受験に対する心情
こんにちは、理系大学生やましんです。
私は現在仮面浪人をしています。
人生の分岐点になるこの瞬間を文字に残したいと考えnoteを始めました。
つたない文章ですがお付き合いください。
アルバイト詳細
私は集団塾でアルバイトをしている。受験費用を自分で賄っており、さらに3月ごろには旅行に行く予定もあるのでしっかり働かなくてはならない。
今私の働いている塾は授業時間だけ来ればよく、拘束時間は2時間程度です。集団塾ということもあり、とても時給がいいので助かっている。現在週3日で働いていますが、ちょっと多いとかんじる。落ちた時のためにお金は稼いでおきたいが受験が近づいてきたらどうするかが悩みだ、、、
塾バイトをして思うこと
塾バイトをしていると当然受験の話をしなくてはならない。
「勉強習慣をつけよう」だったり「自分の中で一番身につく勉強法を探そう」だったりといったことを言う。
そんな受験の話をする時、私は彼らに対して軽い不安が出る。
私の大学受験は予想外の残念な結果になった。それでもこの大学受験を通して自分が「どのように生活をすれば有意義な一日になるのか」、「どこで勉強すれば一番身につくのか」というような今、そしてこれからの人生で役に立つ財産を手に入れた。
しかしこれは自分が思春期を終わらせ、成長した末に言えることなのだと思う。もし望んでいた(予想していた)結果にならなかったとき彼らは受験経験を通して何を思ってしまうのだろうか。
受験経験で結果が得られなかったときでも何か得られたと、勉強内容のコメントはせず、勉強取り組み方を話しているが意味はあるだろうか
大学受験について
これはなんとなく受験している高校生や浪人生でもあてはまるのだろう。「指定校推薦や付属はずるい」と言われることはよくあることがそのしょうめいでろう。
これは受験をただの苦行でしかないと思っている人の発言だ。受験が上手くいっている人でもこういうことを思うのなら、塾やほかの大人から言われたことをこなし続けた先に結果が出なかった人は大学受験経験についてどう思うだろう。
最後に
私は受験勉強を高校2年生から本格的に始めたが、仮にその時、未来に起こる受験に関する出来事を教えられたとしても受験勉強は同じ量だけやったであろう。
現役時代の大学受験にはとても大きな価値が自分の中で見つかった。
だから今、仮面浪人時代の大学受験にも結果に関係のない、小さくてもいい、でも、何かやってよかったと思える何かを手にいれたい。
感情をもっと書きたかったけれど書くのが難しい、これでは未来にこれを読み直しても何も思えない、、、
ゆっくり的確に成長していきたいものだ