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自分でどうにかできる「いそがしい」なら、幸せだ。

「忙」という漢字は「心」を「亡」だから、「忙しい」と言ってはいけない。

そんなポジティブ教育が、一昔前は流行りだった。
今でも流行りなのだろうか。
今は、1周回って、ちょっと違う角度で「忙しい」と捉えている人を、ちらほら見かける。

「いそがしい」という言葉を発するのを、我慢しなくてもいいと、
わたしは思う。


自分の人生どうにかしたいと殻を破り始めて、1年ちょい。
ただ仕事をし、家に帰ったら家事育児し一日が終わって、その毎日の連続で人生が終わるという敷かれたレールに嫌気がさし、さらに激しく殻を破り始めて数ヶ月。

ものすごくタスクが増えた。

本業の仕事量が割増しになったのは、たしかにある。
それと同時に、自己成長のためのタスクが乗っかかってきた。

本業の方で追い詰められれば追い詰められるほど、「なにくそ!」と這い上がるその火事場の馬鹿力が、自己成長のタスクが増えるのを助長している。

でも、家事育児のタスクは減らない。
減らす工夫はしているが、一定数は残る。

以前と比べて、確実に増えたタスク。それは、

自己成長のタスク。

しかも、削ろうと思えばいつでも削れるタスク。
このnoteを書くのも含め。
しんどいと思えば、いつでもやめれる。
やめても、誰も迷惑しない。

でもね、楽しいんだ。
自己成長のタスクが一番、楽しい。

だから、この「いそがしさ」が、やめられない。
自己成長のタスクがなかったあの頃には、もう戻れないのだ。

だから、
「いそがしい」という言葉を発するのを、我慢しなくてもいいと思う。
無理やり、「充実してる」などと言い換えなくてもいいと思う。
「タスクでパンパン」、この状態を他になんと言い換えよう?

自分が、その「いそがしさ」を選択していれば、
こんなに幸せなことはない。

「いそがしさ」に対する罪悪感は、無用なのだ。

いっそのこと、満面の笑みで

「わたし、いそがしいんですぅ~」

って言ってしまおう。


ただ、体調だけは崩さないように。

わたしはどうやらロングスリーパーで、睡眠時間が体調に比例しているようだ。

もし、目の前にジーニーがいたらなら、
まっ先にお願いする願い事は、「ショートスリーパーにして!」だろうね。

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かくたりさ
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