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自分でどうにかできる「いそがしい」なら、幸せだ。
「忙」という漢字は「心」を「亡」だから、「忙しい」と言ってはいけない。
そんなポジティブ教育が、一昔前は流行りだった。
今でも流行りなのだろうか。
今は、1周回って、ちょっと違う角度で「忙しい」と捉えている人を、ちらほら見かける。
「いそがしい」という言葉を発するのを、我慢しなくてもいいと、
わたしは思う。
*
自分の人生どうにかしたいと殻を破り始めて、1年ちょい。
ただ仕事をし、家に帰ったら家事育児し一日が終わって、その毎日の連続で人生が終わるという敷かれたレールに嫌気がさし、さらに激しく殻を破り始めて数ヶ月。
ものすごくタスクが増えた。
本業の仕事量が割増しになったのは、たしかにある。
それと同時に、自己成長のためのタスクが乗っかかってきた。
本業の方で追い詰められれば追い詰められるほど、「なにくそ!」と這い上がるその火事場の馬鹿力が、自己成長のタスクが増えるのを助長している。
でも、家事育児のタスクは減らない。
減らす工夫はしているが、一定数は残る。
以前と比べて、確実に増えたタスク。それは、
自己成長のタスク。
しかも、削ろうと思えばいつでも削れるタスク。
このnoteを書くのも含め。
しんどいと思えば、いつでもやめれる。
やめても、誰も迷惑しない。
でもね、楽しいんだ。
自己成長のタスクが一番、楽しい。
だから、この「いそがしさ」が、やめられない。
自己成長のタスクがなかったあの頃には、もう戻れないのだ。
だから、
「いそがしい」という言葉を発するのを、我慢しなくてもいいと思う。
無理やり、「充実してる」などと言い換えなくてもいいと思う。
「タスクでパンパン」、この状態を他になんと言い換えよう?
自分が、その「いそがしさ」を選択していれば、
こんなに幸せなことはない。
「いそがしさ」に対する罪悪感は、無用なのだ。
いっそのこと、満面の笑みで
「わたし、いそがしいんですぅ~」
って言ってしまおう。
*
ただ、体調だけは崩さないように。
わたしはどうやらロングスリーパーで、睡眠時間が体調に比例しているようだ。
もし、目の前にジーニーがいたらなら、
まっ先にお願いする願い事は、「ショートスリーパーにして!」だろうね。
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