依存と自立について
長い長い夏休みもようやく半分が過ぎた。
最近は変わらずバイトと家を往復する日々で、だんだん気持ちも緩んできた。本当はどこか遠くの海まで行きたい。浜辺にテントを張ってぼうっと波の流れを眺めるだけの一日がほしい。あとは知らない駅で降りて冒険してみたい。まだ見たことないものを沢山記憶に刻みたい。
大学生の醍醐味って、お金はなくとも時間の自由がきいてどこまでも行けることだと思っていた。きっとみんな思っているだろう、大学生活も夏休みもこんなはずじゃなかったのにな。
そんな中でも私の心の状態はかなり良い感じだ。
昔は自分ひとりでは出来ないことが多かったし、やるべきことは予定通りに進まず、やりたいことは思い浮かばなかった。忙しいと潰れてしまう、だけど退屈にも耐えきれない。そんな状態が長い間続いて、私は社会に馴染めないのだと将来を不安に思っていた。
中でも酷かったのが恋愛で。
中学の頃からほとんどの時間を恋人という存在と過ごしてきた。タイプも様々な人と付き合ってきたけれど、決まって依存しがちで苦しかった。
初めの頃は相手の気持ちなんて疑ったこともなかったし、いつか来る別れに対してきっと大丈夫だと理由もなく確信していたけれど、次第に相手の些細な言動から変化を読み取っては不安な方向に考えることをやめられなくなった。電話しようと言っていたのに相手が寝落ちした時は、もしかして事故に遭ったのかもと本気で心配したし、女の子がいる集まりに出かけると聞かされた時は作り笑顔で送り出すのが精一杯で相手のSNSが気が気じゃなかった。
そんな余裕のない自分が嫌だったし、相手にもプレッシャーになっていることは分かっていたのだけどやめられなかった。喧嘩のたびごはんが食べられなくなったり、泣きながら友だちに電話したり、好きで付き合ったはずなのに苦しくて、どうしてこうなるのか分からなくて、私は恋愛に向いていないのだとつくづく思った。
そんな私も随分大人になって、今ではひとりでいる時と変わらない感覚で恋人と付き合えている。会えた時は思う存分甘やかしてもらって恋人との時間を楽しんでいるけれど、またひとりの生活に戻ったらその思い出をエネルギーに自分の生活に全力を注ぎ、その暮らしを満喫している。不安になることもほとんどなくなったし、不満に思うことはこまめに伝えられているから、付き合っていて辛い時期がない。勿論良い関係を築けていることは相手のお陰でもあるけれど、今までの私ではこうはならなかっただろう。
たびたびやるInstagramの質問箱でも、どうしたら依存をやめられるのかとよく尋ねられる。だから私が思う、依存しなくなった理由についてあげてみる。
◯ ひとりの時間が心から楽しいと思えるようになった
◯ 自分の状態が良くない時に相手に積極的に連絡をしたり会おうとしなくなった
◯ 相手が自分を変えることができないように、自分が相手を変えることも出来ないのだと身をもって学んだ
他にもあげればキリがないけれど主な理由はこの3つ。
まずはどんな自己啓発本にも書かれているけれど、ひとりでいて幸せじゃない人が誰かと一緒になって急に幸せになれることなんてないし、ひとりの時間の充実こそが自立への最も大きな鍵だと私も思う。
好きな人に対してそうだったように、自分に対しても興味を向け 何が好きなのか 何をすれば嬉しいのかを考える、自分の感情の変化に敏感になり こまめな対処をする、そして寂しさや苦しさを他人や環境任せにせず真っ向から向き合う、そうして真摯に誠実に自分と付き合っていけたら、人との付き合い方も自然とそう変わっていった。
私が常々自分を優先し、直感に目を向けるのは過去の反省があるからで。ずっと周りの気持ちばかりを優先して、周りが望む自分になろうとして頑張り続けて心も体も壊してしまった。そうなって初めて、こんな無理は誰も望んでいなかったし、結局こうなってしまったら助けられるのは自分しかいないのだと気づいた。それからはとにかく無理をしないように、どんな時も自分の感情を第一に振る舞いを考えるようにしている。
もし丸々一日休みがあったら、何がしたいだろうか。
その問いを投げかけられて、答えが何も思い浮かばない人は危険信号だと思う。今一度、自分が好きなことや心癒されるものについて考えて、自分の直感を追いやってしまった原因について目を向けてみてほしい。
そして2つ目にあげたこと。これも過去から学んだことだけど、何となく関係がうまくいかない時って自分ひとりで見た時もあまり状態が良くない時だったりする。自分の生活が上手くいっていない時、心が不安定な時は相手が持ち込む些細なことが大きな波風となって押し寄せてくるし、どうしても良くない方向に考えがちだ。そしてそういう余裕のなさって、自分よりも相手の方が強く感じ取っているものだ。そういう時にふたりの問題について真剣に向き合おうとするとかえって悪くなる場合が多いと私は思う。だから自分の余裕がない時は、不必要に相手に近づき過ぎずひとりの時間を確保した方が回復は早くなるし、少し時間を置くと関係が改善したことが何度もあった。
そして3つ目、これは恋愛に限らず人間関係全般における本質だと思う。昔の私はどうにかしてずっと自分のことを好きでいてもらおうと、他の人に目を向けないでもらおうと思ってしまっていた。それは裏を返せば、相手は自分によって制御可能なのだと思っていたということになる。だけど、自分の苦しみは究極的に自分でしか癒せないように、誰かの気持ちを自分が変えるなんて、本来は無理な話だ。勿論自分はこういうことを望んでいるのだと、こういう思いがあるのだと伝え合うことは関係を続ける上でとても大切だし、諦めてはいけない部分だと思う。だけど、そうして思いの丈を伝えた以上はもうこちら側に出来ることはない。それによって思うように相手が動いてくれなかったとしても相手に罪はないし、それを踏まえて自分はどう振る舞いたいかと考えることしかできない。そういうことを身をもって理解してから、変わってもらおうと思って話すことがなくなった。
あくまでも私はこう考えているよ、だけど貴方がそれをどう受け止めるかは貴方次第だし、それによって生じた結果を私がどう受け止めるかも私次第だから、というスタンスが今は一番しっくりきている。
自分が辛い状況にあればあるほど、好きな人は救世主となる。好きな人と過ごす時間が人生の全てになってしまう。だけど、自分をそれだけ喜ばせてくれる存在というのは自分をそれだけ傷つけうる存在でもあるのだということを忘れてはならない。他人にそれだけの影響力を持たせることは、自分の人生を委ねることと同義だから。
好きな人と過ごす時間だけが天国になったとしても、それ以外の地獄は現実としてのしかかる。きっとそんな地獄に耐えられなくて"救世主"の元へ逃げるのが癖になる。そして、そのうち唯一の天国は地獄へと変わるだろう。どんな確かな天国の元でも、地獄に耐えられる心がなければ幸せにはなれない。
恋愛は人生を豊かにしてくれる。知らなかった自分を見せてくれるし、誰かに愛される安心感と喜びはきっとひとりでは得られないものだ。だけど、恋愛が人生の全てになってしまっては、その先に待ち受けるのは破滅のみだ。
依存してしまうのは、今自分の人生が辛い証拠だと思う。きっと何度も何度も挫けそうになって、それでも頑張って乗り越えてきたから、やっと手にした安心や幸せを逃したくないと強く思っているからだと思う。
だから私は依存を悪だとは言いたくない。一時的にそういう時があったって良いと思う。だけどそれによって更に辛くなってしまわないうちに、視野を広げてみてほしい。世の中には心惹かれるものがまだまだあるし、恋愛以上に心を豊かにしてくれるものも沢山ある。だからどうか、自分の人生を様々な幸せで埋めてみてほしい。
これは過去の自分に伝えるつもりで書いてみた。あの頃は依存していることも自分が間違っていることも分かっていたけど、どうして抜け出せばいいか分からなかったから。
だから、もし過去の私と同じような状況にある人がいたら何かの参考になれば嬉しいなと思ってこうして綴ってみた。
残り1ヶ月もある夏休み、出来ることは限られているけれど楽しく過ごせたらいいな。