クラギ弾き語りマラソン(19曲目)

前回の岡崎体育の振り返りを書くなかで気づいた、弾き語りマラソンのテーマがひとつある。昭和歌謡と現代のJPOPの接続だ。

どの時代に出た楽曲であるかを意識したうえで各年代を順番に歌っていくという本企画に取り組んでいくことによって、歌詞やメロディの年代ごとの特徴や法則性、はたまたどの年代にも共通する普遍的なことがらについて実際に歌を歌いながら気付くことができるかもしれない。

あるいは演奏面でもおもしろいトライができるかもしれない。最近のトレンドの発音やテクニックを用いて昔の歌を歌ってみたり、昭和歌謡らしい歌い方で最近のヒット曲を歌いなおしてみたり。同じ日本のなかの異なる時代感覚を歌のなかに導入することで、何か日本の歌についての発見をしたり、遊びとして楽しんだり、そういった効果が期待できそうな気がする。

考えてみれば他のカバー動画の節々にもその魂胆は見て取れる。中島みゆきの時代の冒頭を平井堅っぽい語尾処理で歌ったり、小林明子を中島美嘉っぽいニュアンスで歌ったり・・・いずれもねらってやった歌唱ではないのだが、ゆとり世代だけあって平成らしい歌い回しというのが無意識レベルで染みついているらしい。

もちろんそれが悪いというのではなく、演者ならではの特徴が演奏に反映され楽曲が元とは異なる姿をみせてくれるのはカバーという行為の醍醐味であるし、昨今のトレンドとは異なる歌い方を、連綿とした歌謡曲の流れをふまえたうえで見つけ出し確立したいという私の理想を実現するためのプロセスとしてうってつけでもあると思う。歌謡曲の歴史のなかに自分を落とし込むということだ。

前置きが長くなってしまったが以上が「昭和歌謡と現代のJPOPの接続」というお題目についての私の雑感である。なかなか壮大な野望なのでこの弾き語りマラソンも100曲くらいはこなさないと望んだ成果は返ってこないような気がするが、ゴール設定は適宜フレキシブルに臨機応変に柔軟にテキトーに対応していければと思う。

King Gnu常田大希が「ボーカル井口理は何を歌ってもJPOPになる」という発言をしていたが、何を歌ってもJPOPになるとはどういうことか?という問いも私の関心事でありマラソン企画にかかわってくる・・・岡崎体育のおかkげで前置きが本当に長くなってしまったので振り返りに入ります。

#19 中島美嘉「雪の華」(2021年10月26日撮影)

ちょっと寒くなったくらいでこの曲を選んでしまう安直さには我ながら感心してしまうよ。サビの歌詞で「今年」のあとに読点が入るというのは今回歌詞をみて初めて知りました。

ただ今回の選曲意図は季節感だけではなく、最近の振り返りでも何度か書いたように私のささやきタイプの歌唱が中島美嘉っぽいくもった響きをもっているなと思ったので、ではいっそ本家の歌に挑戦してみようではないかと決意したためである。といってもモノマネを目指したわけではなく、したがって本人の歌を何度も聴き返すことはしていない。なんとなく耳に残っている彼女の歌唱の雰囲気だけはなぞりつつ、自分流に自然に歌ったらどんな結果になるか?という実験である。

モノマネせずともかなり似るなら一人の先達的表現者として彼女の楽曲を大いに参考にしていくべきだし、本家とは違った歌になるならその違いに注目して自分らしい表現とはなにかを掘り下げていく手がかりになる。そんな考えのもと「俺の歌ってなんかちょっとあの人に似てる・・・??(まんざらでもない)」というアーティストの歌にトライしてみたのが今回の選曲だ。なんだか今日はタイピング入力に戻したせいか冗長で回りくどい文章になっているな。

で、演奏全体の振り返りとしては、ひとつのカバー演奏として成立させることはできたと思う。歌とギターを個別にみても、元の曲のエッセンスを残しつつ自分らしさを自然に出せたと思う。ギターは本当はコードがもっと複雑なのだがクラシックギターの音色があればもっとシンプルなコードでも十分しっとり聴かせることができるのではないか?と思って思い切って単純化した。結果、都会的な洗練されたイメージこそ失われたものの堅実な骨格をもったいぶし銀な自分好みのアレンジになってくれたのでそれでよかったと思う。

さて歌である。私の歌が中島美嘉っぽくなるときの歌い方というのを再分析してみると、次のような発声方法になることが分かった。すなわち、喉を少し開いて低音成分を確保しつつ、口腔へはボイスポジションよりも少し前に流して声を若干硬い響きにし、さらに鼻へも呼気を流してしっとりさせる。口の開き方は上あごを持ち上げるがあまり開かせず、小さな逆三角形を意識する。そんな具合の発声である。そこを確認したうえで歌ってみた結果、低音部分は本家っぽい憂いをおびたスモーキーな声になったかな、と思う。ちょっと響きが明るすぎた気もするが、まあそこは自分らしい歌唱と解釈していいかなと思う。

本家と大きく変わってしまった点が2つある。まず、明瞭すぎる発音である。メロディの音高が上がるにつれて呼気量が減ってしまい、響きも上にいってしまった。その結果くっきりした声になったのが本家とのちがいである。自然にやってこうなったということは、つまるところ私は中島美嘉的なダークな表現のエッセンスを自分のなかに有していないと考えてよさそうだ。まあ根がポジティブな人間なのでそうなるよなぁと自分で納得している。ダーク路線を無理に目指す必要はなさそうだなと再認識することができた。

そして次が本題なのだが、ピッチの取り方である。これは撮影後に気づいたのだが目から鱗だった。その気づきをくれた本の記述をちょっとここで紹介したい。

画像1

画像2

菊池成孔『CDは株券ではない』・・・ジャズミュージシャン兼評論家によるヒットチャート分析本である。私がこの本を初めて読んだ2017年、学部卒業間近のころは批評というものに慣れ親しんでおらず、すごく衝撃をうけたので何度も読み返したことを覚えている。そんな本の記述なのに内容はすっかり忘れていたのだ(あえて忘れたまま歌ったのだが)。

フラット気味のピッチと聞いてまず思いつくのは平成ならaiko。そして昭和なら、本当にフラットしているか定かでないが「低音成分」という線でいくと、山口百恵である。それらの歌手と中島美嘉のあれこれについて追々考えるとして、私の歌の振り返りに戻ると、なるほどたしかにサビのピッチがジャストか上ずってしまっているかのどちらかなので、中島美嘉のくもったかんじを再現できなかったのだと腑に落ちた。めちゃくちゃ腑に落ちた。と同時に、aikoも百恵ちゃんも中島美嘉も大好きな私は低音的な歌唱(と雑に書いておく)が好きなのだという私の嗜好性に気づくこともできた。最近の歌手だとどうだろう?今後リスニングしていくうえでの視座のひとつにしたい。

追記:ピッチの件は元の本を完全に誤読したので次の振り返りの中で内容訂正します。おっちょこちょいやネェ・・・

そんなわけで今回のカバーの振り返りとしては、表面的な部分の音色はなんとなく似てるけどより深い部分の歌い方の力学は本家とは違っていそうだ。という落としどころだろう。いま自分の演奏を聞き返しながら書いているのだが「そろそろこの街に」の2個目の「そ」はしゃくったほうがよかったと思う。音程の跳躍ですべてしゃくるくらいが、中島美嘉ならではの切実な歌唱には要りそうな気がした。言ってしまえば私の歌は「子供っぽい」のかもと今初めて気づいた。ショック・・・

いやしかし何度聞いても「雪の華」はいい歌だ。中島美嘉はドラマ主題歌で知ることが多かった気がするが「見えない星」(ハケンの品格)や「LIFE」(おめーの席ねーから!!!の元ネタとなるドラマ。北乃きいの出世作だったかな?)など大体どれも私はヘビロテしていたのを思い出した。そんな歌手なのに他の歌はそんなに知らないのでこの機会に掘ってみるのもいいかもしれない。もう1つ思い出話をすると、初めてCDではなくダウンロードで買った曲は中島美嘉の「一色(ひといろ)」だった。NANAは原作・映画ともに未試聴なのだが曲のチョイスとしては我ながらいいセンスだったと思う(自分の好みに照らして自分が選んでるんだから今の自分がそう思うのは当然っちゃ当然だが)

最後に、嘘みたいな本当の話。雪の華には夏感満載のレゲエバージョンが存在する。通常版とはうって変わって、常夏の島のクリスマスといった趣があります。もしこれが中島美嘉本人の発案だったら相当燃える。いや萌える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?