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ハイヌヴェレ神話と月信仰
先日、月信仰に関する連続投稿をしましたが、本投稿は、その追加の投稿になります。
「縄文の世界観と月信仰」のコメント返しで、縄文時代の地母神の殺害の神話が、ハイヌヴェレ神話に似ているだろうと書いたので、そのことについてテーマにします。
*縄文時代の地母神の殺害の神話・儀礼については下記を参照 ↓
ハイヌヴェレ神話は、インドネシア・セラム島のヴェマーレ族の神話で、同種の神話が東・東南アジアを中心に世界に広くに存在することから、ハイヌヴェレ型神話と呼ばれるようになりました。
この神話は、古栽培民による屍体化生神話であり、穀物(芋)起源神話です。
また、死の発生(失楽園)神話でもあり、成人イニシエーション儀礼の神話です。
日本の記紀においては、オオゲツヒメやウケモチの神話が、短い記述しかありませんが、ハイヌヴェレ型の屍体化生神話とされています。
私は、ハイヌヴェレ神話に月信仰を読み取っている文章を読んだことがありません。
ですが、明らかに月信仰があると思うので、当稿では、すべて私見でこの解釈をします。
ハイヌヴェレの誕生
人間がまだ死を持たなかった時、人間は、青いバナナから生まれた大女神ムルア・サテネの支配下にいました。
ムルア・サテネは、日本ではイザナミに相当するような太母・地母神であり、物語の最後の方では、イザナミと同様に、冥界の女神になります。
バナナは、「バナナムーン」という言葉があるように、おそらく三日月の象徴で、バナナは黒くなることは、月が欠けることでしょう。
であれば、ムルア・サテネは月女神になります。
9家族が、森の中のタメネ・シワという踊りの儀礼を行う神聖な広場に移住した時、その中にアメタという名(暗い、夜という意味)の男がいました。
アメタが狩りに出て、イノシシを追い詰めると池で溺死しました。
イノシシを釣り上げてみると、その牙に木の実がついていました。
その夜、木の実をヘビ模様の布で覆って台の上に乗せておくと、夢の中に男が現れて、木の実を埋めろと言いました。
木の実を埋めると三日でココ椰子の木に育ちました。
アメタは、その名から、夜の神、あるいは、朔月の神でしょう。
先の連続投稿で何度も説明したように、イノシシは月の動物で、その牙は三日月の象徴です。
イノシシが池で溺死したことは朔月になったこと、釣り上げたことは新月=ココ椰子の実として再生したことを示します。
また、ヘビも月の動物で、ココ椰子の実をヘビ模様の布で覆うことは、ヘビの脱皮=月の再生のように、ココ椰子の実が成長することを示します。
ですから、ココ椰子は月の木であり、3日で育つのは、月の朔が3日だからです。
生まれた時のココ椰子の実は、緑の新月で(月信仰では青や緑は再生の色)、成長して茶色くなり地に落ちた実は死んだ朔月ですが、皮を剥いだ中は白い満月の象徴だったかもしれません。
ココ椰子は3日後に開花し、アメタが酒を作ろうと木を登って花を切ろうとすると、指を傷つけてしまい、花とアメタの血から、9日で少女に育ちました。
アメタは彼女をハイヌヴェレ(ココ椰子の枝)と名づけ、ヘビ柄の布で包んで持ち帰りました。
ハイヌヴェレは、3日で年頃の娘になり、高価な品物を大便として排泄したので、アメタは富豪になりました。
3日後に開花した花は月の花であり、ヘビ柄の布に包まれ、3日で年頃になったハイヌヴェレは月の少女です。
9日というのは、ヴェマーレ族のの氏族数が9であることから来るもので、月信仰とは無関係です。
そして、ココ椰子のジュース、酒は、月の若変水です。
ハイヌヴェレが高価な品物を生み出すのは、月が生命を育てる力を持つからです。
ココ椰子と竹の違いはありますが、彼女が育ててくれた親を富豪にするのは、かぐや姫と同じです。
ハイヌヴェレの死
タメネ・シワの広場では、マロ・ダンスが行われました。
これは螺旋を描きながら踊ります。
中央には女性たちがいて、清涼剤である葉を渡します。
ですが、ハイヌヴェレが高価な品を配ったので、皆が気味悪がり、あるいは、嫉妬しました。
そして、彼女を広場の中心に穴を掘り、そこに生き埋めにして、その上を踊りながら穴を踏み鳴らしました。
螺旋は、世界中に見られる「迷宮」の図像であり、地母神や冥界の象徴とされます。
ですが、月信仰においては、月の「満ち欠け」を象徴し、その中央は朔であり、月が隠る洞窟、冥界です。
両者は同じ象徴性を持ちます。
ハイヌヴェレは、マロ・ダンスでも、月の女神として創造を行っています。
彼女が生き埋めにされるのは、月隠りです。
高価なものを配ったので、皆で殺したというのは論理破綻しています。
本当は、死と再生は一体であり、創造の前提に死があるのです。
また、穴に埋め、上を固めるというのは、ココ椰子の実や芋種を植えることを表現しているのでしょう。
ちなみに、先の投稿で紹介したように、縄文時代に行われた風習に「埋甕」がありますが、この埋甕は、ハイヌヴェレを埋めた穴であり、その中にはハイヌヴェレ(穀物神)が入っていると観念された、あるいは、そういった観念的なつながりがあったのかもしれません。
アメタは、ハイヌヴェレが埋められた場所を突き止めて掘り出し、両腕を残して、彼女の体を刻んで広場のまわりに埋めなおしました。
すると、その場所から芋類が生じ、それが人間の主食になりました。
芋の起源神話、屍体化生神話ですが、芋もココ椰子と同じく、外が黒く、中は白いので、朔月と満月の象徴となるでしょう。
先の投稿で説明したように、縄文土器には、両腕を螺旋状に広げたカエル(月の動物)の図像が描かれます。
これは、脇の下=洞窟から月が生じて満ちていく、あるいは、脇の下に向かって月が欠けていくことを表現しています。
つまり、「腕」は、三日月の象徴でもあり、月の満ち欠けの象徴でもあります。
これは、カエルに限りません。
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「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)より
ハイヌヴェレの両腕もこれと同じ意味を持ち、月の再生を意味するのでしょう。
ハイヌヴェレが刻まれることの意味は、ストーリー上は、複数の食物を生み出したことの理由とするためでしょう。
また、一つの芋を複数に切り分けて芋種として植えることの表現かもしれません。
あるいは、大地を耕すことが地母を刻むことと見られたのかもしれません。
失楽園と成人儀礼
アメタがムルア・サテネにこのことを訴えると、彼女は怒り、人間の世界から去ると言いました。
そして、9重の螺旋からなる門を築いて、人間でいたいのならそこを通るように命じました。
門を通らなかった者は動物や精霊になりました。
門をくぐった者は、ムルア・サテネの脇を抜ける時に、ハイヌヴェレの腕で殴られました。
この時から、人間には寿命が生まれました。
ムルア・サテネは、霊山に移り、人間は死後に、辛い旅路を経て、ムルア・サテネのもとまで行くことになりました。
この場面は、死の発生、楽園喪失、人間としての文化の発生の神話です。
再度、螺旋の象徴が現れ、螺旋の中心が朔月であり、その門の向こう側が冥界です。
ヴェマーレ族に再生思想があったかどうか知りませんが、人間は、月のように、死(冥界の太母のもとで祖霊になる)と再生(別の人間としての地上に生まれる)を繰り返す存在になったということかもしれません。
この死の発生、楽園喪失の原因は、ハイヌヴェレの殺害、切り刻みです。
このことの裏には、以下のことが表現されていると思います。
農耕によって、自然を対象化して操作すること、つまり、言葉による「分別」が必要となりました。
これが、言葉による、連続的な自然(女神、無意識)の殺害であり、失楽園なのです。
ムルア・サテネの霊山は島の西南部にあり、月が毎日沈む方向、あるいは、新月が生まれる方向の山なのかもしれません。
ムルア・サテネは「山の女神」になったわけですが、これは他稿で述べたように、月神が地上に降りた姿であり、月の再生力ゆえに、死霊がそこに行くのです。
人間が門を通ることは、人間になる儀礼に当たりますから、ニューギニアの中央部に住むマリンド・アニム族のように、ハイヌヴェレ型神話は、成人儀礼として実演されることもあります。
ラビエ神話:月になった少女
ハイヌヴェレ神話と同じヴェマーレ族には、月になった少女ラビエの神話があり、この神話は、ハイヌヴェレ神話の背景に月信仰があることの傍証となります。
ハイヌヴェレは、時に「ラビエ・ハイヌヴェレ」とも呼ばれるので、ドイツの民族学者イエンゼンが言うように、ラビエとハイヌヴェレは一体なのです。
ラビエの神話は次のようなものです。
ラビエという名の少女が、地上に住んでいました。
ある時、天に住む太陽の男トゥワレが、彼女に求婚しました。
ラビエの所属する氏族の者たちが、この申し入れを拒否しました。
すると、ラビエは突然、彼女が立っていた木の根方の地面の中へ引き込まれました。
その途中、ラビエは母親に向かって、「私をこのように引き込もうとしているのは、トゥワレです。どうか豚を一頭殺して、死者のための祭りをして下さい。私は今、死なねばならないからです。そして3日目の晩が来たら、皆で空を見て下さい。私はそこに光となって現れるでしょうから」と言いました。
ラビエの近親者たちが、その通りに3日間祭りを行うと、3日目の晩に、西の空に満月が現れました。
豚は、イノシシ同様、月の動物です。
朔月は、太陽と同じ方向にありますので、太陽に追われて月隠りする、隠った時に太陽と月が交合するといった神話が生まれました。
この神話でも、ラビエの死が、太陽との関係で語られます。
地中に死ぬところが、ラビエとハイヌヴェレは共通していて、これが月隠りの表現でもあります。
*主要参考書
・『神話の話』大林太良著(学術文庫)
・WIKIPEDIAのハイヌウェレ型神話の項目
・WEBページ「月になった乙女」