見出し画像

#001「drive to MY WORLD」

 B'zの曲には、現実から抜け出すことや、煩わしい決め事を忘れることを歌うものが多く、この曲もそういう路線だ。道路地図なんかは見ないで、うちへとつづく角を反対に曲がったらいいよ。止まらないで、どうぞこのまま。ちっちゃくまとまる世界にバイバイ。そんな言葉に導かれて、いま私も知らない住宅街をさまよっている。

 高校生のときに初めて聴いて以来、ふとしたときに脳内再生されるのは何故だろう。今日はいつもの散歩ルートを歩いているときに頭の中で流れはじめ、せっかくだからとまだ入ったことのない一つ深い路地へと私は進んでいった。セブンイレブンも神社もないことが歌詞の風景と異なるが、たぶん気持ちはシンクロしているからよしとしよう。

 この曲がリリースされた1995年の稲葉さんは31歳。B'zが押しも押されぬ国民的アーティストの地位を確立した、華々しい年代に書かれたこの歌詞には、なにかを失うことを敏感に恐れる男が描かれている(そして20年以上経った今でも作詞のベクトルが変わっていないことを現代の私たちはよく知っている)。スターダムにのし上がった男のものとは思えない小市民的な詞は、往年のファンにとって間違いなく、愛し抜けるポイントだろう。

 「胸が躍るような感じを忘れてない」という気づきをわざわざ歌にする理由は、自分の心と体がまだ枯れていないということを再確認できたという、そのことが語り手にとって重要だったからだろう。でなければわざわざ歌にしたりはしない。かろうじて残っていた童心がもたらすささやかな感情の起伏に安心してしまうその気持ちが、大人になったいまなら分かる。

 自分の世界で車を走らせる今だけは、「キミにもちょっかいださせない」でいられるという。その言葉の裏を読みとけば、語り手はなにやら他人に邪魔をくらっていて、満たされない日々を送っているらしいことに気がつく。それは、「白いフェラーリに思いっきりオカマ掘られた」というような一時的な出来事というより、もっと慢性的な人間関係のようなものについての悩みではないかと思われる。

 そんな日常のなかで他人のちょっかいから守りたくなる「キミ」の正体が知りたい。稲葉さんの歌詞に登場する女性像は3つのタイプに分けられると誰か言ってたなぁ。Girlは励ましたい女の子。Ladyは憧れの女性。Womanは一生勝てない魔性のオンナ。さて、MY WORLDにつれてきた「キミ」は一体どれだろう?

 前振りしておいてナンだが、3つとも不正解だと思う。ここで「キミ」と呼んでいるのは、他者との関わりの中で生きている、押し込められた偽りの自分ではないか。そして、ハンドルを握る男に「止まらないで」とねだる心の声の主こそが、真の自分。本当は傷つきやすい「キミ」を、「あいつはダメだ」なんて勝手に決めてくる他人から遠ざけたい。そう願って自分の体に語りかけながら、知らない世界へと車を走らす。

 なじみの誰かと車を走らせる歌にしてはあまりにも内省的な精神世界だから、生身の誰かが助手席に座っているとはどうしても思えない。まどろっこしい解釈がしっくりくるのが稲葉さんの書く詞だ。その不器用なことばこそが、私をここから連れ出してくれる。

 弱い男の束の間の逃避行の歌。頭の中でこの曲が流れるのは、孤独を感じるときだったのかもしれない。背中にさす夕日を浴びながら、知らない道をひとり歩いて私が感じたのは、かすかな寂しさとおそれ、そして懐かしさ。そんな感受性ぜんぶひっくるめた「ボク」がいる。夕焼けのなか、次の角を曲がって私はいつもの道へと戻っていった。街はそしらぬ顔をしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?