クラギ弾き語りマラソン(18曲目)

寒くて布団から出られないので、布団の中からスマホで振り返りを入力してみようかと思う。PC入力ほどスピードは出せないが、入力速度とともに思考の速度もグッと落とすことができるので、トルクの強い、ギュッと絞られた短文になりそうな気がする。物は試しでとりあえずやってみる。雨が強い日は大体風も強くなるそんな横須賀の気候です。

#18 岡崎体育「もうなにをやってもあかんわ」

とにかく明るい脱構築者(適当)、岡崎体育に手を出してしまった。アルバムはSAITAMAしか聴いたことがなかったがそれだけでも溢れる才能を感じるには十分だった。企画力と音に対するセンス、そしてキャラこそが彼の魅力である。遊びのないエモい歌詞を書いても上手いのがニクイですよね。

さてそんな岡崎体育が1年ぶりくらいにファーストテイクに出演してくれた。

サムネからしてウザいのだが、これほどウザいという言葉がピッタリで褒め言葉になる人もそういないだろう。コメント欄をみると泣きながら見たという人も多いので現代社会の熾烈さと岡崎体育もちまえの明るさ・エネルギーが発揮するメディエーション機能を知ることもできる。かくいう私もふつうに元気もらってます。

今回のカバーでは、カネコアヤノのときに引き続き、岡崎体育の演奏のコンセプトと自分という人間の性質を照らし合わせたうえで、オリジナリティをもたせつつ表現としての落とし所を探す作業を頭の中で行った。平たく言えば「自分流に改造」である。

「真面目がすぎるとギャグになる」というのはよく聞く話だ。なので私は真面目を推し進めることにした。パーカーの紐をリボン結びにして蝶ネクタイのようにし、眼鏡をかけ、終始真顔。クラシックギタリストよろしく最後は難曲のクライマックスかのように拳を天高く突き上げポーズを決める。『家事の基本』という本をピアノの譜面立てに飾るという小ネタも盛り込んだ。コンセプトとしてはこれで十分だろう。

歌については、異質なものをごちゃ混ぜにした。さだまさしよろしく昭和のフォークソングのような語りかけるような素朴な歌い方、しかし中島美嘉のような憂いを帯びたスモーキーな声質、リズムや音程の上下にあわせて抑揚をつけるクラシック音楽的なニュアンス。一気に盛り込みすぎてどこをふざけてるのか一目てはよく分からない、ただの残念な人という感じになったので本人的には満足している。

なぜさだまさしをイメージしたかというと、この岡崎体育の曲の歌詞に「筋書きのない昼夜逆転劇は宝の山か」「それとも肉骨神経蝕む墓場か」というフレーズがあるのだが、「〇〇か、〇〇か」という構文がさだまさしの「案山子(かかし)」という曲に似ていると思ったからだ。

「元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか…」という心に沁みるあのフレーズである。「か」を感情を込めずに発音するのがミソだと思っている。

そんな、時代的にもジャンル的にも遠くにいるさだまさしの歌唱を岡崎体育の歌詞に当てはめるという、言ってしまえば遊びを今回は取り入れたというわけだ。往年のフォークソングのニュアンスが出せたと個人的には思っている。ギター伴奏もシンプルなアルペジオにしたが、ブリッジ部分ではクラシック的な感覚で半音下降フレーズを足したりした。もうごちゃ混ぜである。

と、そんなふうにいくつかの要素をごった煮にして真顔で切り抜けた演奏なので、かなり救いようないかんじが出せたのではないかと思い私は満足している。岡崎体育のように明るく開き直って現実のやるせなさを割り切ることができていない、それがゆえに逆にあぶない感じ…それを演出することができた。腹太鼓は恥ずかしいのでマネしなかったがつまりそういうとこだぞ?

以上が企画・演奏面の振り返りであるが、発案から撮影そしてサムネ作成まで非常にスムーズにうまくいった。今までのカバー動画のなかで最高のできである。どの曲もこのくらいしっかり堅実に楽しみながら、質の高いものを作っていけたらと思う。ネタみたいな曲だから気軽にやれたのがよかったのかもしれない。考えすぎて事が滞ってしまいがちな、繊細な神経をもつゆとり世代のアラサー♂を岡崎体育は楽曲がもつ明るさ、エネルギー、パワーで救ってくれたのだと今回の振り返り記事では結論づけておこう。

教訓:突き抜けたウザさは誰かの力になる。

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