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浅草の料亭の家に育ち、お神楽の奏者からアラブ打楽器のミュージシャンに。 和田啓さんをインタビュー!

今回は、浅草3丁目に生まれ育ったミュージシャン&演出家、和田啓さんをインタビューさせていただきました!和田さんはかつての浅草の花街の賑わいや、東京オリンピック後の閑散とした浅草を知るお一人。なんと、学生時代は浅草寺の北側にあるご自宅から東武浅草駅まで、自転車でスイスイ走れたそうですよ!いつ行っても人・人・人の今の浅草からは、想像もできませんね。

古き良き浅草を感じるご自宅でまったりと取材

下町の癒される雰囲気に、思わずほっこり

東武浅草駅から浅草寺の北側に向かって10分ほど歩くと、昭和にタイムスリップしたようななつかしい雰囲気の街並みがあります。「和田さんのお宅は?」と思って探すと、あったあった、ありました!街並みにすっかり溶け込んだ、昭和感溢れる素敵なご自宅が。

玄関のチャイムを鳴らすと、「ガラガラ」と引き戸を開けて、和田さんが迎えてくださいました。この引き戸の感覚、妙に癒されます!

お話をしていると、そこかしこに浅草を感じます。

ご自宅の中も、畳の上にちゃぶ台があり、とっても懐かしい感じです。洋風のリビングが当たり前になってしまった時代に、あらためて「昭和の頃は良かったな~」と思い出す瞬間でした。健康にいいというお茶をいただきながら、まったりとした取材が始まりました。

アラブ音楽に魅かれ、バリ島でガムランを学ぶ

和田さんはこの地で、昭和36年(1961年)に料亭の長男として生まれたそうです。子どもの頃から地元で神楽の演奏をしていて、それからずっと音楽ひと筋の道を歩まれているとか。ジュニアオーケストラにも参加されていたそうで、まさに音楽を天命に持って生まれてきた方なんですね。

「神楽なら和楽器かな?それともオーケストラなら管楽器?」と思いきや、なんと大人になってからは、アラブ音楽を中心に演奏されているそうです。バリ島に渡ってガムランの民族音楽を学び、クンダンという両面太鼓に魅かれたとのこと。奥様も歌手として、ご一緒に音楽活動をされているそうです。

カイロ・オペラハウスでの演奏。右端で打楽器を持っているのが和田さん。

演奏だけでなく、自ら作・演出・作曲を手がける舞台もやられていて、驚いたことに2月22日㈯と23日㈰は、我が家の近くで市民演劇を開催されるそうなんです。毎年やっていたなんて、近くに住んでいながらぜんぜん知りませんでした~!「これは行かなくちゃ」という感じです。生演奏を交えての音楽劇、きっとすごくいいのではと期待しています。

2月22日・23日に開催される市民演劇「不思議の国のアリス」

和田さんが子どもの頃、浅草の街は閑散としていた

話を浅草に戻して、今では信じられないような話ですが、和田さんが学生時代の頃の浅草は閑散としていたそうです。浅草寺の北側にあるご自宅から東武浅草駅まで、自転車でスイスイ走れたというくらいですから、インバウンド客でごった返す今とは大違いですね!

浅草が一時期閑散とした理由はいろいろあるようですが、1960年代にテレビが普及して、大衆娯楽の花形だった映画や演劇・寄席に集まるお客さんが急激に減ってしまったのも、大きな理由のひとつのようです。

浅草育ちの私の父が、呑むと毎晩のように語っていた「松竹演芸場」や「SKD(松竹歌劇団)」も、浅草の衰退とともに消えていってしまいました。エノケン、キートン、デン助、古川ロッパ、林家三平。かつての浅草には、有名な喜劇人がいっぱいいたんですね~。

天国の父が今の浅草寺の人混みを見たら、「あのときの活気が戻って良かった!」と大喜びするかもしれません。

花柳界がまだ元気だった、昭和の頃の浅草

和田さんのご自宅の近く、浅草寺の北側には、かつて伝統と格式ある花柳界が広がっていました。和田さんのお家でやられていた料亭も、きっと花街の人々にとってなくてはならない存在だったことでしょう。

浅草の花街の発祥は400年前の江戸時代に遡ると言いますから、長い長い時代を浅草の人は、花街と一緒に過ごしてきたんですね。私の父親がよく「粋じゃなくっちゃ」と言っていましたが、粋という言葉は、花街では当たり前のように飛び交っていたのでしょうか。一度でいいから、その頃にタイムスリップしてみたいです。

「今、活気のある料亭は1件しかない」と和田さん。子どもの頃は、周辺に10数軒ほどの料亭が賑わっていたそうです。「お正月になると20人ぐらいの芸者衆が来て、提灯を持ってくみ踊りを踊っていましたよ」。

料亭の近くには仕出しをする魚屋さんや酒屋さんがあって、料亭の帰りに芸者さんと一緒に入る寿司屋もたくさんあり、お土産を持たせるための和菓子屋さんもあったそうです。

今はマンションが建ち並び、住宅街という雰囲気の千束通り周辺ですが、「ここに花街があったんだなぁ」と思うと、何だか夢のようです。

ビートたけしもすぐ近くに住んでいた

和田さんのお宅のすぐ近くに、かつて松倉荘というアパートがあったそうなのですが、なんとそこに下積み時代のビートたけしが住んでいたそうです!

何でも、かなり汚いアパートだったとのこと。ビートたけしといえば、下積み時代に浅草のストリップ劇場「浅草フランス座」のエレベーターボーイとして働いていたのは有名ですが、その頃に松倉荘にいたのでしょうか。

漫才師や芸者さんが当たり前のように近くにいる浅草って、本当に面白過ぎます!和田さん、貴重なお話をたくさん聞かせていただき、本当にありがとうございました!

今はたくさんの観光客で賑わう浅草寺






    



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