10月20日 オーチャードホール 東フィル 指揮 出口大地 ヴァイオリン 服部百音


11月20日オーチャードホール

もともと 服部百音さんのヴァイオリンが好きで
昨年 服部百音さんがファジル・サイさんのコンサートで演奏すると言っており 本人が「ファジル・サイさんの曲はすごく良い音楽です!」「『クレオパトラ』『イダ山』という曲」と宣伝していて 慌ててファジル・サイさんのチケット取って・・・
コンサート2日間あって 最初の日が百音さんがゲストだったのだが そちらではない ガチにファンの人が来るであろう日の方を取ってしまい 
「あちゃ~」と思いながらも 百音さんが素晴らしいという
ファジル・サイさん(トルコ出身の方で作曲もするピアニスト)の音楽を聴いたのだった。違うことなくその音楽は確かにすばらしかったのだったけれど 緊張した。独特の演奏をする方でずっと客席を見ながら(体ごと客席に向いていて…ほとんど鍵盤を見ていない…反応を見ていたのだろうか?そういうスタイル)ときには歌を歌いながら(ハミングのような)あるいはピアノの中のピアノ線を弾いたり…なにか演奏を考えていくような感じ。
それで 本邦初の服部百音さん演奏の『クレオパトラ』『イダ山』は聴けずじまい。
しばらくしたら 大阪のシンフォニーホールでファジル・サイ作曲 関西フィルハーモニー管弦楽団 原田慶太楼指揮 服部百音ヴァイオリンでコンチェルトの『ハーレムの千一夜』が演奏されていたようだった。大阪は遠いな~と 諦めていたら 
なんと東京フィルハーモニー交響楽団で 渋谷のオーチャードホール 出口大地さん指揮の もちろん服部百音さんの演奏『ハーレムの千一夜』が聴けるようだという発表がありすぐチケットを取った。そういうことで行くところまでに至った。

10月20日は 三回あるこの公演の最終公演(17日サントリーホール、18日東京オペラシティホール)。
ハチャトリアンというアルメニア人の音楽家の作品(出口さんがハチャトリアン国際音楽コンクールの指揮部門で優勝したというご縁か?)
ファジル・サイというトルコ人の音楽家の作品
コダーイというハンガリー人の音楽家の作品
という メジャーなドイツ音楽圏ともフランス・イタリア等ヨーロッパ音楽圏とも違う音楽を扱っていて(ヨーロッパの東方) 
オーケストラの人たちも あまり演奏したことのない音楽でリハから新鮮だったようだ。(Xからの情報)

ハチャトリアン 『ヴァレンシアの寡婦』組曲より

管楽器の活躍を感じた。 クラリネット フルート の吹き回し と弦楽器全体との爆発力と消えていく滑らかさ ドカーンと行きそうだけれど 
東フィルの音は違うな。流麗さも感じる。 

ファジル・サイ ヴァイオリン協奏曲『ハーレムの千一夜』
服部百音さんの演奏は メロデイーを響かせる普通の演奏なのではなく弦をはじいたり叩いたり 鳥の声を再現したり そこの環境を創っているようで  まさに ファジル・サイさんのあの音楽。そしてトルコの雰囲気そのものの クドゥムという打楽器の通底したリズム(ファジルさんがクドゥムを送ってきてくれたらしい)そして気がついた時には「演劇を観ていたのかな?」と思わされていた。

コダーイ ガランタ舞曲 

コダーイ ハンガリー民謡『孔雀は飛んだ』による変奏曲

コダーイ という人は ハンガリーの民謡をあつめていたそうで  懐かしいよなぬき音階で 日本でもよく聞こえてくる音階で不思議だった。私は特に『孔雀は飛んだ』による変奏曲 が胸に迫るものを感じた。

このブログを書くにあたって調べて知った事
民謡『孔雀が飛んだ』の歌詞 (wikiから)

飛べよ くじゃく 牢獄の上に 哀れな囚人たちの上に 
哀れな囚人たちを解放するために
くじゃくは飛んだ 牢獄の上に
だが
囚人たちは解放されなかった
くじゃくは飛んだ 牢獄の上に
哀れな囚人たちを解放するために

 
19日の X(ツイッター)で指揮者の出口大地さんがつぶやいていました。

  今回のプログラムはただ民俗的な作品の見本市ではありません。
  人類への警笛をこめたサイ
  あえて懐古的作風により過去の栄光を現したガランタ
  そして民謡=人類が戦争に蹂躙されても、
  希望の謡の元再びたくましく立ち上がる人類賛歌、孔雀。

…等々


私は 「ん?なんのこっちゃ?」と思ってたが メッセージがあったんだ。

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