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縄文の世界観と月信仰 1
月信仰に関わる連続投稿の2つ目の投稿です。
初めて体系的に縄文文化に月信仰を読み取ったのは、ネリー・ナウマンです。
小林公明や田中基らが、彼女の説を継承し、発展させました。
本投稿は、縄文文化の月信仰に関わる、彼らの説の一部を紹介するものです。
1万年の歴史を持つ日本の各地の縄文文化の中でも、最も遺跡数が多く、土偶、土器の豊かな表現が見られるのは、縄文中期に、八ヶ岳、諏訪などの中部高地を中心に栄えた、井戸尻遺跡周辺に見られる文化です。
小林や田中が論考の中心的な対象にしているのも、本投稿で取り上げるのも、この文化が中心です。
前編に当たる本投稿では、最初に、月信仰の位置づけと意味について簡単に私見をまとめます。
次に、縄文時代の月信仰の基本的な世界観についてまとめます。
その後、月神と、月神の属性を持つ主要な神々についてまとめます。
最後に、現代、近代にまで伝わっている、月信仰に関わる風習、神事をまとめて、補足とします。
後編の「縄文の世界観と月信仰2」では、より具体的に、特定の遺跡、土偶、土器を取り上げて、いくつかのテーマを交えて紹介します。
*一般に、「新月」と「朔月」は同じ意味ですが、当稿では、「新月」は「再生」に力点を置いて上弦の三日月に近い意味で、「朔月」は「死」に力点を置いた意味で使います。
また、「旧月」は「新月」に対しての前の月の意味で使います。
月信仰と太陽信仰
旧石器時代は、遊動(非定住)の狩猟・採集・漁撈の文化です。
縄文時代も、狩猟・採集・漁撈をベースにしていますが、定住と初期の栽培・農耕が始まりました。
一般に、月信仰は、狩猟・採集・漁労文化、雑穀農業、焼畑農業の文化に特徴的です。
一方、太陽信仰は、水稲農業や王権に特徴的です。
縄文時代は、月信仰がベースにあり、徐々に太陽信仰も重視されるようになってきたと推測されます。
幾分ステレオタイプになりますが、月信仰と太陽信仰の思想の大まかな違いを、私見で書きます。
月と太陽の最大の違いは、月が満ち欠けをすることです。
それゆえ、月信仰の世界観は、「変容」と「循環」、「死と再生」が特徴です。
そして、死(冥界)、大地、女性性、無意識を創造の基盤と考えます。
一方、太陽信仰の世界観は、「不変性」と「対立」が特徴です。
農業は自然を「制御」し、王権は人々を「支配」します。
そして、上記の月信仰の要素を否定的なものと見なし、男権的で意識的な原理を重視します。
太陽信仰が公教的・顕教的なら、月信仰は秘教的、密教的です。
月信仰の思想、価値観は、太陽信仰のそれを批判すると共に、創造的にするものであると思います。
縄文に取り憑かれていた岡本太郎が作るべきは、「太陽」ではなく「月」だったはずです。
月信仰の思想は、「死と再生」の一体が本質ですが、縄文文化は「再生」よりも「死」を基盤として重視していたように思えます。
土器や土偶を満たしている過剰な装飾や、図柄の地となる部分の模様などは、流動する力を表現しているようです。
これは基盤としての「死(冥界)」の力であり、それは無限であり、カオスであると感じます。
この根源的な力は、太陽意識ではなく月意志です。
縄文文化はそれを見える形で表現してくれましたが、私見では、縄文文化が定住や農耕を始めたことによって、その力の一部を失ったからこそ、その失ったものを表現しようとしたのではないかと思います。
本稿が取り扱うのは、象徴表現の解読ですが、その象徴は、本来的な意味での象徴であり、多元的、多層的、逆説的、多義的です。
象徴の背後には、流動的な力があり、それが象徴を象徴たらしめています。
旧石器時代のヴィーナスと月信仰
世界の各地で、後期旧石器時代の「ヴィーナス像」と呼ばれる像が見つかっています。
臀部や乳房が強調され、妊娠しているようなふっくらした姿の、狩猟文化の太母像です。
おそらく、人間、動・植物を生み出す母であり、太陽や月の母でもあります。
中でも興味深いのは、フランスのローセルのヴィーナス像です。
この像は、動物の角を持っていて、そこには13本の線が刻まれています。
この角は三日月を象徴し、13本の線は、太陰太陽暦の月の数、そして、もしくは、月が満ち欠けする13日を表現しているのでしょう。
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「対称弧刻文の神話考古」小林公明(「諏訪学」国書刊行会)より
後期旧石器時代には、太陰暦が使われ、太母が月女神の属性を持っていたらしいことが分かります。
月女神であれば、彼女が出産するのは、新月の神になります。
縄文時代にも、月女神の属性を持った太母、あるいは、地母神と見られる像が見られます。
新石器時代のストーンサークルと月信仰
新石器時代の遺物で印象的なのは、世界各地に環状列石(ストーンサークル)が作られたことです。
例えば、イギリスのストーンヘンジが有名です。
ストーンヘンジは、夏至の日にヒール・ストーンと呼ばれる岩と中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇るので、太陽暦を使い、太陽信仰があったと言われています。
ですが、月の大停滞の時、ストーンヘンジの4つのステーションストーン(測量石)からなる長方形の長軸が、月の出の最南端の方向と一致するという指摘があります。
*月の大停滞は、18.6年に一度起きる現象で、月の出と月の入りが、最北あるいは最南の位置になる現象です。
であれば、月を非常に精密に観測していたことになります。
おそらく、月信仰もあったと推測されます。
これは、祖霊の世界が、月と関わるものであったということでしょう。
縄文時代の環状立石は、二至の太陽の方向の観測が行われていたものがありますが、よく調べれば、月の観測が行われていたことが判明するかもしれません。
そう推測できる理由があります。
ストーンヘンジで使われる石の一部は、ブルースストーンと呼ばれる石で、はるか遠くから運ばれています。
青(緑)色の石が使われることは、縄文のストーンサークルも同じです。
例えば、大湯環状列石も、ほとんどの石が同じ緑色の石で作られています。
この石は遺跡の近くを流れる川の上流から運んできたもので、大変な労力が必要です。
この色は、翡翠の勾玉にまで繋がります。
ですから、ストーンヘンジと縄文の環状列石は、同じ世界観を共有していたのでしょう。
おそらく、この色は、月が司る水の色であり、再生の色だからでしょう。
翡翠の勾玉は、三日月であり、胎児の形です。
私見になりますが、青(緑)の石は、石の嬰児と考えられたのかもしれません。
ただの思いつきの話題なのですが、縄文晩期後葉に、石川県、富山県に、ウッド・サークル(環状木柱列)が見られます。
これらは、何の目的で立てられたものか、分かっていません。
石川県のチカモリ遺跡のそれを見ると、柱は、わざわざ割ってあります。
まったく根拠はないのですが、それが私には半月や三ヶ月にしか見えず、全体も月の運行にしか見えません。
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「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)より
縄文の月信仰の基本
縄文文化は、月に象徴される「死と再生(復活)」という観念を核にしています。
月が朔月として死んでいる期間は3日間なので、3は月信仰の聖数となりました。
キリストなどの英雄が3日の後に復活することも、仏教で死者が3日後に霊体として意識を取り戻すとされることも、月の復活に由来するのでしょう。
月を同時刻に観測すると、その位置が螺旋状に移動するからか、螺旋(渦巻き、蕨手)、特に二重螺旋は、月の運動、満ち欠けの象徴表現です。
螺旋状の円文、二重円は、朔月や満月の表現でもあります。
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右側が欠けている顔が欠ける月を表現している
裏面の螺旋も満ち欠けを表現
頭部の突起は月光を表現
額の形も三日月を表現
「縄文のメドゥーサ」田中基(現代書館)より
月は、夜露や雨として「若変水(=おちみず、生命の水)」を地上に垂らし、動・植物を育てる存在です。
「万葉集」の時代でも、「月読の 持てる若変水 い取り来て…」(3245)と詠まれています。
人間の嬰児が誕生後に泣くように、再生した上弦の三日月がよく若変水を垂らすと考えられたのかもしれません。
三日月は若変水を貯めた盆です。
先にも書きましたが、縄文時代には翡翠の勾玉が作られ、勾玉はこの三日月であり、胎児を表現します。
先に書いたように、翡翠の青(緑)色は、月の若変水の色であり、若葉の色なのでしょう。
蛙(ヒキガエル、ガマガエル)、蛇、猪は、月に関わる生き物です。
中国の神話にもあるように、ヒキガエルは月と同様の斑点があるので、月にいると考えられました。
蛙は月が司る水界の生き物であり、若変水を呼ぶと考えられたのでしょう。
私見ですが、蛙の目は出っ張っていて天体を思わせますが、水界の生き物なので月です。
その閉じた目は、胎児や嬰児の目のようなので、新月の象徴にもなります。
蛙は、ふくらんだり縮まったりする点、脱皮し、冬眠して地中の穴から出てくる点でも、再生する月と関係する生き物と考えられたのでしょう。
縄文土器には、土器に張り付くように背中を見せた蛙が多く描かれています。
この蛙は、月の聖数を反映して三本指です。
蛙は朔月の表現であり、それゆえ女神の子宮でもありました。
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三本指、背中は女性器の蛙
「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社)より
蛇は、月の若変水を飲んだために、脱皮する不死なる存在になったと考えられました。
再生したばかりの細い月も、蛇と見られたようです。
また、とぐろを巻く姿(螺旋)が、月の運動、満ち欠けの象徴となったかもしれません。
宮古島には、アカリヤザガマが若変水を人間に届けようとしたが、蛇が浴びてしまったので不死になった、しょうがないので人間には死水を浴びせた、という伝承が残っています。
蛙と蛇が、対照的な存在として描かれます。
猪は、シンプルに、その牙が三日月形であり、再生を象徴します。
「月の再生」は、「女性の出産」や、「大地の豊穣」、「火山の噴火」とも重ねて考えられました。
ですから、旧月は母、新月は胎児、三日月は嬰児です。
朔の時、月が隠ると考えられた場所は、太母(地母神)の子宮です。
ですがそれだえけではなく、神人の眼窩、腋窩(脇の下の窪み)、あるいは、膝や肘(その窪み)の場合もありました。
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脇の部分に穴が開いていて月がそこに隠る
腕先が螺旋に巻いているのは月の満ち欠けを表現
「縄文のメドゥーサ」田中基(現代書館)より
地母神が持つ生む力は、月女神の力であり、両者は一体の存在です。
火山の噴火は、地母神による火神の出産であり、火口は子宮、溶岩流や噴火に伴う雷は蛇です。
ですから、火神は新月でもあります。
鹿児島の桜島に月読神社があり、この神社の伝承では、ツクヨミは桜島で生まれたとあり、火山からの月の誕生を想像させます。
食物を変容させ、酒を作る土器は、月母神の体、あるいは、子宮です。
そして、土器から生まれるものは、子神です。
月と太陽を生む神人・大母
記紀神話では、イザナギの左右の目から太陽神と月神が生まれます。
縄文土偶にも、月(と太陽?)を生む男神ではないかと思われるものがあります。
北海道の著保内野遺跡出土の中空土偶には、両肩、両膝、後頭部、乳首に眼があり、小林はこの土偶を「光明の主」である最高神だと解釈しています。
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「五体に表された天体もしくは眼の図像」小林公明(「光の神話考古 ネリー・ナウマン記念論集」言叢社)より
これらの眼は「白目」ですが、これは他の土偶や土器での解釈から、朔月を表現しています。
他にもこの像には、上下を横線で区切った円文があり、これは閉じた眼で、やはり、朔月でしょう。
つまり、この土偶の男神は、脇や膝などに月が隠る男神であり、逆に言えば、月を生み出した男神です。
小林は、時代的、系統的に見て、この思想が中部高原から東北、北海道に伝わったと書いています。
一方、縄文土器には、月と太陽を生む女神と思われるものも表現されています。
下原遺跡12号住居出土の女神像土器は、全身像の両脇の下にある2つの円文が、同時に冥界女神の蛇体でできた両眼になっているものがあります。
つまり、月と太陽が、地母神の左右の眼=脇から生まれ、そこに隠ることを表現しているのでしょう。
地母神とその3人の子神
私見かもしれませんが、縄文の月神には、2種類があります。
一つは、文字通りの月神です。
この月神は、神人や大母(地母神)から、太陽とともに生まれます。
もう一つは、一種の比喩としての月神です。
月神の属性を持つ神、月神がメタモルファーゼした姿、月神の力を受けとる神、と言っても良いのかもしれません。
出産が月の再生力の賜物と考えられたので、女神が子神を生む場合、その母神は旧月であり、子神は新月、あるいは、三日月です。
そして、月信仰の思想は、循環(永劫回帰)なので、母神と娘は表裏一体です。
縄文土器や土偶には、地母神による3神の出産が、月の再生と重ねて表現されています。
その3神は、火神、穀物神、水神です。
火、穀物、水(若変水・酒)は、人間にとって最も重要な要素と言っても良いでしょう。
記紀神話では、地母神イザナミは、火神カグツチを生みます。
ランプである「香炉形土器」には、火神を生む地母神の体でもあり、頭でもあるようにデザインされたものがあります。
また、イザナミは穀物神(ワクムスビやオオゲツヒメ、ウケモチ)を生みます。
「人面付深鉢」と呼ばれる土器には、地母神の体としてデザインされ、その出産中の姿を描いたものがあります。
女性器の部分は蛙(半人半蛙)の背中に当たるので、地母神は月女神でもあります。
土器の縁についた顔は、籾殻に包まれたようになっているので、穀物女神でもあります。
また、イザナミは、水女神のミヅハノメを生みます。
「有孔鍔付土器」は、酒作りの土器であると推測される土器です。
酒は月の若変水と見なされていたのでしょう。
この土器にも蛙(半人半蛙)が描かれているので、ミヅハノメを生む月女神=地母神としてデザインされています。
記紀神話では、火神カグツチはイザナギに首を切られ、その血からは様々な神、体からは8つの山が生じます。
「日本書紀」の一書では、体を3つ、あるいは、5つに切られます。
地母神イザナミは、冥界では、その身体各部に8つの雷神がいました。
イザナミは体がバラバラにされたとは書かれていませんが、身体各部に神がいたことは、ほぼ同じ意味を持ちます。
ギリシャ神話では、地母神だったと思われるメデューサは、ペルセウスに首を切られます。
「古事記」では、穀物神オオゲツヒメはスサノヲに殺されて、その身体各部から五穀が生じました。
「日本書紀」の一書11では、穀物神ウケモチがツクヨミに斬り殺されて、その身体各部から五穀が生じました。
このように、地母神、火神、穀物神は、体をバラバラにされるなどして、体の各部から生む神です。
これらの神話は、縄文の土器や土偶が意図的に壊される儀礼があったことを推測させます。
このような、殺された女神の屍体から穀物が生まれる、女神の体内から火が生じる神話は、畑作や初期農耕民の間で見られる神話です。
*後編に当たる次の投稿では、具体的に遺跡や土偶、土器をあげながら、これらの内容についてより詳しく紹介します。
付論:今に残る月信仰の風習
以上の縄文文化の話を読んで、我々とは縁遠い世界だなと、感じる人もいるでしょう。
そこで、現代、あるいは、近年まで伝承されている、月信仰に関わる風習をあげてみます。
まず、わかりやすいのは、旧暦の8月15日に行われる、「中秋の名月(観月)祭り」です。
最近では、月が綺麗に見える時期に月見をする風習のようになっているかもしれませんが、本来は、芋、あるいは、雑穀、畑作の収穫祭りです。
中国の観月の宴が平安時代に輸入されたのが起源とも言われますが、それ以前から祭りがあったはずです。
月に供える月見団子は、丸くて白く、満月を象徴します。
古くは、芋(で作った団子)を供えたようです。
私見では、芋は皮が黒く、中身は白いので、朔月と満月の象徴になるのではないかと思います。
正月に行われる「若水汲み(若水迎え)」は、再生した月の若変水(おちみず)を飲む祭りです。
正月の早朝まだ暗いうちに、水神に供物を捧げ、唱えごとを言った後に、井戸(川、泉、洞窟)から水を汲み上げ、水は家に持ち帰り、飲んだり、料理に使ったり、年神に供えたりします。
海水を汲む「若潮迎え」もあります。
諏訪大社では、正月一日に「蛙狩神事」が行われます。
これは、川で蛙(ガマガエル)を取り、蛙を矢で射て、供犠とするもので、謎の神事とされています。
私見ですが、これは、「若水汲み」と同じ意味を持つ儀礼だと思います。
蛙は月の動物であり、先に書いたように、宮古島の伝承には、ガマガエルが人間に若変水をとどけようとした物語が残されています。
ですから、蛙を取ることは、「若水汲み」と同様の神事です。
中部・関東の山岳地方に、旧暦の正月三ヶ日に、主人が泣きながら、いろりで芋を食べる風習があります。
私見ですが、正月三ヶ日は朔の3日間と見なされ、泣くのは新月が若変水を垂らすことであり、いろりは朔(洞窟)、芋は満月の象徴でしょう。
ですから、これも月の若変水を取る「若水汲み」と同様の神事です。
沖縄のアカマタ・クロマタは、5-6月に行われる豊年祭です。
アカマタ・クロマタは、来訪神の祭りで、祖霊とも言われています。
西表島では、アカマタ(とシロマタ)は出現するところを見せ、クロマタは帰るところは見せます。
私見では、これは復活した新月と、朔に入る旧月の象徴ではないかと思います。
石垣島では、来訪神はマユンガナシと呼ばれますが、マユンガナシは最初に水を浴び、箕・笠をつけて杖をついた姿で現れます。
私見では、水浴びは若変水による再生、箕・笠は胎盤、杖はへその緒の象徴で、マユンガナシは胎盤に包まれて生まれる嬰児の姿あり、新月ではないかと思います。
かつて隼人が居住した薩摩半島には、多数の月信仰に関わる習俗が残されています。
その一つの旧暦8月15日に行われる豊作祈願の十五夜行事である「ソラヨイ」は、藁帽子をかぶり、腰蓑をつけて四股を踏むようにして踊ります。
藁帽子、腰蓑をつけた人物も、胎盤に包まれて生まれる嬰児の姿あり、新月でしょう。
同じく、10月の亥の日に行われる「オツッドン(お月殿)」は、数個の丸石をご神体にして、竹で鳥居を作るなどして月を祀ります。
私見ですが、丸石は月の象徴、竹は月女神のかぐや姫が生まれた月隠りの場所です。
また、牛を真似た儀礼も行われます。
私見ですが、牛はツキヨミがウケモチを殺した時にその屍体から生じた動物であり、その角は三日月の象徴でしょう。
「二十三夜」は、月の出を待って飲食を共にする風習で、月光に若返りの効力があると信じられています。
特に霜月の二十三夜が重視されました。
神奈川県には、子どもが欲しい女性が、旧暦の霜月の二十三夜に、屋根に登って、盆の上に水を入れた茶碗を乗せ、それを頭の上に乗せ、月の出を待って祈る風習があります。
私見ですが、月の復活と妊娠を重ね、若変水をもらうことが目的でしょう。
*主要参考文献
・「生の緒」ネリー・ナウマン(言叢社2005)
・「五体に表された天体もしくは眼の図像」小林公明(「光の神話考古 ネリー・ナウマン記念論集」山麓考古同好会・縄文造形研究会編・言叢社)
・「対称弧刻文の神話考古」小林公明(「諏訪学」山本ひろ子編・国書刊行会)
・「大地に描かれた胎芽・胎児・出産像をめぐって」田中基(「諏訪学」山本ひろ子編・国書刊行会)
・「縄文のメドゥーサ」田中基(現代書館2006)
*タイトル画像は縄文のヴィーナスの頭部(「縄文 謎の扉を開く」(冨山房インターナショナル)の表紙より)