09「ダリア」/錆付くまで
1月20日リリースアルバム「錆付くまで/宮下遊」の感想noteとなります。
特典のコンセプトブックや対談CD、非公開MVについてもネタバレ有で触れてるので、未読未視聴の方はご注意ください。キルマーアレンジCD買いそびれ民(憐)。→2月27日追記:親切な遊毒者様に1枚譲っていただきました。ありがとうございます!note追加します。
錆付くまで/クロスフェード
生成された構造が錆付く前に、文字に留めておこうと思った。
気がつけば心の恋人
【ダリア】
『錆付くまで』に収録された12曲中、最も明度が明るく彩度の優しい楽曲。
【ダリア】にも葛藤や苦しみはあるものの、それをネガティブなものとは定義せず、咀嚼し、受け入れながら前に進んでいく。水のような滑らかさと浄化のエネルギーを備えた癒し手。
正直、【ダリア】のもたらす救いがなければこのアルバムは影が重すぎて何度も聴けるものにならなったのではないかというくらいには救われている。輪廻転生だけでは、回復力保たなかったのではないだろうか?(個人の感想)
お友達の果物さんが打ち捨てられてきた者の嘆きや悲哀を苛烈に表現する傍ら、蜂屋ななし氏は最終的には人の心の拠り所となる曲作りをしているところが前々から面白いなぁと思っていた。そんな果物さんとの共作であり、休暇期間に入る前に作った最後の楽曲となった【ディジーディジー】が私は大好きだ。なぜ、あんなに、こちらが傷心の際に言われて救われるフレーズが思いつくのだろう?「ごめんねって離さないで、ただ必要と言って欲しいよ」?離すかよ馬鹿。そういえば、これも花の名前を冠している。蜂だから、きっと花が好きなのだろう。
ところで、涙腺を機能不全に追い込むダム決壊神MVを、君はもう視聴しただろうか?あれは心が弱っている時に観てはいけない。箱ティッシュを空にし、しばらく茫然自失となって何も手につけなくなる。とりわけ、私のような人間には。
あまり自分の過去をダラダラと話す気はない。しかし、少し話してしまうと、愚直になんでも取り組んだ夢あふれる青臭い時代の中で、多くの喜びや失敗や後悔を経験し、もう人を傷つけるのも傷つくのも嫌になり、自分で自分に手錠をかけるようになった20代後半には、非常に応えるMVだった。昔の自分の方が遥かに嫌いだが、今の自分に満足しているわけでもない。どうして、賢さと引き換えにあの時の情熱を手放してしまったのだろうといつも思うのだ。そんなわけで、Cメロは天使が舞い降りたとしか言えない。
ほんのり物語テイストだったMVだったが、それぞれ全く異なる生活スタイルを営む2人の主要人物を、私は「同一人物」と解釈した。家の中に籠り変わり映えしない日々を送るのも、旅に出て広い世界で目眩く日々を送るのも、人生におけるどこかの時点での「私」。未来に期待を抱いていた過去の自分に対して、今の自分が手紙を送れるとしたらなんと書くだろう。「やめとけ」などと書いて紙飛行機にして飛ばすのだろうが、「大丈夫だよ」とか返ってきそうだ。
サビで「不」という漢字がリズミカルに韻を踏む。
不はその後の文字を打ち消す作用を持ち、〜でない、と言う視点にフォーカスしている。マイナスを意識すると言うことは、そこにプラスがあると言うこと。影を描くことで、光が当たっている部分を表現できるように、立体感はいつも否定の発生から生じる。その言葉選びに、負の要素さえも飲み込んでいく蜂屋氏の優しさや懐の広さを感じた。
また、同じ「Fu」と言う音から始まる言葉に、それぞれ相応しい感情を流し込んでいく宮下氏の繊細な歌心を評価したい。
余談だが、私が宮下遊を知るきっかけとなった曲は、蜂屋ななし氏の「Fading ghost」。