45歳の誕生日
東京出張の翌日、休暇をとってそのまま東京で誕生日を迎えることにした。
出張を終えて帰れば、家族と誕生日を過ごせたろうに、忘れ去られていることは簡単に想像でき、そんなに虚しい誕生日はイヤ。
どーせ祝ってもらえないならひとりがいい。
ホテルをチェックアウトしカフェで仕事を少々片付ける。
しろたえのレアチーズケーキ、レモンチーズパイ。ん?こんな味だっけな?
奇しくも元夫からの最後のプレゼントになってしまった日本橋長門のくず餅(わらび餅)を買いに。
大好物。
当時私たち夫婦は彼の過ちを乗り越えようと必死だった。私を想って買って来てくれた彼。
以来、私はわらび餅を口にしなくなった。
そして、いつかわらび餅を食べる日が来たら、このお店のものしか口にしたくなかった。
前の暮らしがあった場所へ足が向いた。
頭の中では「なんで?なんで行くの?」と。
体が赴くままに。
駅から自宅までの道。2年近く経ち新しいアパートやら、取り壊しやら、少しだけ景色が変わっていた。
メゾネットタイプの一軒家というのか、壁はキレイに塗り替えられ、駐車スペースには他県ナンバーの車。他の人の暮らしがそこにあった。
少しだけ佇み、なぜだか「いってきます」と。
この家を取り戻したい気持ちにさえなった。角を曲がるとき、もう一度振り返ると、元夫が、手を振って見送る過去の景色が見えた。
あんなことさえなければ優しい人だった。
添い遂げていたんだろうな。
もうこの暮らしはない。
元夫と私は誕生日が1日違い。忘れたくても、自分の誕生日にくっついて離れない。彼の幸せを祈る。
友人に会う。
お互い近況報告。彼女は新しい彼ができ、転職も決まったそう。
私の旦那の一連を「マジキモい」と一蹴。清々しいよ。その言葉を聞いて、パーンと自分が戻る。
「確かに!キモいわ」
あ、私ってもっと勢いというか元気な人間だったよ。新しい彼氏作っちゃおうか。
友人と別れ、数日前に無くした手袋を買いに。
季節外れで見当たらない。来年に持ち越すか。
しかし、都内はストレスがない。歩く速度も電車の乗り方も。颯爽としている。
今宵の宿へ。1日が終わる。
旦那からのお祝いのLINEはない。
おめでとうくらいは、当日に言ってもらいたかった。涙。1番言って欲しい人からは生活すべてに言葉がない。
出張に出る前に、お菓子を買って来てくれた。
ケーキを買おうと思って会社を早く出たけど、お店が閉まっていて、代わりのお菓子だそうだ。
そのお菓子もラス1だったらしい。
誕生日当日、家にいないから…と。
優しいのか、なんなのか…ストーリーもホントなのかウソなのか、言い訳を並べられて…喜ぶにも喜べず。
これまで自分の近くにいた人は「別の日でちゃんとお祝いしよう!」タイプ。当日が難しければ、他できちんとお祝いする。私もそうしてきて、全く違和感なく生きてこれた。
受け入れることが少し難しかった。
帰りたいような、帰りたくないような
今日が人生最後でも、それはそれでいいかも
昨日、会社の採用面接で、
「〇〇さんが思うこの会社の魅力はなんですか?」
と逆質問をされた。
「正解とか不正解とか、方向性があるとかないとか、決まったやり方があるとかないとか、そういう次元ではないところで模索し続けて自分たちで作っていける、何かを変えていく、変わっていくプロセスはイヤなことばっかり。それをいかにおもしろがれるか、おもしろがれる環境があることを私は魅力に感じている」
と、口を突いてでてきた言葉たち。
どんなにネガティブな状況でも、それをおもしろがれるかどうか、自分のポリシーなのかもしれない。
おもしろがれないなら、その場は自分にとって不要なのかもしれない。
45歳の初日の記録。
どんな1年になるかな。