三角世界 第二話
1人と1匹と皇女と
「そういえば姉ちゃん、名前は?」
「ノア。ノア・グロッド。」
初めての友達であり、炎牙狼という魔獣でもあるリズの問いに歩きながら短く答える。
素っ気ないのを心の中で詫びる。しかし、今はできるだけ話したくない。
とにかく暑いのだ。口を開くだけで熱気が体内に流れ込んでくる。
私ことノア・グロッドは「迷宮森」の中にいた。
一見普通の森なのだが、この森の木には意識があり、入ってきた人を迷わせて楽しんでいるのだ。1人と1匹はかれこれ3時間ほど歩き続けている。ろくな装備も食料も持っていない。
しかも季節まで急速に、かつ無規則に変化するため、本当に疲れる。
「さっきまで冬だったのにいまは真夏だよ。」
ため息をつくリズに、
「リズ、毛皮暑くくないの?」
と彼のフサフサした毛皮を見て問う。
「僕は熱量の操作ができるから、むしろ涼しいよ。」
「私にもやって欲しいくらい暑いわ。」
「いいよ」
頷いたリズが私に軽く触れた途端、服が冷たくなった。
「ありがとう。どうやったの?」
冒険者になるために私は最近、紋章の種類と効能を学んでいた。
「僕の紋章は神狼属性の『風雲狼紋』。気候や気温などを操れるから、攻撃としては主に自然物を利用する形になるかな。
その神力を使って、ノアの服の熱量を急激に減らして冷やしたんだ。」
と、胸にある民族風な風の紋章を見せながら言った。
「なるほど。」
小さいのに能力を上手く使いこなしている。
なんか羨ましい。
「私にも神力が使えればな…」
そう呟いて近くの木陰に座り込み、リズと交代で仮眠をとった。
2日後。歩き続けたが対して進歩はない。
強いて言うならリズのおかげで私も回復が使えるようになった。
『加護』は仲間にその能力の劣化版を与えることができるらしい。
劣化版とはいえ、リズの回復能力が高いために私も一般レベルの回復魔法を常時使用できるようになった。
「少し休憩にしよう。」
隠し持っていた一切れのパンを取り出すがリズは口を尖らせる。
「すくなっ。ただでさえ2日間も木の実で我慢してたのにそれで今日1日を乗り切れと?」
「仕方ないだろう。私の分もあげるから我慢して。」
「…あ、ありがと。」
顔を真っ赤にして礼を言うリズに僅かながら愛情が芽生えるが、この時の
私はその感情には気が付かなかった。
パンを頬張ると、流石に歩き疲れたのかリズが私の膝の上に乗って丸くなっている。
その光景を微笑ましく思いながら地面に手をつく。
コツッ。何かが手に当たった。
「なんだ?」
見てみると細かい装飾が施されたプラチナの腕輪だった。
「綺麗…」
竜の紋様が彫られた白金の腕輪は精巧で、見たものを惹きつける不思議な光を帯びている。
その光に魅せられた私がその腕輪をはめた途端、雷のような衝撃が身体に走り、腕に鋭い爪で切り裂かれたような形をした深い紺色の痕が5本入っていた。
私が驚いているうちにそれは消え、同時に腕輪から発せられる謎の光も消えた。
なんだったのかと少し不安を覚えるが…忘れよう。
「おい。リズ。起きて出発するよ。」
「わかってるわかってるよ。」
文句を言いながらリズが起きた刹那、辺りが暗くなり、慌てて振り返るがもう遅い。2人は下位炎飛龍にガッチリと掴まれ、上空へ持ち上げられる。
「おいこら、放せ!このトカゲめっ!」
リズが騒ぐ。
リズはパニックになると口が悪くなる傾向があるな…可愛いのに勿体無い。
しかし、どうして今日はこんなにも厄介ごとに巻き込まれるのだろう…
私がぼんやりとそんなことを考えていると、暴れるリズが邪魔だと思ったのか、飛龍はリズを食べようと彼を口の前に持ってきた。
リズが牙の間に呑まれようとした時、
「『回転氷牙』!」
と、どこからか放たれた氷の魔法が見事に飛龍の首を飛ばした。
そこまではいいのだが、自分達を掴んでいた飛龍が死んだことにより、当然ながら私とリズは20メートルほど落下する。
ドサッ。
「痛って…でも助がっ⁈」
私の頭の上にリズが落ちてきた。
「ノア!無事で何よりだよ!」
「全っ然無事じゃないんんですけど?」
頭をさすっているとバタバタと複数の人が駆け寄ってきた。
全員貴族のような豪華な服を着ていて、執事らしき老人はビシッと決めたスーツ姿、護衛らしき青年は軽装だが高価な装備を身につけている。
「そこの貴方、大丈夫ですか?」
外見からして1番位が高いであろう少女が声をかけてきた。
12歳くらいだろうか。そう考えながら
「大丈夫です。助けていただきありがとうございました。」
と少女の顔を正面から見た途端に言葉を失った。
肩より少し下まであるサラサラの薄緑色の髪、太陽のような暖かみを帯びた橙の目、そして左頬から首にかけて広がる薔薇のような形の紋章。
人嫌いなノアでも知っている。
その少女は、樹木妖精であり、精霊王朝コールシアの第一皇女ラテネ・コールシア。
この世界の4大王国が一国、精霊王朝コールシアの第一皇女がこんなところで何をしているのだろうか。
ましてやここはコールシアと冷め切った関係を持つグランド王国の領地である。
気になって
「あの…ラテネ皇女様…でよろしいのでしょうか?」
と怖ず怖ず問うと、少女は驚いたように
「なんでわかっ…」
と叫びかけるが横から執事らしき老人が
「お嬢様!素の口調に戻っています。そして正体は隠してとお父上が仰られたでしょう!」
と小声で注意していたのでお忍びで外出中だったのだろう。
いや、変装くらいしたらどうでしょうか。
そんなことを考えていると顔を赤らめた皇女がをよそに執事らしき老人がゴホンと咳払いし、
「…私達はただの冒険者です。とあるものを探していたのですがこの森に迷い込んでしまい、この有様というわけです。」
いやいや。その格好で冒険者はおかしいって。
みえみえの嘘をついた老人は何気なく私の手元を見、その視線が例の腕輪に釘づけになる。
「失礼ですがそれはどこで?」
なぜか怪しむ用な目で見てきた老人に困惑しながらも答える。
「そこの木陰…って言っても飛龍のせいでわからないや。ええと、森の中で迷っていた時に偶然木陰で見つけたんです。」
「ほお。偶然と申すか。」
何やら傲慢な態度の男が皇女の背後から私を睨みながら言った。
服装からして王族か有力な貴族だろう。
しかし、彼に疑惑の目で見られるようなことは身に覚えがないのだが。
「はい。ぐ・う・ぜ・ん見つけましたが、この腕輪に何かあるのですか?」
「お前のような異国の平民に教える義理など無いっ。」
相変わらずめちゃくちゃこちらを見下してくる。
そんな男の態度に苛ついたのかリズが唸り始める。
リズが怒っているのに気がついた男は嫌味な笑いを作ると
「ほお。この国の平民は下賎な野獣と暮らしているのか?」
さらに煽る。無意識なのか意識的なのかはわからないがとにかく腹が立つ。出会って数日とはいえ私の友人を馬鹿にするとは…
私が抗議しようとした時、護衛らしき青年が口を挟んだ。
「サイエン様、おやめください。初対面なのに失礼ですよ。」
男は黙ったが、私を見る目と態度は一向に変えようとしない。
この青年、この男に命令できるとは実は結構上の立場だったりするのかな。
よく見ると青年も整った顔をした樹木妖精だった。
その様子を見ていた執事らしき老人が申し訳なさそうに告げる。
「その腕輪はこのお嬢様の家に代々伝わる家宝なのです」