なぜ、わたしは、戦争体験を語り継ぐのか。
前回の記事、「祖父の戦争体験を語り継ぎたい!」と、
なぜ思うようになったか、
なぜこの想いに行き着き、
noteに記録しようと思ったか。
話せば長くなるので、エピソードごとに区切って、気が向いたところから書いていきたい。
今日は、最直近のエピソード。
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小学6年生の社会科の授業から「歴史」が面白いと感じ、大学ではアメリカ政治外交史を専攻した。
ゼミの教授が「戦争と平和」に強い関心と行動力を持っていたことから、自分の勉強・研究以外の場所でも関連する活動をしたり、「戦争と平和」に関する意識は人並みより高い状態であった。
自分のことにだけ時間を注げた学生時代が終わり、
就職、結婚、出産、育児…
さすがにこの期間はアカデミックな学びからは遠ざかった。
だが、「三つ子の魂百まで」ならぬ、
「学生時代の興味関心、百まで」。
学びの世界とは遠い現実にいても、心の奥底では、
年々、確実に減っていく「戦争体験者」と、
若者世代が「戦争の記憶」と触れ合う機会の減少。
「もうすでに、待ったなし!今、動かなくては!」
と思いつつも、
戦後生まれのわたしが勝手にアクセスできる戦争体験のデータベースもなく、語り継ぐスキルもなく、経験もなく、場所もなく、方法手段も分からず。
焦りと、疑問と、やるせなさが、年々積もっていくだけだった。
毎年、8月を迎えるたびに、
各テレビ局が放映する戦争特集番組を片っ端から録画し、ちまちま観るのが、せめてもの欲求不満の解消だった。
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今年の8月も、同じような気持ちで過ごしていた。
ある日、Facebookを流し見していると、とあるNPO法人のイベント告知の記事が目に留まった。
それが、前回の記事でも紹介したNPO団体「Bridge for Peace」。
イベントタイトルは、
『「戦場体験」を受け継ぐということ ーなぜ?何を?どのように?受け継いでゆくか』
ズッキューーーーン!
イベントタイトルの一言一句が、わたしのハートのど真ん中を射抜いた。
これは参加するしかない。
日曜日の開催だったため、どうにか子供たちの子守を家族に手配し、即日ポチした。
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メインの専攻をお持ちである一方で、
戦争体験を継承することを研究され、ご自身も戦争体験収集・継承実践者である大学教授をゲストスピーカーに迎えた講座。
アカデミックな視点と、ご自身との経験をハイブリットさせた講座内容は、わたしのスポンジのような知識欲に、ずんずん染み入っていった。
本来なら、大学の半期をかけて学ぶカリキュラムに相当する内容を、たった1時間半程度に収めたのだから、わたしの知りたかったエッセンスがぎっしり詰め込まれていた。
どんな講義内容だったかは、ここでは割愛するが、
講義内容に「はっ」と気づかされ、以降、講義中もずっと頭の中をリピートし、強く刻まれた想い。
「わたしにも、できる。」
祖父と、祖父の弟の戦争体験。
わたしなら語れる、わたしが語り継がねば。
同時に、簡単なことではないことも、講義中に察しがついた。
実践者である教授の長年の経歴と比べれば、とても及ばないし、
自分自身、これからかなり勉強しなければいけなこと、
決して軽くないテーマを扱うことのデリケートさ、
人前で語るということの慎重さ、
意識高い系だと思われるだろう世間の目。
それらをひっくるめても、「やりたい!」
小規模なワークショップから、学校公演まで、祖父たちの戦争体験を伝えてる数年後の自分の姿が、ありありと目の前にイメージされた。
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イベント終盤、感想をシェアする機会をいただいた。
「戦争体験の風化に、ずっと危機感を抱いていた。
祖父と祖父の弟の戦争体験を語り継ぐことなら、わたしにもできると思う。
祖父からの戦争体験の聞き取りが中途半端であったことが悔やまれるが、
今日の講座を聞いて、ほんの一部だが、継承活動の専門的な知識とハウツーを得られた。」
そんな旨の感想だったと思う。
すると、教授は
「自治体に問い合わせると『軍歴証明』というものが取得できます。おじいさまたちの足跡を辿り、戦争体験を語り継ぐのに役立つと思いますよ。」
NPO代表の方からも、後日のメールのやり取りで、
「おじいさまたちの戦争体験を語るイベント、ぜひやりましょう!」
と言ってくださって、
俄然、やる気しか湧きあがらねぇじゃん!!!
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ということで、今に至る。
どうせ調べるなら、どうせ学ぶなら、
共有できる範囲の情報は共有した方がいい。
読者全員に響かなくても、
100人に1人、いや、1000人に1人でもいいから、何かが届けばいい。
そんな想いで、今、noteをしたためている。
教授にアドバイスいただいた「軍歴証明」を取得するのが、当面の目標となったので、これについても記事にしていきたい。
お読みいただき、ありがとうございます。