遠く離れた国の戦争を考えるときに、大切にしていること。
ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めました。
これまでどの国も「外交、外交」とがんばってきたようなので、今日のロシアの軍事侵攻は、「残念…」半分、「やっぱりか…」半分。
ここで、地理的に遠く離れた国の戦争を、日本にいるわたしたちが見聞きし、考えるとき、
わたしなりに大切にしていることを紹介します。
少ない情報で議論しない
インターネットのおかげで、どんな情報も秒で手に入る時代になりました。が、ヨーロッパのニュースの元ネタはすべて英語です。
それを日本語に訳し、ネットニュース記事やお茶の間のワイドショーで取り上げられるまでにはどうしても時差が生じます。
また、限られた文字数の記事、限られた番組の放映時間で日本のわたしたちに伝えられる情報量は、現地から発せられる情報の一部分にすぎません。
今日は仕事しながら、BBC RadioのWorld serviceを聞いていました。普段は様々な番組が流れますが、今日ずっとウクライナ情勢一色でした。
40~50%の理解度ではありますが、頑張って聞いていると、どんな方向性のことを言っているのかくらいは分かります。
かなり「生の声」に近い内容だったと思います。
こんなとき英語を勉強しておいてよかったなぁと思うし、
日本人あるあるで「普段英語を使わないから、英語話せなくても大丈夫~」と、現状に甘えているのはもったいないなぁと思うことでもあります。
話を戻しますが、
少ない情報だけで交わされる議論ほど怖いものはありません。
わたしたちは経験しています。
コロナが流行り始めたとき、「マスクの材料に回されるから、ティッシュやトイレットペーパーがなくなるぞ!」とか。
80年前の戦争で、大本営による情報統制のために、国民はひとつの価値観を押し付けられたこととか。
わたしは3.11東日本大震災をイギリスで経験しましたが、
イギリスに入ってくる情報量、報道される情報量は、日本で得るよりも圧倒的に少なかった(だろう)ので、きっと必要以上の心配をしていたと、あの時を振り返って思います。
少ない情報は、わたしたちの不安を煽ります。
その不安な心でする判断は、冷静さを欠きます。
メディアは、難しい話を易しく伝えてくれているけど、
(専門家でもなんでもない)コメンテーターの感想よりも、
もっと多くの情報を「情報のシャワー」のように報道する時間に多くを割き、「視聴者の視点を増やし、視聴者に考えさせる」ような報道をしてほしいなと思います。
多角的な視点から「TRY to think」
「西側」に所属する日本のメディアは、どうしても
「正義のNATO vs 悪のロシア」
「可哀想なウクライナ」
という報道をしがちです。
もちろん、どんな戦争も、どんな武力行使も、あってはならない。
けど、
「ロシアは何で、軍事行為に出なきゃいけなかったんだろう?」
「西側諸国も、なぜ譲歩できなかったのだろう?」
と、その背景を考えてみることが大切です。
想像しがたいことは承知。
でも、「考えてみる」ことは「理解すること」とは別です。
理解できなくても、「TRY to think(考えてみる)」ことは可能です。
歴史的背景、政治的背景、経済的背景…
様々な角度から今日の出来事を見てみると、プーチン大統領の属人的な理由から起こった軍事行為ではないはず。
少ない情報で議論や判断をせず、多角的な視点にアプローチすること。
「正しいNATO、悪いロシア」という色眼鏡を外して、どちらの側の立場にも立って「TRY to think(考えてみる)」こと。
それぞれの立場の人々に、共感(エンパシー)を働かせてみよう。
そして、悲しい想いをする人がひとりでも少ないうちに、
一刻も早く、争いが収まりますように。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。