Knives Out(2019)感想
Knives Outという映画を見た。
この映画について思ったことを思いつくままに書いておく。
既に映画を見た人用なのでネタバレは省く。内容を知っている前提で読み進めてほしい。
この映画をおすすめしたい人
以下に当てはまることが多いならば楽しめるはず。
・ミステリーものが好き
・クラシックな雰囲気(音楽、豪華な洋館)が好き
・ツイスト、どんでん返しのあるストーリーが好き
・何かしらの社会批判的メッセージが込められているのが好き
・グロいシーンは苦手
「ホームズ」と聞くと胸が高鳴る人、も当てはまるかもしれない。
私は上記のリストにまんま当てはまる人間なので「いい映画を見た」と満足している。
Knives Outの感想① どんでん返し、優劣の逆転
まず第一にスッキリするどんでん返しだった。
嫌味な金持ち白人一家 vs 純粋で素朴な暮らしの移民女性
という対立構造、そして移民の女性を手助けする私立探偵。
金持ち一家は一貫して嫌味な人ばかりで、視聴者は「憎むべき相手」だと即判断できる。
一方ウルグアイ移民の女性は嘘をついてもすぐ他人にばれてしまうし、彼女の行動は一貫して「善」である。
金銭面、社会的な勝者である前者が後者を貶めようとするが、最後は一転、後者が優位に立ち話は終わる。
分かりやすく優劣の逆転が起きた。
まあ、死亡した家主のハーランが使っていた
”MY HOUSE, MY RULES, MY COFFEE!!!”
と書かれたマグカップを移民女性であるマルタが最終的に使っており、
物語の間カップを使用したのはその2人だけだったことを考えると
そもそも金持ち一家は蚊帳の外だったようにも思えるが...。
空回りな闘争心とでも言えるような。
元から君たちは”優”のポジションに立ってもいないよというハーランの声が聞こえたような気がした。
優劣の逆転も何も、ハーランを除く一家の全員は一度も”MY HOUSE”と所有権を主張する立場になかったんだな...と。
Knives Outの感想② 移民問題と差別
そして、何よりも移民問題と差別への訴え。
金持ち一家は全員白人で”標準的、プロパーな”アメリカ英語を話す。
(私がそう思っているわけではなく、一般的な捉え方だ。)
ちなみに日本の学校が教える英語はこの”標準”アメリカ英語であることがほとんどかと思う。少なくとも私の世代では。
それと比べてしまえば、マルタは移民で親は不法入国、英語のアクセントももちろんある。そんな彼女に対し、一家の人間は何度も「移民であること」を繰り返し述べていた。
それに加え、私立探偵のブランクは一家のメンバーから何度か「南部訛り」の英語であることを指摘されていた。
この「南部訛り」の英語は「差別」とよく結び付いている。
私は歴史に詳しくないので詳細に触れることは避けるが、とにかく金持ち一家は南部訛りの英語に対する嫌悪感を度々示す。
これは差別を意味する。
監督であるライアン・ジョンソンはアメリカ内の差別を非常に分かりやすく映画の中に入れ込んだ。
この差別意識むき出しの一家を見て、私は「あなたたちの祖先?もネイティブアメリカンを追い出してなかった...?あなたたちも元を辿ればよそ者だよ...」と感じた。
これも歴史にあいまいなので明確に述べられないが...。
(それと同時に「元」ってなんだ?...どこまでも辿ってしまえば誰しも「よそ者」ではないか?と意識が宇宙にまでいってしまいそうになったので一旦思考を止めた。)
差別に対しての気持ちを述べ始めても自分の無知を自覚し続けるだけなので映画のストーリーに話を戻す。
なんやかんやでたった一人莫大な遺産を相続することになったマルタは、その遺産で「一家を手助けする」と言う。
ここで彼女が遺産を独り占めして、一家に何も施しは与えないと決断することももちろん可能であったはずだ。
しかし、独り占めして新たな優劣の差(マルタ=優、一家=劣)を生むよりは、共存や助けがさらなる差別への歯止めになる、というメッセージが最後に残るほうが意味深いのであろう、というのが私の見解だ。
最後に
重いテーマのある映画は意識を引き締めてくれるのだ。
常日頃から自分も差別的発言をしないよう気を付けているけども、いつ誰が私の言動を「攻撃的だ」と捉えているか分からないなと気を引き締めた。
異文化や多様性等を意識せざるを得ない環境にいる身としては、ストーリー自体を楽しみながらあるテーマについて思いを馳せられる映画は貴重である。
そして、初の映画振り返りは楽しかったので意欲のある時にまたやってみようかと思う。
人より忘れっぽく、残しておきたい気持ちもすぐ忘れてしまう性格なので。