エア彼氏との日々
前回の話に少し繋がるのかはわからないが、現在の恋人ができるまで私は長期間彼氏が出来なかった。
もちろん合コンに行ったりmixiで繋がった人と会ったりはしたが交際にまで発展する事は無かった。ある種の余裕があった当初とは違い、3年を越えるともうどうでもいいというか、自分は誰かとお付き合いさせて頂くような人間では無いのだと思い込むようになり、どんどん卑屈になっていった。
そこで画期的なシステム《妄想》を全力で駆使して私は脳内彼氏を作り上げた。
その時に死ぬほど好きだった堺雅人と脳内で付き合う事にしたのである。
エア雅人と呼んで私の心は彼氏が出来ないという自己否定からの脱却を図ったのである。
エア雅人と付き合っているシチュエーションは2種類あって私の家に時々遊びに来るバージョンがメインでたまに同棲しているバージョンもある。
エア雅人が実在するかのように妄想するのに能力(?)を使いすぎてエピソードはあまり無く、それを反芻する日々であった。
仕事が長引き終電間近になった帰り道、最寄りの駅の改札の前にエア雅人がいた。今日はうちに来る日だっけ?驚いたのと同時にビニール傘を2本持っている事に気がついた。
「驚かせようと思ったんだけど、雨が止んでしまって、連絡しようかしまいか迷ってるうちに君が来たんだ」
確かこんな事を言っていた。傘を持っていない私のためにわざわざ駅まで迎えに来てくれたのである。
手にはカバーのかかっていない文庫本しか持っていない。恐らく携帯は家に置いてきてしまって、私がなかなか来ないから家に戻って連絡しようかこのまま待とうかどうしようとなっていたんだな。
肝心の雨はすっかり止んでしまったし、エア雅人のサプライズは少し空振りに終わってしまったようだが、私は会えると思っていなかったので内心ではめちゃくちゃ喜んでいるのだが平静を装っている。
どのくらい待った?と聞いたら実は今日は撮影が早く終わったから夕食を作って待っていたんだとネタバレしてくるエア雅人がとても愛おしいのだ。
(エア雅人と付き合っている私はクールな女を演じているという設定、彼は芸能人なのだからはしゃいではいけないという考えである。何を言ってるんだ私は。)
というような妄想である。これを本気でやっていた。
ブラック企業に勤めていて帰り時間が遅かったのでいつもこの妄想で乗り切っていた記憶がある。
ここで注意しておきたいのだが、私は恋愛経験が乏しく、ましてや夜のナンタラについては想像力が全く働かないのでエア雅人とはスーパープラトニックラブであった事を先に伝えておきたい。あと、好きすぎる人にはイヤラシイ妄想=失礼という概念がある。
エア雅人の妄想は脳みそをフル回転するのだが、これに付き合ってくれる友人が数人いて集中力を最大限に高めると《同じビジョンが共有出来る》という事を体験できたのはエア雅人のおかげではないかと思う。(そして付き合ってくれた友人たちの優しさ、むしろそれに尽きる。)
エア雅人と私、エア蔵之介と友人という4人で温泉旅行に行く妄想がめちゃくちゃ面白くて今でも覚えている。露天風呂に続く赤い絨毯の廊下、男性陣が浴衣を着て先に上がって待っていてくれた時の私たちの「ほう。なかなか良い」とニヤニヤした事や3つ横並びに並べた布団と垂直に敷かれた布団。明日どこに観光に行くんやとはしゃぐエア蔵之介。今でもリアルな思い出なんじゃないかと思う程集中力を使った。
そして、エア雅人と私の結婚披露宴に出席してくれた友人は皆エア彼氏と参列してくれた。エア雅人は薄いグレーのタキシードがめちゃくちゃ良く似合っていた。日本でグレーを着こなせるのはエア雅人だけなんじゃないか?と思える程だった。友人席で私に手を振ってくれる同級生に小さく手を振り返したらエア雅人は「どのお友達?」と聞いてくれたので小学校の同級生だと説明した。
そして、その日は突然訪れた。
リアル堺雅人が菅野美穂と結婚したのである。
私は、この件に関しては死ぬ程喜んだ。
何故なら私は菅野美穂がめちゃくちゃ好きだったからだ。
めちゃくちゃ好きな2人が結婚した!!!!!!
私は、エア雅人と付き合っていながらも密かにリアル雅人がどこぞの若手女優やら一般女性(と言われる元芸能人)と結婚してしまったらどうしようと気が気でなかった。芯は通っているけど穏やかで優しい人なので変な女の変な何かに引っ掛かったらどうしようとめちゃくちゃ心配していた。(何様なんだ)
だがどうだろう!神様ありがとうとしか言えない。
私は普段晩酌はしないのだがその日は缶チューハイを2本買って帰った。
おめでとうおめでとうと声を上げて祝杯をあげた。
悲しいという気持ちは皆無であった。
結婚報道があった日、私の誕生日よりも多いんじゃないかというくらいの連絡が各友人からあった。私がショックを受けているんじゃないかと心配してくれたメールには「死ぬな」や「生きろ」ばっかりだった。いい友人を持ったもんだ。
(私はエア雅人を公言していたので友人達は皆知っているのだ)
報道があった次の日、エア雅人はうちに来た。
部屋の中には上がらず玄関先で立ち話をした。
「ごめん、もうここには来れない」
そう言って困った顔をしていたので、私は笑顔で今までありがとう。菅野さんとしあわせになってください。本当に楽しかった。ありがとう。さようなら。
と握手を交わした。
エア雅人は笑ってそのまますぅっと消えていった。
それ以来エア雅人は私の目の前に現れる事はなかった。
後にも先にも脳みそをフル回転させてまるで本当の事だったかのような記憶を作り上げたのはエア雅人だけである。
堺雅人の事は今でも好きだが、以前のような死ぬほど好きといった熱狂さは無く軽いLIKEにまで落ち着いた。それより堺雅人菅野美穂夫婦がとっても好きなのだ。末長くずっとしあわせでいてほしい。
夢をありがとう。