、これら宗教の神秘家は、天使が地上に現れて対話すると言った「見神」体験を持つこともあります。

ですから、これらの宗教には、シャーマン的な「脱魂」の要素も、巫覡的な「憑霊」の要素も、ないかのようです。
ですが、よく見ると、「脱魂」による「天上飛翔」の要素が見つかります。

それは、いずれの宗教も、その成り立ちにおいては、遊牧文化の影響が濃かったからかもしれません。

ゾロアスター時代のイラン人は遊牧民でしたし、旧約聖書の「カインとアベル」の話は農業より牧畜に価値を置くかのような話ですし、ムハンマドの出身部族も、もともとは遊牧を行っていました。


まず、ゾロアスターは、大天使に連れられて、天に昇ったとされています。
そして、アフラ・マズダと会って、会話し、教えを受けました。

これが、肉体のままなのかもしれませんが、「脱魂」型シャーマンの影響を見て取れます。


ユダヤ教の旧約聖書の偽典(もともと偽典は秘義的な教えとされていた書)には、預言者の「異界飛翔」が語られます。
「エチオピア語エノク書」では、エノクが三界を巡り、「スラブ語エノク書」ではエノクが天使に導かれて7天を巡ります。

これが、「啓示」的な「幻視」であった、あるいは、肉体で行ったとされているのかもしれませんが、やはり「脱魂」型シャーマンの影響を見て取れます。

また、紀元後すぐ頃のパレスチナとバビロニアのユダヤ教の神秘主義的な一派には、「メルカーバー神秘主義」と呼ばれる潮流がありました。
これは、7つの門(天)と7つの宮殿を越え、神の戦車(メルカーバー)や玉座と神を「幻視」する体験を追求しました。
これも同様です。


『クルアーン』ではありませんが、イスラム教のムハンマドにも、これらと同様の、天に昇って神と対話したという以下のような伝承があります。

ムハンマドはジブリール(ガブリエル)に導かれて、天から降りてきた梯子を上って、8つの天球を昇っていきました。
各々の天球でムハンマドは、旧約などで語られる過去の預言者達に出会います。
第7天にはミカエルの栄光の家があり、第8天には神の玉座があります。
最終的には、たくさんの垂れ幕をくぐり抜けて神と対面しました。


キリスト教


一般に、キリスト教は、アブラハムの宗教、一神教として、ユダヤ教、イスラム教と一緒に括られます。

ですが、キリスト教は、預言者イエスが受け取った「啓示」に始まる宗教ではありません。
キュニコス派の哲学者に近い教師だったイエスを、神として解釈した、イエスの宗教的信者たちに始まる宗教であり、重視されるのは、何よりもそれを信じることです。
ですから、ゾロアスター教、ユダヤ教、イスラム教とは、異なるタイプの宗教です。

キリスト教は、基本的に、神秘体験(変性意識状態)に対して否定的な傾向が強い宗教ですので、「脱魂」的、「憑霊」的な体験は、あまり見られません。


ですが、例外はありまます。

まず、一般信者レベルの話ですが、例えば、プロテスタントの一派であるクエーカー教徒は、内なる光、聖霊の呼びかけを重視し、よく礼拝の時に体の震え(クエイク)を起こしますが、これは「憑霊」に近い体験でしょう。

アメリカ大陸の黒人教会では、ダンサブルなゴスペルを歌っている途中などで、聖霊による(?)「憑依」的状態になることは普通にあります。
ただ、これは、キリスト教というより、アフリカの宗教の文脈で語るべきものなのかもしれません。

また、欧米の白人キリスト教徒の間でも、特に若い女性は「憑霊」的な状態になることが良くあって、普通はこれを「悪魔憑き」と見なします。

遡れば、マルコ福音書にも、イエスが、悪霊に取り憑かれた人から、悪霊を追い出したことが記されています。
ですから、カトリックでは、「悪魔祓い」は準秘跡とされます。

こういった悪霊を追い出す行為は、シャーマン以来の伝統です。


一方、聖職者、修道士らの中にも、神秘家はいました。

彼らは、たいてい、「瞑想」的な祈りによって、魂の内奥に沈潜して、そこに光としての神を見出して、合一、結合するというものでした。

東方教会の「ヘシュカズム」や、中世のスペインのカトリックのカルメル会のアビラのテレサや十字架のヨハネなどもそうです。

これらは、「脱魂」でも、「憑霊」でもありません。

ですが、人間の魂は神に対して受動的とされることが多いことと、神の姿を見るのではない点では「憑霊」と共通します。


これら「憑霊」に近い体験が見られる東方教会やスペインは、南欧の地中海地域の例です。
ですが、同じキリスト教でも、中・北欧では、「脱魂」的要素を見つけることができます。
この違いは、南方は農耕文化、北方は狩猟・遊牧文化の影響が強かったからかもしれません。

中・北欧では、有名な「幻視」家を見つけることができます。

「幻視」は、天上や神の世界、あるいは、地獄のヴィジョンを見たとしても、必ずしも「脱魂」ではありません。
肉体から抜け出す感覚がなければ「千里眼(遠隔霊視)」と言うべきものですし、神から見せられた「啓示」を受け取っただけと考えることもあります。

ですが、これらに「脱魂」的な要素があることも否定できません。


中世ドイツのビンゲンのヒルデガルドは、女性「幻視」家として最も有名な人物です。

彼女は3才の時から「幻視」をしていた人物で、地上世界の中にヴィジョンを見ることもあれば、天上の神の世界を見ることもあり、未来を見ることもあれば、エデンのような過去の出来事を見ることもあり、神の言葉を聞くこともありました。

彼女は目覚めたままで、エクスタシーなしに「幻視」を見ると書いていて、確かな意識を保っていたことが分かります。

また、彼女は、「幻視」を神から与えられたもの、魂の中で見るものという意識を持っていました。
ですが、「私の魂…空の中へ高く昇っていき」とも書いています。

ですから、彼女の「幻視」は、神からの「啓示」でもあり、遠隔霊視のようでもありましたが、同時に「脱魂」的な体験もあったのでしょう。


一方、男性で最も有名な「幻視」家は、18Cスウェーデンのエマヌエル・スウェデンボルグでしょう。

彼は、子供の頃から瞑想のような精神集中を行っていました。
それは、ヒルデガルトと同様に、冷静に行われるもので、心を無にしているうちに、光が現れ、それからヴィジョンが現れるようなものになりました。

ですが、宗教的なヴィジョンを見るようになったのは、中年になってからです。
最初は夢の中で、その後は覚醒時に現実の中にも見るようになりました。

彼は、もともと幅広い分野を研究した自然科学者でしたが、心理学も研究するようになり、催眠状態(暗示なしに無意識の想像力を現す状態)やトランス状態の研究も行いました。
そうして、彼の「幻視」体験は、やがて、深いトランス状態にまで至りました。

彼は、天国や地獄を「幻視」し、天使と会話しましたし、千里眼や予知の能力もありました。
そんな彼の能力は、彼を研究した哲学者のカントも認めています。

彼自身に「脱魂」という意識があったかどうか分かりませんが、その要素はあったと思います。


西洋魔術


西洋魔術には、「脱魂(異界飛翔)」的要素も、「憑霊(降神)」的要素も見られます。


キリスト教は異教信仰と共に、それに直結する魔術を禁止しました。

ですが、神が作った自然の霊を対象とする「自然魔術(星辰魔術)」に関しては、異端ではないと考えて、実践する聖職者がいました。

また、「悪魔祓い」は聖職者の重要な仕事でしたが、「悪魔祓い」と「悪魔魔術」は、どちらも悪魔を呼び出して会話し、命令するものなので、その大部分が共通します。
ですから、「悪魔祓い」ができる聖職者は、いつでも「悪魔魔術」が可能でした。

ルネサンス以降は、ギリシャ・オリエントの古代神学が復活し、多くの思想家が魔術を受け入れて、キリスト教と融合しようとしました。
そして、「天使魔術」や異教の良い神を対象とした「神霊魔術」も肯定しました。


西洋魔術では、「降神術」、「降霊術」は、「召喚魔術」、「喚起魔術」と呼ばれます。

一般に、神々や天使などの人間より高次の存在を呼ぶ場合には、人間に「憑依」させ、低次の精霊や悪魔などを呼ぶ場合は、空間に降ろします。
ゴールデンドーン系の魔術師は、前者を「召喚(エヴォケイション)」、後者を「喚起(エヴォケイション)」と呼び分けます。

「召喚」は術師自身に「憑依」させるとは限らず、他の魔術師や霊媒(メディウム、アヴァター)的人物に「憑依」させることもあります。

悪魔などの「喚起」の場合は、人に「憑依」させず、術師とは別の霊視者(見者)が、ブラックミラーや水晶を通して悪魔と会話する場合もあります。


例えば、ジョン・ディーは、イギリスのエリザベス朝を代表するルネサンス的万能人でしたが、ルネサンス魔術の代表的人物でもありました。

彼は、様々な知識を得るために、天使などを召喚し、霊視者役のエドワード・ケリーを使って、水晶球を通して対話しました。
エノク語やエノクのタブレットは、このようにして世にもたらされました。

また、20Cの有名な魔術師のアレイスター・クロウリーは、エイワスという神霊から、彼のバイブルとなる「法の書」を授けられましたが、この神霊は、最初、クロウリーが別の精霊の「召喚(喚起)」を行った際に、意図せずして彼の妻に「憑依」しました。

クロウリーは、弟子に悪魔コロンゾンを「召喚(喚起)」させ、クロウリー自身を霊媒として「憑依」させたこともあります。


他方、「アストラル・プロジェクション(幽体離脱)」のような、「脱魂」の魔術も存在します。

魔術や神智学では、「脱魂」そのもの、つまり、魂(アストラル体)を肉体から抜け出す「幽体離脱」と、「異界飛翔」(アストラル・トリップ)することは、区別されます。

細かく言えば、「幽体離脱」には、アストラル体(魂体)から離脱する場合と、エーテル体(生気体)とともに離脱する場合、また、メンタル体(意識)だけを離脱させる場合があります。

「幽体離脱」の技法には様々な方法がありますが、基本は自分の外に自分を視覚化して、そこに意識を移動させることです。
エーテル体ごと離脱するには、視覚像に自分のエーテルの一部を流し込む必要があります。

ちなみに、地上世界に「幽体離脱」したとしても、魂が存在しているのはその場所のアストラル界なので、物質世界を直接見ているわけではないとされます。


異界に行く(アストラル・トリップ)というのは、あらかじめ象徴体型の勉強、瞑想をして、特定の象徴の世界、神々や天使の世界に行く秘儀伝授的な体験です。

これは、実際に「幽体離脱」して体験する場合と、意識的な夢見として体験する場合が区別されます。

ですが、そもそも、神智学では、睡眠時にはアストラル体が肉体から離脱していると考えるので、夢見の時には「幽体離脱」しているのです。

ですから、前者は客観世界を主観のヴェールを通して体験する、後者は主観世界を客観的世界に近づけて体験するという違いではないかと思います。


*参考文献

「カバラーの世界」パール・エプスタイン(青土社)
「ギリシャ正教 無限の神」落合仁司(講談社選書メチエ)
「ビンゲンのヒルデガルトの世界」種村季弘(青土社)
「霊感者スウェデンボルグ」ウイルソン・ヴァン・デュセン(日本教文社)
「神の聖なる天使たち ジョン・ディーの精霊召喚一五八一〜一六〇七」横山茂雄(研究社)
「神託 古代ギリシャをうごかしたもの」P・ファンデンベルク(河出書房新社)
「古代ギリシャの舞踏文化」L.B.ローウラー(未来社)
「闇の歴史 サバトの解読」カルロ・ギンズブルグ(せりか書房)
「魔女とキリスト教」上山安敏(講談社学術文庫)
「世界で最も危険な書物-グリモワールの歴史」オーウェン・デイビーズ(柏書房)
「黄金の夜明け魔術全書I、II」イスラエル・リガルディー(国書刊行会)
「モダンマジック」ドナルド・マイケル・クレイグ(国書刊行会)


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