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2024年、下半期突入、夏

すでに7月下旬。2024年は初っ端から散々な出来事があったので下半期にも期待はしていない。

前にも書いたかもしれないけれど、この「期待しないこと」で負の感情がだいぶ減る経験を何度も繰り返して、最近やっと体得できた。
他人への期待が低いと怒りの沸点に達することも少ない、ってよく聞く。
理屈では理解できていても実行することが難しいことの一つだった。

私は自分への期待も、周囲への期待も、基本高い。
これには良い側面もあって、この気持ちのおかげで私ならきっとできる!といろんなことに挑戦し続けられるし、結果の良し悪しはさておき何とか完遂できる。
一方、自分への期待が高いせいで「テキトー」「ちょうどいい塩梅で頑張る」ができず、最初から無理だと決めつけて一切を放ってしまう or 燃え尽きる方向へ突っ走る、ゼロか100かという生き方をしてしまう面もある。

他人への期待もある。
「私はこれだけやっているのだから相手も同じ熱量で返してくれるはず」と勝手に頑張って、勝手に期待して、大体はその通りにいかずに勝手に憤る。

他人に心を乱されず、自分の機嫌を自分で取ること。
こんなに難しいことはない。

アニメ「あたしンち」で、一家の母親が家族の留守中に自分の機嫌を自分で取り、家族が帰ってくる頃にはいつもの調子を取り戻す様子を描いた回があった。
話を聞いてもらったり、ストレス発散に付き合ってもらったり、人に頼るのももちろん良いことだと思う。でも、自分自身でどうにか暗い気持ちを打破する方法も知っておきたいな、とあたしンちの母を見て感じた。

今のところは運動すること、お茶やコーヒーを淹れること、こうして文字にしてみること、シャワーを浴びること、時間を気にせず買い物に出かけること、絵を描いたりモノ作りに没頭すること、かな。

自分や他人に期待して、その高すぎる要求に疲れて、自分を癒そうとあの手この手でリラックスすることに努める。そうするとまた期待を持って頑張る、疲れる。でもなんだかんだで達成したらその過程での苦しみは忘れてしまって、一コマ目に戻る。

卒論を書き終えて大学を卒業した時、卒論の大変さから「もう二度と勉学の道には戻らない」と思った。
今、私は大学院の修論を書いている。
大学院が終わったら少なくとも数週間、できれば数ヶ月はゆっくり過ごして、その後から仕事を再開しようと思っていた。
けれども、修論提出締め切りの翌週からフルタイムの仕事に復帰する予定だ。

頑張りすぎずゆるゆると生きることを心がけたいはずなのに、なぜかそんな気持ちとは逆方向の決断を下し続ける自分。

落ち着け。

と言っても無駄か?

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