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45歳 子宮頸がん記録10【知ってる、天井 入院①】

前回の話。

はじめに。
子宮頸がんと一言で言っても、種類があったり、段階があったり、その人の状況、立場などによって、捉え方は様々だと思います。
ですが、このnoteは、あくまで私視点からの記録となります事を、ご了承ください。ふざけてる節がありますが、根がふざけてるのでワザとではないです(謝)


前回から間が空いてしまいました。手術前と変わらない生活を送るようになったので、noteを書く時間もなかなか作れずにいましたが、私はなんとかこの子宮頸がんの事を文章で残したいと思っているので、頑張ります。

術後1日目

ICUから通常の病室に戻った私。手術日当日から、飲み食い一切ゼロ。

病室に着いて、まずしたことは尿の管を抜くことだった。それを抜いたら、「どんどん動きましょうね!」と言われた。

とりあえず、尿の管は抜いたのでトイレには自分で行けるようになった。だけど、違和感がある。(まあ、当然だよな。子宮も膀胱も近いんだからさ)、と思いながらトイレに行くと、やはり術後。病室のトイレに行くだけで疲れた。あと、お股から、ちょっとは出血しているかと思ったけど、まったく出血してなくて、それにはなんだか驚いた。

しかし、点滴をされているので尿意がまあまあの頻度でやってくる。くそおおおおw動きたくねぇwwwと思っても、漏らすわけにもいかないので、トイレに行く。そんなことを繰り返していた。

術後の痛みは、体感生理痛の、まあまあしんどいやつくらい。痛かったら痛み止め出すと言ってくれてたので頼んでみると、まだ食事を取ったらいけないので、座薬の痛み止めと言われ、だったらいいやw寝ることに。

この時点でまだ、私はスマホを手にしていない。手術後、ICUに入るため全ての荷物は家族が持って帰ることになっていて、ただただ寝るしかなかったw

15時過ぎ、面会の時間。お母さんと、旦那さんが荷物を持って来てくれた。術後「痛いよぉ痛いよぉ」とうなされていた私の姿を見ていたので「すごい!もう歩いたり出来るんだね!あんなに痛そうにしてたから、まだうなされてるかと思った!」と言われた。

ほんとそれには、私も驚いているのだけど、手術の次の日一日を通しても、朝よりも昼、昼よりも夕方、夕方よりも夜と、みるみると体が回復していくのを感じていた。

そんな自分の体の変化を、「私の細胞えらい!細胞が頑張ってるから、私頑張れてるんだ!」と思った。

生きてると嫌な事とか、生きるのめんどくさいなとか、思うときあるけど。私の細胞は、自分の心とは別で、常に体を回復しようと頑張ってる。生きることだけを考えてる。だから、私は今こうして動けてるんだなぁ!って。私も頑張んなきゃ!って、私の中の細胞に励まされた!

夕方には点滴を外してもらい、およそ二日ぶりのご飯が出た。

白い湯!www

なんじゃこりゃーw 思ったけど。ほぼ二日間点滴のみだったので、消化にいいものをという事なんだろう。でも、こんなどろどろのご飯でも美味しかった!今思えばこれって、ファスティングじゃんwファスティングの回復食じゃんwって思うw

友達にLINEした

むーちゃんとは、友達のわんちゃん

イッヌ以下wwww笑ったw

その日はまだなんだかんだ痛くて、夜は痛み止めの薬が飲めるようになったので、食事後と、深夜にも飲んだ。

深夜に来た看護婦さんに
「手術する前に、生理が来たんですけど今痛いのが、生理痛なのか手術のせいかわからなくて…」と聞いたら

「生理痛は子宮が収縮する痛みだから、生理痛じゃないよ」って言われて

そうかw私もう子宮無いしw子宮無いと、生理痛もないのかw当たり前だよなwと、子宮が無くなったことを痛感したのだった。

術後2日目

もう大して記憶がないw ごはんの写真載せときますw

朝ごはん まだお粥。具のない味噌汁w
まさかのタンドリーチキン
これ、う◯こかと思ったwナスだったw
まともなご飯になった!


夜は入院中に見たかった乃木坂のDVDを見た!

続く

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