とにかく上を目指すことの大切さ
モチベーション3.0を読んだ。2010年の本らしいけど、今更知って、今更読んだ。雑にまとめると、報酬で釣ったり罰金で縛ったりする外発的動機づけは前時代的で、これからのポスト資本主義においては有能感・自律性・関係性による内発的動機づけが不可欠だ、という内容である。
今となってはいろんな本でよく見かける言説なのであまり目新しさは無かったけど、そんな中で1つ熟達(マスタリー)が大事だ、という話が今の自分にぐさりと刺さった。
多様性が大事と言われるこの時代。みんな違ってみんな良い。悪者などいない。自分らしさが大事。下手なレッテルを貼る行為は無粋とされ、どんな行動や価値観にもその存在価値が認められる、とても懐の広い時代。
良い時代になったと思うけど、その反面、この時代でも変わらない事実がある。それは「上を目指さないと、上にはいけない。」という厳しい現実である。楽しければ、上手くなくても良い。上手くなくても存在価値はある。それは間違っていない。だけど、上手くはない。
上手くなるには、頑張らないといけない。だけど、頑張るのは苦しい。一方で「多様性」の言葉でみんなが尊重されるこの時代では、頑張らなくても存在価値を認めてもらえる。頑張らなくても認めてもらえるので、どうにも張り合いがない。だから頑張りにくい。そういう時代だと思う。
すべての人が尊重されるのは良いことだ。頑張りたくない人は頑張らなくていい。だけど、本当は頑張りたい人を後ろ向きにする雰囲気がもし強まるのであれば、私はそれは歓迎できない。
内発的動機づけと熟達は、鶏と卵の関係だ。上達するから楽しい。楽しいから上達する。この善循環をいかに作り出し、維持するか。それが物事に自律的に前向きに取り組むうえで最も大切なことだと思う。
人間、調子の良いときも、悪いときもある。調子の悪いときには「頑張ったんだけどな…やっぱ全然ダメだ」と思うものである。思うけど、全然ダメでも、上を目指して続けることは、上を目指して続けないことよりも良いことだ。いつか報われる日が来るから。だから上を目指したほうが良い。上を目指していれば、いつか上とか下とか関係なく楽しめる日が来る。きっと、近い将来に来る。
しんどかったら、少し方法を変えてみるのも良いかもしれない。簡単な内容に変えてみるとか。でも手は動かした方がいい。動画を見るだけとかそういうのは良くない。
今日、TOEICを受けた。過去になく良い点数を取った。びっくりした。ここ2週間くらい英語の勉強をサボっていたので、いっそう驚いた。そういうこともある。私にとってTOEICは目標でも何でもないので報われたとまでは言えないけど、それでも悪い気はしなかった。
そのあとモチベーション3.0を読了し、「ああ、これで安心したり慢心したらダメだ…」と思った。なのでこの文章を書いた。とにかく上達を目指して取り組み続ける。それしかない。自戒を込めて。
今日の一枚
懐かしい雰囲気、LoFi感、The 90s POPS 感、等々…を凝縮したアルバム。でも、これを聴いても、槇原敬之とかオフコースとかに行ってしまうのではなく、またこのアルバムを聴きたくなるのが素晴らしいと思う。確かな新しさ・独創性が感じられる。