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スリーアウトチェンジ以前、以後

日本のロックはスリーアウトチェンジ以前、以後に分けられる。

少々おおげさな書き出しになってしまったが、本当にそう思うのでありのままに書いてみたい。

1998年に発表されたスーパーカーの1stアルバム「スリーアウトチェンジ」。今や数々のバンドに影響を与え神格化されている。何故、冒頭の「スリーアウトチェンジ以前、以後」という話になったかというと、このアルバムが日本初のオルタナティブロックアルバムではないかと思ったからだ。スリーアウトチェンジ以前にスリーアウトチェンジのような作品はなかった。

もちろん海外ではすでに、ソニックユースはいるしダイナソーJRもいた。残念ながら昔から日本では
数年遅れで洋楽が入ってくる傾向があって、このアルバムもグランジやシューゲイザーからは5年くらい遅れた印象がある。すでにカートコバーンは死んでいたし、オアシスは売れきっていた。

だからこそようやく日本でもこのようなディストーションギターの音色、オルタナっぽいザラついた音質のバンドが出たことに歓喜したのだった。

このアルバムには邦楽にしては珍しくライナーノーツが入っている。当時ロッキンオンのライター田中宗一郎と山崎洋一郎の二人なのだが、そこからして何か洋楽のアルバムのようでもあった。
ライナーノーツから引用すると

数多くのバンド達は、無意識にせよ意識的にせよ、ロックとの距離をそれぞれ巧妙に計った上で音を出している。
「憧れ」とか「引用」とか「破壊」とか「改造」とか「歌謡曲化」とか「信仰」とか、それぞれの距離のとり方自体がそのバンドのアイデンティティーになっていて、また、少なからずそうせざる得ないのが今のロックバンドの宿命とすら言える。しかし、スーパーカーはそうした宿命の重さからスッパリ切れた所に現れたのだ。

山崎洋一郎氏のライナーなのだが、確かに言われてみるとこれまでのロックにあったストーンズぽいなあとか、ツェッペリンみたいだとかディープパープルのリフだとかそういうのが一切ない。
あるのはただ歪んだギターとどこか爽やかな音像だけだった。
ここが当時スーパーカーに新しさを感じた要素だったと思う。

この辺りから日本のロックは邦ロックと呼ばれ、アジカンやベースボールベアーなど数多のバンドに影響を与えたと思っている。

改めて言いたい。

スリーアウトチェンジが日本初のオルタナロックアルバムであったということを。

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