恋とか愛とかやさしさなら(一穂ミチ)
ラブロマンスは殆ど読まないが、これはわりと面白かった。
婚約した翌日、婚約者の彼が盗撮で捕まって…といった話。
ヒーローとヒロインの立場を逆にしたら、どんな罪状になるだろうか?と少し考えたけれど、思い付かなかった。
男女を逆にして描く事の難しい設定である理由は、この国のジェンダーがそれだけ不平等という事を表しているのかもしれない。
自分が餌食になる可能性のある他者の欲望、その中でもかなり深い所にあるもの。それをここでは、ブラックボックスと呼んでいる様に思う。
ブラックボックスは、見る人間によって深い浅いに違いがあるだろうと思う。
人によってはエロ本や、やや性的な表現のある漫画ですらブラックボックスになるだろうし、極端な話、強姦なんかでもブラックボックスにならない人もいる。
そして、他者のブラックボックスを見たが最後、もう相手をこれまでと同じ人間とは見れなくなってしまう。
啓久は新夏が、もう自分をこれまでの様には見ていない事を知ってしまった。だから互いに、もう一緒にはいられなくなったのだろうと。
タイトルにある、恋とか愛とかやさしさだけでは乗り越えられない、って事なのでしょうか。
それは主人公の両親の離婚理由や、啓久の母の話、主人公の友人である葵の話にも表れている気がした。
恋人、夫婦に限らず、人間関係にはある程度の諦めが必要という事なのかも。
そして私の両親がよく「結婚は生活(現実)だ」と言っていた事を思い出します。
また、性犯罪だからと女性同士が団結するわけではない、というのもリアリティがあって良い。
大概の女性も皆、自分や自分と家族がサバイブするのでいっぱいいっぱいで、コストパフォーマンスを重視して生きる現実がシビアに描かれている。
「恋とか愛とかやさしさより」で、被害者が置いてけぼりにされず、しっかり書かれたのも良かった。
彼女が最後に言う「尊重」という言葉が、印象に残った。
タイトル「恋とか愛とかやさしさより」の続きにあったのは、「尊重」という言葉だったのかもしれない。