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古代エジプトの神々と季節循環

古代エジプトも含めて、多神教の神々は、季節循環の中にいました。
神々は、自然の中に、実際に、見て、肌で感じられる、実在でした。

それに比べると、自然の営みから分離された一神教の神は、頭で考えただけの空想物に過ぎません。


古代エジプトの宗教は、内外の多くの地域の宗教、神々が複雑に習合しながら発展してきました。
この中で、多くの神々が同一視されたり、また、一人の神が様々な側面(神々の相)を持つとされるようになりました。

エジプトの神々はこのように複雑な様相を呈していますが、その根底には、ナイルの増水を中心にした年周期の季節循環があります。

「エジプトはナイルのたまもの」というヘロドトスの言葉は誰もが知っていても、エジプトの宗教の多くが、その季節循環の表現であることは、あまり知られていないのではないでしょうか。

この投稿では、これらについて紹介します。




エジプトの季節循環


ナイルが上流からもたらす栄養が、エジプトの自然、動・植物の生命線でした。

古代エジプトでは、長い乾燥期で自然が死に絶えたようになった後、ナイルの増水とともに、新年を迎えます。

これは、70日間隠れていたシリウス(シリウスの女神イシス=ソティス)が、太陽が地上に昇る寸前に姿を現した時です。
そしてこれは、太陽が獅子座(ライオンの女神セフメト=テフヌト)に入った時であり、太陽暦の7月に当たります。

ナイルの洪水期(アヘト)は、4ヶ月ほど続きます。
この期間は魚を取ることもできます。

水が引くと、大地は肥沃な黒土として蘇ります。
そして、その後、種まき・耕作期(シェム)が4ヶ月続きます。

その後に、収穫・乾燥期(ペレト)が4ヶ月続きます。


遠方の女神(=太陽神の眼)の帰還


ナイルの洪水は、南方の上流に去った水が、戻って来ると見なされました。
そしてこれは、「遠方に去った女神の帰還」と考えられました。

この「女神の帰還」によって、水没した自然は、その女神の子宮の中で、復活するのです。
復活するのは、動・植物だけでなく、人間(オシリス)も、そして、太陽(ラー=ホルス)もです。


エジプトは、北方のナイル下流域が「下エジプト」、ヘルモポリスより南の上流域が「上エジプト」と呼ばれます。

「上エジプト」の南端には、第一瀑布(滝)があり、それを越えるとヌビアです。
さらに南の第二瀑布を越えると、スーダンです。
さらに、第三、第四、第五瀑布があります。

そして、その根源は、神話的な「原初の水ヌン」であるとも考えられました。

このように、ナイルの上流は、急流であり、下流にくるほど、ゆるやかな流れになります。

ナイルの水流である女神は、遠方(南方)では荒々しい雌ライオンの姿(セフメト=テフヌト)になると考えられました。

ですが、エジプトに帰還すると、優しい雌猫(バステト)の姿になるのです。

左からテフヌト、セフメト、バステト


「遠方の女神」は、ナイルの水流であるだけではなく、太陽の光熱、権威でもありました。
その相は、「太陽神(創造神)の眼」、「太陽神の娘」と呼ばれ、コブラの姿の神(ウアジェト=ウラエウス)にもなりました。

女神が遠方に去る時期は、乾期であり、太陽の光熱が自然を蝕みます。
「遠方に去った女神」は、太陽神の顔から去って荒ぶる女神なのです。

ウアジェト


神話によれば、創造神ラーの実の娘、「行動的な眼」は、ラーから離れて、南に逃亡しました。
そして、雌ライオン(セフメト=テフヌト)の姿になり、子を育てました。

ラーの元に戻った時に、その場所がふさがっていたために炎を吐いて怒ったとも伝えられています。

国中が打ちひしがれる中、彼女の帰還をうながすため、創造神はシュウ(トト、アヌリス)を派遣しました。
トトがセフメトをナイルの水に沈めたところ、彼女は冷静になり、エジプトに帰還しました。

創造神と和解した彼女は、慈悲深い雌猫バステトの姿になりました。
さらに、創造神の顔にコブラの姿(ウラエウス=ウアジェト)で戻りました。


天の牝牛(狩猟の季節循環)


「遠方の女神」の神話群には、多数の女神が関わっています。
その中でも、最も根源的な、古い女神の一人が、ハトホルです。
ハトホルの帰還を祝う祭りは、各地で年に何度も行われました。

ハトホル

「天の牝牛」、「女主人」、「西方の貴婦人」などと呼ばれるハトホルは、狩猟文化の「太母」です。

つまり、本来は「動物の女主」、「冥界母」、「洞窟の女神」といった性質を持つ母神です。

一般に、狩猟文化の豊穣神は、狩る動物(ライオンなど)の姿をとることもあれば、狩られる動物(牛など)の姿をとることもあります。

そして、本来、狩猟文化の太母は、動物だけでなく、人間や星々も生む存在であり、彼ら子どもたちは、季節循環に従って、太母のもと(冥界)と現世を巡ります。

実際、ハトホルの名は、「ホルスの家」を意味し、太陽を生む女神です。


「天の雌牛の書」に書かれたハトホルの神話では、創造神は神を顧みない人間を罰するためにハトホルの姿をした自分の「眼」を送りました。

彼女は雌ライオンの女神(セフメト=テフヌト)の姿で人間を殲滅しました。

荒ぶりすぎる女神を止めるために、創造神はトトを送りました。
トトは犠牲者の血を赤いジュース(ビール)に変えると、彼女は優しさを取り戻しました。
それ以降、「遠方の女神」の帰還を祝うには、ビールが用いられるようになりました。


原初の丘(創造神話と季節循環)


一般に、大地の神格は地母神です。

エジプトの女神にも地母神という性格がないわけではありません。
ですが、エジプトでは、大地は、水没した「原初の水」から立ち上がるものであり、男神ゲプです。

ここには、ナイルの洪水が引いて大地が顔を出す、という季節循環の光景があります。


ヘリオポリスの創造神話では、「原初の水」から「原初の丘」が現れます。

この「原初の丘」は男性神タテネンとして表されます。
「原初の丘」は四角錐形の聖石「ベンベン」や、柱状のオベリスク、ピラミッドとしても現わされます。

そして、この「原初の丘」から創造神・太陽神アトゥム=ラーが生まれます。

ラーは「鵞」や「不死鳥」の姿でも現され、「原初の丘」が現れた時にそこに飛来してとまった、つまり、世界に光をもたらしたとも考えられました。


メンフィスの創造神話には、原初神としてプタハがいますが、彼が「原初の丘」を作り、そこからアトゥム=ラーが生まれるのは同じです。


太陽神ラーは、一日の循環では、夕方に女神ヌートに飲み込まれて地下へ下り、毎朝ヌートの尻から生み出されます。

ですが、以上のように、「原初の水」→「原初の丘」→太陽神と続く創造神話の元になっているのは、ナイルの洪水に由来する季節循環の光景です。

そうであれば、「原初の丘」からの太陽神の誕生には、季節循環における太陽の復活という側面もあるでしょう。


冥界の穀物神(農業の季節循環)


死後の復活を象徴する冥界王のオシリスは、麦や葡萄といった植物の季節循環を表現する神です。

穀物神としてのオシリスは、収穫期に刈り取られて死すも、その本質において不死の存在となり、新しい年度の種子として、息子のホルスとして復活します。

オシリスの大祭は、洪水が引いた後、種まきの前に行われました。
オシリスは種子の神でもあります。
オシリスの像には大麦の種子が蒔かれ、発芽すると、「原初の丘」に相当する島にあるオシリスの墓の神殿に運ばれました。


オシリスと、その妻のイシス、息子のホルス、敵対者セトをめぐる神話には、様々なものがあります。
ですが、ギリシャの作家プルタルコスが『イシスとオシリス』で紹介したものが最も有名です。
この物語は様々な神話を結びつけて1つにしているようで、ギリシャのデルメル=ペルセポネの神話の影響もあります。

イシスは、座席(オシリスの玉座)の意味であり、ナイルの増水を告げるシリウスの女神であり、再生の魔術の神です。

ホルスは鷹神であり、天空神であり、また地平線を昇降する太陽神です。
また、オシリスの息子として、豊穰神であって、砂漠と不毛の神セトと戦います。

イシス=ソティス


『イシスとオシリス』によれば、エジプト王のオシリスは、セトに騙されて棺に入れられ、ナイルに流され、さらには、遺体を14に切り刻んでバラバラに撒かれてしまいました。

妻のイシスが13の遺体を集めてオシリスを復活させましたが、男根部分が見つからなかったため、現世には戻れず、霊界の王になりました。

また、イシスは魔法によってオシリスの子ホルスを孕み、生みました。
ホルスはセトとの何度にも渡る闘いの末、セトを打ち負かしてオシリスの後継者となりました。


オリエント・ギリシャ神話に多く見られるように、穀物神・豊穣神は、季節循環を表現して、冥界と現世を行き来することが一般的です。
ちなみに、オシリスも、オリエント起原の神ではないかとされています。

例えば、ギリシャの麦の女神ペルセポネは、1年の1/3を冥界女王として過ごします。
シュメール=アッカド神話のドゥムジ=タンムズは、半年を冥界で暮らします。

ですが、オシリス神話では、冥界王と地上王を、オシリスと息子ホルスが役割分担します。


一般に、多くの男性の豊穣神は、男根神です。
オシリスは、男根を欠くがゆえに現世に復活できなかったと語られます。

ですが、私は、ここに深い意味が隠されていると思います。

フリギアのアッティスは、男根を切り取って死にましたが、これは、太母キュベレに男根を捧げたことを示していると思います。

オシリスの男根は、ナイルの魚が食べたとされていますが、これはナイルの女神に男根を捧げたことと同じ意味を持つと思います。
そして、イシスは肉体の接触なしにオシリスの子を孕みましたが、これは男根がイシスに捧げられていたことと同じ意味を持つと思います。

つまり、オシリス神話には、太母に自らの男根を捧げて、動・植物の再生を促す、狩猟文化の男神の要素が残存しています。


また、ホルスはセトとの戦いは、季節循環の豊穣期と不毛期の交代の表現です。
ですから、ホルスが一時的に勝ったとしても、この戦いは永遠に繰り返される物語であり、勝敗は交互のものとなります。

これは、シリアの豊穣神バアルが、不毛神モトと永遠に戦い続けるのと同じです。


*参考書

・「エジプト神話の図像学」クリスチアヌ・デローシュ=ノブルクール(河出書房新社)
・「エジプトの神々辞典」ステファヌ・ロッシーニ、リュト・シュマン=アンテルム(河出書房新社)
・「再生の女神セドナ」ハンス・ペーターデュル(‎法政大学出版局)

*画像はすべて「エジプトの神々辞典」より



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