やっぱり、私は斬れない男...
このところ、若手や中堅の先生方の論考を拝読した際に、「どうぞ斬ってください」と言われることが増えました。
「気付いたことがあれば指導して欲しい」ということだとは理解した上ですが、やはり、私は「斬る」ということは(特定の場合を除いて)苦手ですし、できればやりたくないと考えてしまいます。
自分なりの問題意識をもち、虚心に自己を見つめ表現しようとした人に対して、私がその論考を「斬ろう」としたならば、最後は「斬る」だけではなく「切り捨てる」ところまでやってしまうのではないか......という、自分自身への恐怖心があるからです。
年齢に関わらず、学びはどこまでも広く深いことを自覚しているのであれば、自身の現在地を見つめたうえで、次のターゲットを見定めて取り組んでいくでしょう。そういった方々へ、私が何かをアドバイスすることはあっても、「斬る」ことはやはりできないと考える自分がいます。そういった方々の論考は、私にとっては、道徳教育の新たな地平を開くための種になることも多いですし、新たな気付きを得ることもあるからです。
ただし、実践研究を生業としている人間に対しては別です。現場でどんな実績を残したか知りませんが、若手や中堅の活動を上から目線で軽んじるような態度をとる実務家教員がいます。つい先日も現場の教員発のZOOM研修に対して、辟易したような態度でSNSにコメントをする者たちを見かけました。私は、彼らの態度は現場の教員に対してはもちろん、実践研究に対する敬意すらも欠いたものと考えます。ですから、こういった人間たちには、自身の思い上がりを後悔するまで徹底して斬り、そして切り捨てます。
若手や中堅の先生方が安心して発信できるための基盤をつくることが、今の私に求められる役割だろうと考えます。彼らが萎縮することなく実践できる環境を整え、道徳科を未来へ繋げたいのです。