母が嫌い 後半

自分が小さい頃なんて狭い世界しか知らないし、自分の事だけでよかったから不遇だとかあまり他と比べる考えは少なかった。

結婚して(結婚までの道のりもさまざまあったけど)夫や子どもという、私が守りたい存在ができると、母の(本人は当たり前だと思っている言動)で傷つけられるのに我慢できなくなってきました。

夫も子どもも私に話すことも無く、自分たちの中に納めようとしている。
その時私は自分でも気づかない普通じゃ無い状態だと、家族の方が気づいていたのかも知れない。

話そうとすると涙が先に出る。
言葉がするする出てこない。

母から夫や子どもを守ろうと必死で空回りして自分を追い込んでいたのでしょう。

子どもが大学を卒業すると家を出て一人暮らしを始めた。
寂しかったけれど安心もした。
その時、おばあちゃんから手紙をもらったけど、さまざま書いてあって死にたいとも書いてた。
と子どもが話した。
気にしないで、お母さんは好きにすればいいんだよ。
そう言ってくれた。

死にたい…。
笑ってしまった。
私は一度も死にたいと思わなかった。
この世から消えてしまいたいといつも思ってたけど、母のように誰かに当てつけるように死にたいだなんて、死をも愚弄するなんて…何とか生きている人もいるのに…。

父は54歳で亡くなってしまったので、母は夫の退職金と母名義の保険金何本か遺族給付金も有り、好きなように暮らしていた。
踊り、陶芸、木彫り、七宝焼き、毎日昼も夜も出かける。
早くに夫を亡くした寂しさからだろうと周りはなにも言わなかったし、言ったら文句のなん倍返し🤣
死ぬまでそれを続けた。
お金の使いっぷりの良さに集まる人はいても、親身になってアドバイスをしてくれる人は無かっただろうね…。

私たちは黙って自分たちの身の丈に合った生活をしていれば良い。
お金で揉めるのが一番嫌いだったから、同じ食卓に母が自分用の高級な惣菜が並んでてもだれも何も言わない。
母専用の冷蔵庫、母が勝手に据え付けた洗濯機、炊飯器等等。
自分の思うようにお金を使ってたんでしょ。
そうそう
母の後の口癖
お金は棺桶に入れてあの世に持ってけないから。

付け加えて言うなら、生活費は一切入れず電気代光熱費は私たちが当然支払っていました。

もともと病弱だと思っていた母でしたが、自分がやりたく無かったら具合が悪くなるのがほんとのところでしょう。
それでも80歳にもなると、膝や腰が痛み病院通いが日課に加わります。
病院に行って誰よりも元気に薬の数種類をもらって来るのが、病気の症状が良くなるより嬉しそうなのは理解できなかった。

私の作った食事より買ってきた物を食べる。
洗濯機を買っても結局自分で洗濯するのが嫌になる。
同じ家にいながらまるで他人がいるような生活に自分からしておいて、とうとう温泉付き老人ホームに入ると言い出す。
手続きや施設との交渉などは私たちに丸投げ。

その頃からコロナが流行りだし、面会もほとんどできなくなりました。
施設に入居しても出される食事に満足せずに、私たちの留守を狙って自分の冷蔵庫を運ばせて好きな物を買って食べていたようです。

そしてある日体調を崩して病院に搬送されたと連絡をうけました。
私はもう母の顔を見ることに拒絶反応するようになっていて、夫が何かと手続きやら病院との面談をしてくれました。

その日から3か月くらいして、母の危篤を知らされ面会も出来ずに霊安室で対面しました。

一緒に付き添ってくれた下の子が、祖母の亡き骸を見るなり突然泣き出しました。
私はこの子がこんなふうに大泣きするのを見たことがありません。

それは悲しい涙じゃ無かったのです。

お母さんにも私にも誰にも謝らずに死んでしまった。
謝ってよーーー。

そういう思いだったのね…。

棺桶に納まった母に
もうこれで終わりにしよう。

そう言って私は母から離れました。

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