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憂国の情
愛国心
「週刊文春」のスクープで180度N国党の反応が変化した。
ちょっと悲しいですね。
どちらを応援するかで状況は一変するようだ。
こういう間違いは自らも犯す可能性はあります。
今回は反安倍・反斎藤という立場でしたから幸いしたといえます。
しかし、だからといって誹謗中傷は決してしないといえます。
この兵庫県知事問題はモラルという点からも問われています。
人が判断を誤らないためにはこのモラルを向上させていくほかはないだろう。
モラル、モラルとは一体なんだろうか?
一番大きな比重は「信頼」や「約束」なのではないかと思います。
父からもよく言われたものです。
「信頼を得るのは難しいが信頼をなくすのは簡単だ」
「信頼を取り戻すのはもっと難しい」
親子の間でもこの信頼を裏切ることはあります。
でも、親子の間では簡単に許されてしまいます。
しかし、他人の間であれば非常に難しいことです。
今回の知事選が行われるまで私は斉藤元彦氏を知りませんでした。
最初の知事選でも自分の投票した人が落選した事実だけを受け止めました。
誰が当選したのだろうという興味も湧きませんでした。
兵庫県会議が別に問題を起こすようなニュースも聞かなかったこともそうです。
丸尾まき県議や庄本えつこ県議を信頼していたこともあります。
最初の知事選でも、
自民・維新の推薦というだけで私の選択は決まってしまいましたから斉藤元彦の名前さえ目に入らなかったものです。
それほどに反自民、反維新の気持ちは強かったのです。
ですからこの事件を知った時は「え〜!?」でした。
が、日本はおかしいと感じていましたから、
「れいわ新選組」の山本太郎代表とも会えたのだと思います。
迷わず勉強を始めました。
その結果が今です。
がしかし、今でも斉藤元彦知事の態度は変わりません。
恐ろしいといえます。
権力とは一旦手に入れるとなかなか手放せないのでしょう。
恐ろしいまでの執着心を感じます。
私と斉藤元彦知事の間では初めから信頼感はありませんでした。
そしてこの間、何一つ生まれなかったのです。
ですから、斉藤元彦知事支持者には異常なものを感じたものです。
なぜこれほどまでに支持するのかが理解できませんでした。
そこには利権があるということを初めて目の当たりにして、
少し疲労感を覚えています。
日本人はなぜこれほどまでに愚かになったのか?