"かわいそう"な自分との向き合い方


私は昔から "かわいそうね" とよく言われてきた。体が弱くほとんど保育園に通えなかったこと、両親が離婚したこと、不登校だったこと、母が病気だったこと。色んな理由をつけ、かわいそうかわいそうと言われることが本当に嫌だった。情けなくて、惨めで。

私は私として生きて幸せなのに。事実の裏に何が隠れているかも分からないのに。お金持ちだと羨ましい、貧乏だとかわいそう、そんな風に表向きのちっぽけな基準で人をはかる大人にだけはなりたくないと、子どもながらに思っていたことを覚えている。

そうしていつからか "かわいそうな自分にだけはなりたくない" という強い気持ちが芽生えた。

それはとても厄介な物で、今の私が抱える問題の根源とも言える。


人からジャッジされ、嫌な思いをしてきたがために、人の目を必要以上に気にしてしまう。かわいそうに思われたくなくて、強がったり言わなくて良いことを言ったり、逆にSOSが出せなかったり。それって結局おなじことなのだ、と最近気づいた。

人の代わりに自分が自分にジャッジをくだしているだけなのだ。〇〇な私はかわいそうに思われるから隠すべきだ、〇〇な人にだけはなりたくない、そんな風に自分を見定め制約を与え、コントロールしてしまっていた。


特に耐えられないのは恋愛についてだ。

自分より相手の気持ちが大きいと感じられないと安心できない。惨めだ、と思ってしまう。本当は、本質的にはそう決めつけている訳ではないのだけど、でも、とにかく惨めで不安で心許なくなる。友だちに"恋人に〇〇されたの" と話した時に、かわいそう…とかそんな人やめたら…とか言われそうなことをされたら、相手を非難したり感情的に自分を責めたりしてしまう。数日間連絡を返してもらえなかったり、約束を忘れられていたり、そういうことがあるとまず、惨めで情けなくなる。"そんなことをされてしまう自分" というものに耐えられなくて、悲しくなる。


恥ずかしながら、こういう思考回路に気づいたのは最近で。それがいかに自分自身を苦しめていたか、今となればよく分かる。

自分の幸せや不幸が他人によってジャッジされるほど辛いことはない。だけどそれは自分によってなされることもある。人からこう思われるんじゃないかと恐れる自分や、こういう風にだけは見られたくないと焦る自分によって。


だけど、当たり前だけどこれは私の人生だ。幸せは私が選び取るし、不幸は私が手放す。そもそも起きたこと全てに善悪のジャッジを下したりしない。もう人の目を気にして本質が見れなくなるなんて、本当の幸せを失ってしまうなんて嫌だから。


これからはもう、恋愛で悩んだ時に「恋人 〇〇 対処法」などと検索はしないし、情けない自分も直視して受け入れていく。恋人という存在を私の価値基準にするのはやめるし、人を介した幸せだけじゃなくて、ものや経験を通した幸せも沢山獲得していこうと思う。


情けなくたって、かわいそうと思われたって、これが自分だこれでいいんだと納得してがむしゃらに生きられた方がきっと幸せだ。そういう私を私は見たい。何かが少し変わる予感に、わくわくしている。

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