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月山文庫(迷)
俺は最近、月山文庫というすこしふしぎな書店に通っている。車が一台通れる程度の道を歩いていくと、地面にいつもじっと伏せている大きな羊の姿が見える。その羊の体には扉がついており、扉をくぐればその先は本棚の並ぶ店。と、そういう場所だ。
羊は伏せているのではなく足が地面に埋まっているのだと、タカシくんは言っていたが。
あ、タカシくんというのは近所に住む小学生で、俺に月山文庫の事を教えてくれた男の子だ。
「お年玉を増やす為に本を探していたら漫画がいっぱい置いてある店に出会って冬休み中立ち読みばかりしていたら宿題の事をすっかり忘れて慌てて小説を立ち読みした」
とかなんとか言っていて、お年玉と本の関連なんかはよくわからなかったが、「買えよ」とは思った。買えよ。本。まあ小学生の懐事情もわかるから無理強いもできないが。
せめてもタカシくんの分まで俺が金を落とそうと思う。
という理由をつけて気になっていた本を買い込む日々である。
月山文庫の中はこぢんまりした店のように見える。(それでも扉のついた羊の体よりは大きいのだが)しかし、店内に設置された検索機、こいつを操作する事でもっと広いフロアに移動できるのだ。検索機の画面からたとえば「小説」の文字を選べば、小説のずらりと並ぶフロアへと行ける。まるでエレベーターのボタンを押して階を移動するように。
小説、漫画、参考書、文具やCD、まだ利用した事はないが飲食ができるフロアもあるようだ。それから、おや、これは何だ?
迷。の、一文字。
これは何のフロアだ? こんなの前から表示されていただろうか。迷……迷……迷路? 迷路の本でも並んでいるのか? うーん、わからん。試しにちょっと見てみるか。
という訳で「迷」をタッチする。
俺はどこかのフロアに移動する。
周囲を見回す。俺は本棚と本棚の間にいる。右に本棚、左にも本棚、目の前の検索機の向こう側にも本棚。背後だけは何もない。なんだか、そう、路地裏の突き当たりにでもいるような気分だ。きょろきょろと辺りを見回していると、いつの間にか検索機が消えている。
検索機が消えている?
この店は検索機を利用する事でフロア移動ができるのだが逆に言うとそれ以外の方法で移動はできず(もしかしたら他の方法があったりするのかもしれないがあったとしても俺はそれを知らず)検索機がないと出入口のある元の場所に戻る事ができない。その検索機がない。ない? えっ俺出られなくない?
えっ。
……とりあえずこの本棚の路地裏から出て、誰か人がいないか探してみよう。もしかしたら店の人に出会えて助けてもらえるかもしれない。背後にしか行ける空間がないのでその方向に行くしかないな。誰かいるかな。いるといいな。
とぼとぼ歩いていくと、本棚の路地裏は本棚の交差点に繋がっていた。だからつまり、本棚と本棚に挟まれた通路が交差点の如く縦横に繋がっているのだ。どっちに行けば良いのかなと思いながら勘で左に行く。進んでいくと本棚の丁字路にぶつかったので今度は右に行く。左、右、右、左、進んだ道を覚えておこうと思っていたけれどだんだん記憶が怪しくなってきて、何もわからなくなる前に一度最初の場所に戻ろうか、でももう少し進めばもしかしたら誰かいるかもしれない、悩みながら俺はふらふらと歩く。
そもそもここはどういうフロアなのか。
本棚を見る。
雑多な本が置かれている。
ジャンルで分かれてもいなければ、作者でまとまってもいない。
そういえば月山文庫の出入口がある空間、こぢんまりしたあの場所には店員達のオススメ本が置かれているのだよな、と、何故今それを思い出したかって、本棚に雑多なジャンルの本が詰め込まれている様があそこのオススメ本の棚と似ていたからだろう。小説もあれば画集もある。文庫もあればハードカバーもある。ああ、これは確か数年前に流行った漫画だ。あ、こっちはちょうどその頃俺がとろうとしていた資格についての本じゃないか。こんな時になんだが、懐かしいな。
歩いていく。
え? これも置いてあるのか。かつて友人が自費出版した詩集だ。俺も一冊渡されたが、正直あれは、持て余したまま部屋の隅で埃を被っている。
歩いていく。
母校の卒業アルバムを見つけた。流石に書店で見つけるような物ではないだろ。母校の、というか、俺が卒業時に貰ったアルバムじゃないのか。中を見る。俺の写真がある。
なんだかここには。
俺が触れてきた本ばかりが並べられているような。
いや、待て待て、たとえばこの小説なんかは俺は読んだ事がないぞ。
でもこれって学生時代隣の女子がよく読んでいなかったか? この表紙に見覚えがある。
なんだろう、ここは。
なんだろう。
歩く。
歩く。
本棚を見る。
本を手に取る。
かつてどこかで見た本がそこにある。
ここは本当にふしぎな書店だ。まるで俺の頭の中を覗かれているようだ。俺の人生を本棚の形で表現しているようだ。
このまま歩いていくとどこへ行くのだろう。
足が止まる。
丁字路だ。
直感で俺は右に行こうとした。
でも左に何かが見えた。
そこには知らない本があった。
知らない本だ。記憶にない本だ。人体の描き方の本。色彩についての本。絵の描き方の本。絵の。
そうだった。
そういえば。
そういえば俺は子供の頃、画家になりたかったのだった。
忘れていた。
だってあんなの、子供だったから見られた夢だ。「あんなのは才能がないとなれない職業」で「子供は夢みがちだから仕方ない」けれど「大きくなったらしっかり働いて奥さんと子供を養わないといけない」から。
それでも。
あそこに。
本があるから。
俺は、あ、そうだ。
気になっていた本を買うつもりで、ここに来たのだった。
本を手に取る。
本を手に取る。
本を手に取る。
本を何冊も腕の中に抱え込む。
腕が重い。本の重みだ。こんなに抱え込んでいるから。
そういえば本は買っても画材はないな。この店、文具はあるが、画材は流石に他へ行く必要があるだろうな。
腕に抱えた本を見る。
それから正面を見る。
検索機がある。
あれ? 検索機? ……というか、辺りを見回せば、そこは今まで俺がいた空間ではない。
こぢんまりした空間。店員オススメの本が並び、出入口のある、月山文庫入ってすぐの場所。
元の場所に、戻ってきた?
自分の腕を見る。
そこには変わらず、本がある。
本を抱えている。
俺はレジに向かう。
早く会計を済ませて、画材屋に行こう。
そうだレジにいる店員さんに検索機の「迷」について聞いておこう、あの場所は一体何だったのか、でも……あれ……?
迷って、何だ?
あの場所って、何の話だったかな……。